14話 恋なんて生易しいものじゃない。心の底よりも、もっともっと底から
ワンスが帰った後、フォーリアは感激で打ち震えていた。その事実に、気付いてしまったからだ。
―― なんでワンス様がこんなに好きなのか、私、分かっちゃったわ! そういうことだったのね!
ワンスを見送ってすぐにランタラッタと階段を駆け上り、私室に入り込む。向かうは、三年前に死去した母親の絵姿。
「お母様! そういうことだったのね!」
ふふふと、抑えきれない笑みをこぼし、母親の絵姿に触れた。
フォーリアは、自分があまり賢くないということを、よーく知っていた。昔から、言われたことの半分しか理解していなかったし、理解したことの半分は覚えていなかったからだ。
しかし、処世術なのだろう、見様見真似は得意だった。マナーや所作も丁寧に教えてもらったことよりも、母親が実際にやっているのを見て真似る方が数倍は上手くできた。たぶん、人より少しばかり目や耳などの感覚が鋭く、さらに『こうした方がなんか良さそう』という動物的勘が働くのだろう。
そんなフォーリアであるが、子供の頃から見た目だけは一級品であった。何となく本人も自覚はしていたものの『だから何なのだろう?』と、あまり価値を感じていなかった。
それよりも賢い人、話が上手い人、理解が早い人。そんな人に憧れた。自分が欲しくても絶対に得られないものに、人は強く惹かれるものなのだ。
「お母様。八年前の初恋の男の子の話、してもいい?」
もちろん、返事はない。でも、にこやかな絵姿の笑顔から察するに『もう、またその話? 仕方ないわねぇ』と言っているに違いない。
フォーリアの初恋は八年前、十歳のときだった。
母親と街を歩いていた際に、突然人攫いに遭ったのだ。そして、一時的に監禁されていた場所で、同じようにさらわれてしまった貴族風の男の子と一緒になった。フォーリアより年上ではあったが、まだ子供という年齢。名前を『エース』とだけ教えてもらった。
「エースってね、すごいのよ! 監禁場所をすぐに特定してね、逃げ出す方法も見つけて、助けてくれたの!」
恋をしたのは一瞬のことだった。お互いに目隠しをされた状態で部屋に押し込められ、フォーリアが『ねえねえ、どうやって敵を倒そっか?』と聞くと、『はぁ? お前、馬鹿? 逃げの一手だ』と、ひどく冷たい声で言い放たれた。そのとき、ストンと恋に落ちたのだ。一目惚れならぬ、一聞き惚れだ。ドMである。
……いや、違う。ドMというわけではない。フォーリアは、その美貌のせいであまり罵られることはなかったのだ。それでも中身はアレな感じなので、会う人は誰もが『あ、この子ちょっと残念な子だ』という目で見てくる。それが、何となく悲しかった。
しかし、初恋の男の子・エースは違った。目隠しを取ってフォーリアの美貌を見た後ですら、『なんでそんなに鈍くさいの?』とか『馬鹿すぎる』とか明け透けに言うのだ。それが嬉しくて、癖になってしまった。……あ、やはりドMか。
まあ、そんなこんなで、エースはワンスなわけだが。
「ワンス様はエースだったんだわ! 絶対そう、あの言い方、絶っっっ対にエース!」
先程、ワンスの口調が変わったことで、その事実に気付いてしまったのだ。
元々顔立ちは似てるな~とは思っていたが、エースは金髪であったため別人だと思い込んでいた。好きなタイプが、こういう顔なのかなと思っていたが、まさかの同一人物! もう、心の中で狂喜乱舞が止まらない。
「ワンス様、私が気付いたことに気付いてなさそうだったけど……このまま、黙っていた方がいいのかしら」
嘘は下手くそだったが、本気になれば隠し事はできるのだ。本気になれば、だが。
「なんとなーく、黙っていた方がいいような気がする……。だって、違う名前を名乗っているんだもの。何か理由があるのかも」
なんとなーくという理由だけで、問い質すことをやめた。でも、この勘はたぶん当たっている。ここで彼女が問い質していた場合に、ワンスはもう二度と彼女の前に姿を現すことはなかった……かもしれない。ワンス・ワンディングとは、そういう種類の生き物なのだ。
「うーん、でも、何でワンスって名乗ったのかしら? あら? エースが偽名? ワンスも偽名なのかなぁ。本当の名前……絶対、知りたい!」
この日、フォースタ家が巻き込まれた詐欺事件にワンスが本気になったと同時に、フォーリアも本気になった。彼女は、彼のことを本気で欲しくなってしまった。恋なんて生易しいものじゃない。心の底よりも、もっともっと底から彼を欲した。絶対、絶対、どんな手を使っても捕まえたい。捕まえてみせる、と。
「お母様、私がんばります! やるわよ、ゴー! フォーリア!」
気合い十分、母娘の秘密の会話で固く誓いを立てたのだった。
しかし、この後の出来事で、フォーリアの本気の気持ちが二分することになる。
スタンリーとの面会の翌々日、フォーリアは街で買い物をしていた。なんと! ワンスから『材料費と手間賃を支払うから、また作って欲しい』と頼まれたのだ。この時点で、胃袋だけはガッチリ掴んでいる。
ものすごーく嬉しくて、舞い上がるこの気持ちを全部料理にぶつけようと張り切っていた。ぶつけられる料理側もプレッシャーだろう。
「るるる~♪ 騙されたってぇ~、恋っ♪ 恋とぉ~さぎぃ~♪ ふたつはぁ~ ……ん? あらあら?」
鼻歌交じりに買い物をしていると、目の端に何かをとらえる。とっても幸せが詰まっているような、見ずにはいられないような、そんな存在感だ。目を凝らしてみると。
―― あ~! ワンス様だわ!!
街で見かけるなんて、一生分の運を使い果たしたかも~と思いながら、ふらふらと彼に吸い寄せられる。しかし、そこで足が止まった。
―― え? ミスリー?
なんと、ワンスとミスリーが一緒にいたのだ。フォーリアは困惑する。
―― なんでミスリーと? 知り合いなのかしら……? 聞いてみよ~
そう思って近付こうとした。しかし、また足が止まる。ミスリーが、何やら袋をワンスに渡している。その瞬間、見たこともないくらいに柔らかく優しく、そして愛しそうに、彼が微笑んだのだ。
驚愕だった。あんな顔、フォーリアは一度だって見たことはない。思い返してみると、そもそもワンスは常に真顔だった……なんてこった……。
そう。そこでフォーリアは、気付いてしまったのだ。
「ワンス様の愛しい女性は……ミスリー」