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17話 欲しいと思った瞬間に、それを取る



「というわけで、気が進まないが仕方がない。特訓するぞ」


 翌日のフォースタ邸。フォーリアお手製ランチを食べ終え、ワンスは彼女を起立させて命じる。



 ここで、突然だが話は変わる。忘れてはならないが、ワンスはワンディング伯爵家の侍従頭である。あまり登場しない侍従話であるが、こんなに連日、自由に動き回っていて仕事は大丈夫なのだろうかと思われるかもしれない。心配無用、実は侍従の仕事もしっかりやっているのだ。


 ワンディング家の当主は、噂通りの偏屈じいさんであるため、使用人はほとんど寄り付かない。侍従頭を務めるワンスと、その下に二人の侍従(しもべ)。そして、料理担当のおばあちゃんと、庭師担当のおじいちゃんの計五人で回していた。なんという少数精鋭。詐欺師のワンスにとっては、とても住み心地の良い環境だ。


 偏屈じいさんは本当に偏屈なものだから、以前の伯爵家の財政状況は非常に悪く、全く回っていなかった。そこで、ワンスが侍従になると同時に色々と手を加え、財政状況は一気に上向き。なんと、今ではワンディング家の家業のほとんどを、偏屈じいさんに代わってワンスが行っているのだ。侍従頭というか、もはや当主代理だ。

 もちろん、二人の侍従や効率の良い外注(アウトソーシング)を駆使して上手く回しているわけだが。実情としては、伯爵家を乗っ取り状態である。

 

 そう。驚くことなかれ。ワンスは、詐欺師、金貸し屋、貴族向けの商売多数(事業経営)、コンサルタント業に加えて、伯爵家の仕事も行うほどのスーパー仕事人間だった。そりゃあ金欲と食欲以外は吐いて捨てるだろう。一体、どれだけ稼げば気が済むのか。彼こそが、金の亡者である。


 というわけで、侍従でありながらも裁量を任されすぎており、こんなに毎日自由に動き回れるというわけだった。



「特訓ですね!? はい、ワンス先生! 特訓とは何をやるのでしょうか!?」

「……不安しかねぇな」


 フォーリアの楽しそうな表情に、こりゃダメかもしれないと思った。スパイごっこに興じる子供のようにワクワクしているではないか。遊びじゃないのに!



 今回のターゲットである、ダッグ・ダグラス。先日、ファイブルから彼の行動パターンを入手していた。

 ダグラスは毎週末、王都で一番珈琲が美味しいと評判のカフェに立ち寄る。どういうわけか侍従ではなく、自らが珈琲をテイクアウトするという。ファイブルいわく、その店員が可愛いというのが理由らしい。その珈琲を持って、彼はノーブルマッチ専用の高級ホテルに行く。女から女へ。全く節操がない。


 フォーリアにチャンスがあるとすれば、ダグラスがカフェに訪れて注文をする短時間のみであった。


 平たく言えば、ダグラスが()()を買ってノーブルマッチの予定を優先するか、それともフォーリアを見初めて()()を買いノーブルマッチの予定をキャンセルするか。これが第一関門である。


「特訓開始。始めからいくぞ。店先で立ってるつもりでやれ」

「はい!」


 ワンスはフォーリアの残念っぷりと、見様見真似で何とかこなしている人生を何となく知っているので、ダグラス役になってあげることにした。この方が覚えるだろうと。金の為なら懇切丁寧。


「すると、ダグラスがやってくる」

「はい!」

「お前は、財布を落として探しているフリをしろ」

「財布、なるほど! 『あー、お財布を落としたわ~』」

「違う。何も言わずに、下を向いてキョロキョロするだけでいい」

「キョロキョロ」


「……まあいいや。お前の容姿ならダグラスから声をかけられる可能性もあるが、素通りしそうならフォーリアから声をかけろ。財布を見ませんでしたか、と」

「はい!『お財布を見ませんでしたか?』」

「ダグラスは『見てない』という。そこで『喉が渇いた』と言え。やつから飲み物を奢ると言われたら、紅茶をテイクアウトで買ってもらう」

「紅茶を!」


「そうだ。ダグラスが珈琲を買ったら、諦めてそのまま解散しろ。もし紅茶を買ったら、近くの庭園でお茶しようと誘う。いいな?」

「えっと、珈琲を……?」

「珈琲を買ったら帰れ。紅茶を買ったら庭園だ」

「はい、分かりました! ワンス先生、質問です」

「なんだ?」

「紅茶はどこで飲みますか? 天気がよければカフェのテラス席でいいですか~? ふふふ」


「……まじでやべぇな」


 それでもワンスは投げなかった。何度も『まじでやべぇな』と言うことになったが、金の為に投げ捨てなかった。どれくらい金が大切かと言えば、特訓が夜まで続いたほどだ。


 もう外は暗くなり、部屋にはロクソクの火が灯される。やわらかく温かい光が、ぼんやりと二人を照らし出す。


 とうとう184回(迷惑な)ほどダグラス役をやって、どうにか形になった。そこで、またもや鬼畜仕様のぶっ込みを入れはじめる。


「よし。ここまでやっても、ダグラスが口を割らないようだったら、適当にキスでもしとけ」

「ききききき!?」


 フォーリアの顔がまたもや真っ赤になり、挙動不審になってしまったではないか。その様子を見て、ワンスは内心で一驚した。


「まさか……え、もしかしてキスもしたことねぇの?」

「あるわけないじゃないですか!」


 ―― え? ニルド・ニルヴァンって、こいつに全く手出してないってこと? この前、髪にキスしてたような……?


 処女というのは何となく分かってはいたが、まさかニルドが全くのノータッチ紳士だとは思わなかった。

 もしワンスがニルドの立場にいたならば。もし全てを選択することが出来る立場にいたのであれば、欲しいものは迷わず取る。欲しいと思った瞬間に、それを取る。ニルドがフォーリアを欲していることは分かっていたし、さすがにキスの一つや二つくらいはしているものだと思っていた。


 ……いやいや。これはワンスの価値観に難ありだ。普通、キスをしていれば、すなわち恋人同士なわけで、恋人関係にないニルドとフォーリアがキスをするわけもない。ここではニルドの価値観が正しい。いや待てよ、ニルドも難あり(クズ男)だったな。まったく! どいつもこいつも!


 ―― うわぁ、ニルヴァンも可哀想なやつ


 直近だけでトータル18,000ルドも貢いでおいて、キスすら出来ていないとは。ワンスには理解不能なピュアワールドだった。


「分かった分かった、キスはなしでいい。もし口を割らないなら、手洗いにでも行くとか言ってそのまま帰宅しろ。あとはこっちで適当にやっておく」


 うんざりして冷たく言うと、フォーリアはグッと眉を寄せて俯いた。不甲斐なさを感じているのだろう。それとも本気でワンスの仕事のパートナーとやらを狙っているのか。


「キスくらいなら、ガマン、します。やります」


 フォーリアは絞り出すように、そう言った。本当はすっごくすっごくイヤだけど、余程ワンスのパートナーとやらになりたいのだろう。今にも泣きそうなのに、あの変な顔で泣くのを我慢していた。


 ―― 出たー! 変な顔!


 この変な顔を見ると、結構テンションが上がるワンス。最低である。


「分かった。じゃあ、俺のことをダグラスだと思ってやってみろ、はい」


 サラリと言うと、フォーリアは目玉が飛び出るんじゃないかと言うほどに驚いて、ズザーーーっと部屋の端まで飛んでいった。その勢いでロウソクの火が少しだけゆらりと揺れる。彼女の顔は真っ赤だった。


「ななななな!!?」

「……? なんだよ?」


 そんな変なことを言っただろうか。首を傾げると、フォーリアは信じられないという顔で見てくる。そこでハタと気付く。


「……あぁ、そうか。没頭しすぎて(仕事モードで)忘れてたわ。お前、俺のこと好きなんだっけか。あー、そうか……。じゃあ、ぶっつけ本番でいっか。出来なかったら、それはそれでってことで。あー疲れた、じゃあ解散お疲れー」

「あ! 待ってください!!」


 先ほど部屋の端っこまで後ずさっていったフォーリアは、瞬間移動レベルの速さでワンスの横に戻ってくる。すごい速いなと思ったら、頬を染めて手をもじもじさせながら「えっと、練習……したいです」とか言ってくるじゃないか。


「……お前、まさか私利私欲に走ってねぇよな?」


 ギロリと睨むと、彼女は視線をさまよわせて「ソンナコトナイデスヨ~」と小さい声で答える。そんなことしかないじゃないか。


 キスくらいどうでもいいワンスではあったが、先ほどと打って変わって、何かちょっと嫌だなと思ってしまった。


 ―― 調子乗りそうなんだよなぁ


 キスの一つでもしてしまったら『私たち結婚秒読みです』みたいな雰囲気を出されそうで、ワンスは激しく面倒だった。ここに、ニルドの一人や二人がいれば良かったのに。ワンスは初めてニルドの必要性を感じた。ニルドがいたところで、フォーリアが彼とキスの練習などするわけもないが。


 ―― とは言え、ぶっつけ本番というのもさすがに……


 ハジメテのキスを憎い敵であるダグラスで済ますよりは、正体が詐欺師とは言え、好きな男であるワンスの方が幾らかマシだろう。どうせ正体がバレることはないし、成功率を上げるためには必要な投資か……と、スーパー仕事人間のワンスは思い直す。実際には、マシどころか願ったり叶ったりなフォーリアであるが。


「苦渋の決断だが、仕方ない。許してやる」

「……さすがに失礼ですよ?」

「苦渋の決断だ。ほら、さっさとしろ」


 フォーリアを見下ろすと、彼女はドキドキと胸の高鳴りを隠せない様子で、胸に手を当ててワンスをチラリと見てきた。


 だいぶ短くなったロクソクの火が、ゆらゆらと揺れる。近くなった二人の影をゆっくりと震わせた。


「これ、私からするんですか……?」

「当たり前だろ? ダグラスからして貰えると思うな」

「きききんちょうします! ドキドキします……」

「はぁ、早くしろよ……帰りたいんだけど」


 こんな温度差のあるキスシーンがあるだろうか。

 

 フォーリアは、そろりと一歩近づく。真っ赤な顔をして、上目遣いでワンスを見つめてくる。目を伏せて少し俯いて、ぎゅっと閉じて、そろりと開けて、また必殺・上目遣い。ちなみに、ワンスは目を閉じることすらしなかったが。


 そして、エメラルドグリーンの綺麗な瞳をまぶたにしまい込み、踵をそっとあげて、目一杯背伸びをする。


 あと十センチ、五センチ、二センチ。

 そこで、ピタリと止まった。


 残り少ないロウソクが、痺れを切らすようにチリチリと揺れる。


「ダメ……ドキドキしすぎて、無理です……」


 二センチの距離はそのままで、目をぎゅっと瞑ったフォーリアは、吐息と一緒に弱音を吐き出した。


 ワンスは何も言わなかった。諦めたように、フォーリアが踵を降ろして離れようとした瞬間。


「ん……」


 ワンスからフォーリアにキスをした。軽く一回。そして、一瞬目が合ったかと思ったら顔の向きを変えて、もう一回。そして、頬に手を添えて、強く長く、もう一回。


 三回目の少し長めのキスをした後、ワンスは彼女からパッと離れた。


「遅すぎ。帰る」


 そう言って、サッサと部屋を出て行く。部屋にはドロドロに溶けきったフォーリアとロウソクが残された。


 






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マシュマロ

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