12話 君のためにできることを 【ニルド vs ワンス】
「初めまして、ニルド・ニルヴァンだ」
「……どうも、ワンス・ワンディングです」
その日、ニルドはフォースタ邸付近に用事があった。せっかくだから、愛しのフォーリアを一目見ようと、フォースタ邸に足を運んだ。
すると、出迎えてくれたフォーリアが申し訳なさそうに「来客中なの」と言うではないか。嫌な予感がしたニルドは、フォーリアの制止も聞かずにズカズカと応接室に入る。そして、二人は顔を合わせてしまったというわけだ。運命のいたずらである。
―― こいつがワンス・ワンディング!?
ニルドは少し、いや、かなり焦った。何故ならば、想像していたよりもワンスの顔が良かったからだ。
金髪のように人目を引くような髪色ではないが、濃紺の髪というのも色気があった。そして、青色の瞳の輝きには劣るが、淡い黄色のような瞳は、角度によっては一瞬金色に見えなくもないような気がする気もして、悔しいことになかなかだった。
顔自体は涼しげで、身体も線が細い。どちらかと言えば女性的な印象を受けるが、それが濃紺の髪と合わさると不思議と男性らしい色気が出る。
そう、ワンス・ワンディングには、人を虜にする妖艶さがあった。ニルドのように大勢の中でパッと目立つタイプではないが、一対一で面と向かうと、つい見入ってしまう。 国中の誰もが恋い焦がれるのがニルドであれば、一度恋をしたら溺れるのがワンス。そんな感じの人間だった。
「もー! ニルドったら、来客中って言ったのに。ごめんなさい、ワンス様」
「いや、構わないよ。お会いできて光栄です、ははは」
「こちらも会えて嬉しい。今日という日に、フォースタ邸に来られて、本っ当に良かった」
―― フォーリアと二人きりなど許せるものか。潰してやる
ニルドのライフワークは害虫駆除。今まで数多の男を潰してきたスキルがあった。何より、フォーリアとは八年の付き合いだ。誰が相手でも負ける気はしなかった。
「フォーリア、ごめんね。近くを通ったものだから、君に会いたくなったんだ。いつ来てもいいよって言ってくれるから、つい甘えてしまった」
ニルドはフォーリアの髪をサラリと撫で、一房すくってキスを落とした。その間、視線はワンスに向ける。この娘は俺のものだ、とでも言うように。
しかし、ワンスはぜんっぜん見ていなかった。ぼんやりと窓の外の小鳥を見ている。まるで『なんだこの茶番。この無駄な時間、早く過ぎねぇかなー』とでも思っているようだ。まるで、というか、まさに思っているのだろう。
―― つゆほども興味がなさそうだ。……ファイブルの情報は確かなようだな
ファイブルからの情報は、こうだった。『年齢は二十歳。顔はまあまあですが、ニルド様には負けますよ、へえ。どうやら愛する女性がいるとかで、他の女性に見向きもしないらしいです、へえ』
ニルドはホッとする。あぁ良かった、潰す潰さないの前に相手は舞台に上る気すらないんだ、と。
そこで、ワンスは思いついたように立ち上がった。
「フォーリア嬢、僕は少し外に出てくるから、彼と過ごすといいよ。先方との約束まで、まだ少し時間があるからね」
『君のライバルではないよ』とワンスから目配せを送られ、ニルドは『ありがとう』と微笑みを返した。万事、上手くいった。お互いにそう思ったことだろう。
「ええ! ワンス様、どちらに行かれるんですか!?」
「……ちょっとそこまで」
「じゃあ、私も行きます」
「フォーリア嬢は、彼をもてなすべきだ」
「私、ワンス様と一緒にいたいです。ダメですか?」
「……ははは……それ、今言わなくてもいいんじゃないかな、ははは」
ピシッと空気が割れる音がした。空気っていうかニルドが割れる音だったかも。
こんなフォーリア、見たことがなかった。驚愕だ。なんだこの熱っぽい目は! いや、もう熱ってレベルじゃない、とろんとしてワンスを見つめているじゃないか! って、ちょっと待て! ワンスを引き止めようと腕を、触っているじゃないか! おぉぉい、フォーリアが男に触ってんじゃねぇかぁあ……と。
ニルドは、その場で膝を折って崩れた。
―― 俺のフォーリアが……! 恋を……俺以外の男に、恋を、した……
八年間の思い出が、彼の脳内をグルリと駆け回る。走馬灯だ。
初めて会ったときの胸の高鳴り。仲良くなりたくて足繁く通った日々。フォーリアと街歩きをしたときの楽しい時間。彼女を想って高ぶる気持ちを収める日々。八年間の想い。グルグルグル……あぁ、なんだかめまいがしてきたぞ……どうにかせねば。どうにか、あぁ……。
そこで、ニルドは膝を折ったまま、やぶれかぶれに例の情報をぶっこんだ。
「フォーリア。彼には愛する女性がいる!」
「え? え、え?」
フォーリアは顔面蒼白になっていた。ワンスと初対面であるニルドが、なぜそんなことを知っているのかと疑問に思わないのだろうか。これだから、何回も詐欺に遭うのだ。
ニルドもニルドだ。ワンス本人がファイブルに指示をしていたから良かったものの、普通だったら『初対面なのに、なんでコイツ俺の恋愛事情に詳しいんだ? ストーカーか?』と在らぬ誤解を生むところだ。
「ワンス様!? そうなのですか!?」
フォーリアはワンスに詰め寄る。元々、触っていた腕をガッと掴み、グイッと顔を寄せる。渦中のワンスは、左上を見ながら「えーっと」と苦笑い。ひどく面倒なのだろう、それはもうテキトーなことを口にする。
「……あー、そうだった」
「そうだった!?」
「僕には愛する女性がいたんだ。うん、そうだった」
ピシッと空気が割れる音がした。空気っていうか、フォーリアが割れる音だったかも。
「ワンス様に……愛しい女性が。ワンス様に……」
フォーリアは、その場で膝を折って崩れていた。偶然にも、崩れ済みのニルドの隣に来たものだから、超美形二人が床に並んで放心中。フォースタ家の応接室がカオスである。
今日という日に、二人分の恋が物の見事に割れたのだ。所要時間、たった三分。惨い。
そんな状況の中、ワンスは小さい声で「なんだこれ」と呟いた。
「コホン。えーっと、ニルヴァン郷? 崩れているところ悪いが、少しいいかな?」
ワンスに肩を持たれて立たされたニルドは、そのまま背を押されて廊下に出る。閉まる扉をぼんやりと見ていると、隙間から見えたフォーリアは、まだ崩れているようだった。そのままパタリと扉は閉められた。
「ニルヴァン郷、誤解があるようだから一つ進言してもいいかな?」
「なんだ? フォーリアに好かれて調子にのってるのか? 俺の、俺だけのフォーリアに! 泣いていいか? それか斬っていいか?」
「それはやめてほしい。よーく聞いてくれ。フォーリア嬢は、僕に惚れているわけではないよ」
「お前、斬るぞ?」
「フォーリア嬢の狙いは、僕に貢いでもらうこと。金だよ、金」
「は? 金? あのフォーリアが?」
「そうだ、間違いないよ」
ニルドは訝しく思って、真偽を確かめようとワンスの目を見た。すると、その淡い黄色の瞳に吸い込まれる。ここで目をそらしたら何か悪いことが起きるような気がして、じっと見てしまう。何だろうか……不思議なことに、ワンスの言っている事は正しいことのような気がしてくる。
「聞いて欲しい。僕はフォースタ家とは仕事の付き合いだけだ。しかし、僕に大きな財力があるのも確かな事実」
「そ、それなら! ニルヴァンだって財力はある。フォーリアに俺を頼れと何回言っても、彼女は頼ってくれない! 誕生日プレゼントだって、どうにか押し付けるようにして渡せたくらいだぞ!?」
ヒートアップするニルドに対し、ワンスは返事をしてこない。長すぎる沈黙のあと、熱を冷ますような言葉が落とされる。
「……君は彼女の本当の気持ちが、分からないのか……?」
その渋い表情と、密やかな声。ニルドはハッとした。何かわかんないけどハッとしたのだ。
「フォーリア嬢は君が大切なんだ。だから安易に頼れない。君だけには頼れないんだ。僕なんて所詮は金づるさ。フォーリア嬢には金も学も何もない。ニルヴァン郷はその全てを持っている。釣り合うはずもないと、毎晩のように枕を濡らしているかもしれないね」
「フォーリアが……?」
ワンスは眉間に指を当て、頷いていた。『どえらい簡単なやつだな』とでも思っているのだろう。しかし、表情はとても痛ましく切なそうだった。
「僕は、詐欺対策コンサルタントとしてフォースタ伯爵と契約をしている」
「詐欺対策……フォースタ伯爵の詐欺事件を?」
―― 伯爵家嫡男がコンサルタントだと?
ニルドは自分も伯爵家嫡男であることから、少し疑念をもった。伯爵家嫡男ともなれば、家のことや領地経営を学んだり割と忙しいのだ。とはいえ、ニルドも騎士団に勤めつつ家業を手伝っている。事実として商売貴族も多いし、色んな生業があるのだろうと納得した。
ワンスは続ける。ぺらぺらとよく動く口だ。
「あぁ、その詐欺事件だよ。もし、事件が無事に解決すれば、フォースタ家に金が戻る。そして、僕が詐欺対策を彼らに徹底的に叩き込む。すると、どうなると思う?」
「フォースタ家は金に困らなくなる……!?」
「そうだ、さすがニルヴァン郷は察しがいいね。そうすると、金のために僕を好いているフリをしなければならないフォーリア嬢は?」
「その必要が、なくなる!?」
ワンスはウインクをして「正解」と言った。
「万事解決というわけだ」
「なるほど」
「ニルヴァン郷には辛いかもしれないが、詐欺事件が解決するまでの間、彼女の演技に付き合ってあげる男の余裕を見せてやってほしい」
「お、男の余裕……?」
「そう。知ってるだろう? 大人の男の、余裕」
ニルドの中には無い言葉が、刷り込まれた瞬間だった。大人の男の余裕、なんだかすごくいい言葉に思えた。
「いいかい? 君たちは、二人とも大人だ。常に一緒にいるだけが全てじゃない。お互いがお互いのためにできることやるべきだ。長い人生を共に生きるためには、離れる時間も必要さ」
おどけたように肩をすくめるワンスを見て、確かにその通りだと納得する。長い人生を共にだなんて、幸せが詰まった言葉だ。ぽややんとドリームが広がる。
しかし、そこでワンスは難しい顔を向けてきた。緩急が激しくて、ニルドは付いていくのが大変だ。
「しかし、ニルヴァン郷に一つ耳に入れておくべきか……迷うなぁ……」
「なんだ? 何をだ?」
「……いや、やめておくよ。フォーリア嬢の健気な努力を無碍にするのも悪いしね。話はここまでにしよう」
そのまま応接室に戻ろうとするものだから、気になっちゃったニルドは、ワンスの肩をグイッと掴む。めっちゃ強い力だった。
「気になるから教えてくれ」
「それは構わないが……後悔しないかい?」
「フォーリアのことなんだろう? 聞かせてくれ」
「実は……コンサルタント料を支払うために、彼女は借金をするかもしれないんだ」
「借金!?」
意外なことに、フォースタ家は慎ましい暮らしが功を奏して借金はなかったのだ。同時に財産もないが。要するに、その日暮らしである。
「僕も心が痛んでね、コンサルタント料はいらないと彼女に言いたいんだが」
「是非! そうしてくれ!!」
「……いいのかい? それがどういうことか、分かっているのかな?」
「どういうこと、とは?」
ワンスは小さく首を振り、はぁと息をこぼす。ニルドは、なんかわからんが引き込まれるように息をのんだ。
「フォーリア嬢に、僕が好意を渡すということになるのさ。普通は、コンサルタント料を貰わないなんてことはない。店に並んでいる商品をタダであげるようなものだからね。あなたは特別ですよ、と」
「好意を渡す……!?」
「タダより高いものはない、ってやつだね。いつまでも彼女の気持ちが、フリのままであってくれることを、僕は願っている」
ニルドは焦った。コンサルタント料を無料にすることでフォーリアの気持ちがワンスに向くことなど、あってはならないと、ひどく焦る。
無料にできないコンサルタント料。借金を負わせるわけにもいかない。ニルドの答えは、一つだった。
「待て! 俺が払う!」
「エ? ナンダッテ!?」
「コンサルタント料は俺が払うから、フォーリアが借金をしないようにどうにかしてくれ、お願いだ」
「そこまで言うなら……分かったよ」
ワンスは持っていた鞄から紙とペンを取り出して、壁を机代わりにしてサラサラと書き出した。やたら速いな。
「これが契約書だ。コンサルタント料は一括割引で8,000ルドにしよう。それでよければ、サインを」
「わかった」
家は金持ちだし、騎士としては優秀であるニルド。稼ぎも良い。8,000ルドなんて、痛くも痒くもない。サラサラとサインをした。
ワンスは契約書を懐にしまいながら、話を続ける。
「フォーリア嬢には、君が替わりに支払ったことを伝えていいのかな?」
フォーリアは、いつも施しを固辞する。きっと、素直に受け取ってはくれないだろう。
「……いや、伝えないでくれ」
「分かった。絶対に言わないようにするよ。フォーリア嬢とフォースタ伯爵には、僕から上手く言っておくから安心していい」
「恩に着る」
「コチラコソ。あ、支払いはワンディング家の侍従頭に渡しておいてくれ」
「分かった。明日、使いをやる」
ニルドは、フォーリアの為に何かをしてあげたい男だった。誕生日プレゼントに現金をあげるほどに、彼女のためにできることを、いつもいつも探しているのだ。
彼は満足したように、とても清々しい笑顔で立っていた。
彼って、どっちのことかな?




