15話 もう見ていない彼女と最低な彼
翌朝早く、ニルドはミスリー宛てに手紙を書いて送った。明日、昼過ぎにいつものカフェで会いたいと。
本当は時間を置かずに会っておきたかったが、バドナ伯爵の件の事後処理のためにニルドは出勤をしなければならなかった。もっと言えばニルヴァン家の書斎の現場検証などに立ち会う必要があり、今日は朝早くから夜遅くまで事後処理に追われる予定だ。当事者なのだから当たり前だが。
そうして朝早く家を出たときに、ふと思った。
―― あ、そう言えばミスリーっていつも俺のこと見てたんだよな
馬車に乗る前に周囲を確認してみたが、ミスリーがいるのかいないのかすら分からなかった。しかし、ニルドの心境に驚くべき変化があった。
―― 見ていたらいいのに……
なんてこった! ストーカー行為を容認する心が! 生まれている!!
しかし、これはニルド・ニルヴァン特有の感情であると言える。
そもそもにニルドは『見られること』に慣れている。常に誰かに見られている人生だからだ。街を歩いても、カフェにいても、誰もがニルドを見ている。ストーカー行為だってミスリーが初めてではない…あそこまで事細かに記録されたのは初めてであるが。耐性があると言ってもいいだろう。
そして、ミスリーが見せた捨て身の愛の掛け方。ニルドの心にそれはそれはグサッと刺さったのだ。
いつも余裕そうに微笑んで、一つ距離を空けている謎めいた彼女が、実はニルドのことで泣いたり怒ったり、それどころか四六時中ニルドにどっぷり浸かっていたという事実。これはスカートの中を覗くよりも情欲を掻き立てられた。さすがである。
さらに、あの紙束。禍々しくはあったけれども、先行き不安な気持ちを抱えたあの寒々しい取調室では、紙束の存在だけが唯一の希望であり、ニルドにとってはミスリーが救いであったのだ。ハンドレッドの報告書の効力も勿論あったが、事実としてミスリーが行動を起こしたことで、即日身柄を解放された。ニルドは救われたのだ。救い、そうヒーローならぬヒロインだ。
まさに、合わせ技一本。が、しかし。少し遅かった。出勤前のこの時間、ミスリーがニルドを見ているか見ていないか。答えは『もう見ていない』だからだ。
事後処理に追われに追われたニルドは、深夜まで働き翌日も午前中だけ出勤した後、昼過ぎに休みをもぎ取って急いで待ち合わせのカフェに訪れた。ミスリーはまだ来ていないようだったので、ホッと胸を撫でおろしながら紅茶を頼んで席に座った。
―― 思えば、ミスリーが待ち合わせに遅れたことってなかったな
当たり前である。待ち合わせ前から行動を監視されていたのだから、遅れるわけもない。
―― そう言えば、いつから俺のこと好きだったのかな。ノーブルマッチで会ったときか?
8年前からである。8年間もガチガチにストーカーされていたのだ、本当に数奇な人生である。
―― 思い起こせば、ミスリーの前でフォーリアのこと……好きだとか何だとか俺、散々言ってたな
それどころか『フォーリアが本命だけど、お前キープすっかんな?(超意訳)』と言っていた。
―― 待て待て待て。それどころか、フォーリアがいるときはミスリーのこと、かなり蔑ろに……
していた。オーランド侯爵の夜会のときなんて、フォーリアをべた褒めしてミスリーの存在を忘れていた。
―― 夜会でフォーリアにキスしようとしたこともバレてるんだよな
勿論バレているし、行動歴には『ニルドのばーか』と文句を書かれていた。
―― もしかして、俺って最低なのでは
安心してほしい、もしかしなくてもド最低である。なにが『フォーリアのことが好きだからミスリーの気持ちには答えられない。でもミスリーのことも知りたいと思っている』だ。そんなことを言って、縋るように受け入れてくれるミスリーに甘え切っていただけじゃないか。
色々と自覚してしまったニルドは顔面蒼白になった。温かい紅茶を口にしてみたが、青い顔はそのままだった。ニルドを見て頬を染めた店員がサービスで持ってきたクッキーをもそもそと食べてみたが、青いままだった。青い顔でもモテる。さすがである。
そんなこんなで今までの自分の行いを思い出しては最低だと自覚しながら待つこと30分。さすがに遅いなと気付いたニルドは、一つの可能性を考えてしまった。
―― あれ、これ、来ないんじゃ
ニルドは青い顔のまま考えた。ミスリーは四六時中ニルドのことを見ていた。だから、彼女がいつも通りであれば騎士団を退勤した時点でそれを見ているはず。30分も遅れるわけはないのだ。
瞬間、ニルドはガタンと席を立って店を出た。そして、乗ってきたニルヴァン家の馬車から馬を一頭引き連れて、直接馬に乗って駆け出した。
―― ミスリーの家は……あ
ニルドは自分で自分に驚いた。こんなに逢瀬をしておきながら、ミスリーの家など知らないのだから。
いつも手紙は私書箱宛てだったし、呼び出せばすぐに来てくれたから家など知らなくても不都合はなかった。
彼女よりも先に帰ることが多かったクズ男は、送り届けることなんてしたこともなかった。夜遅いときは馬車を呼んで金だけ渡して送らせていた。
―― 殴りたい、最低すぎる
ニルドは自分を自分で殴り飛ばしたくなった。ニルドが窮地に立たされたときに、捨て身で守ろうとしてくれた相手に、自分は今まで何てことをしていたのかと。バドナ伯爵に入れた蹴りよりも強烈な蹴りを、自分に入れたくなった。
しかし、そんな時間はない。殴りたくなった分だけ手綱を思いっきりギュッと握って、手の平に痛みを走らせるだけに留めた。
ニルドは焦っていた。何となく……このまま彼女は姿を現さない気がした。それが彼女の心の内側を見た代償なのではないかと、ニルドは思い始めていた。
―― フォーリアなら知ってるはず
フォーリア宛てに手紙を書いた際に、ワンディング家の場所をファイブルに聞いたのだ。何となくの記憶を辿って、あとは人に聞きまくればどうにかなるだろうと焦る頭でそう考えついて、ワンディング家に馬を走らせた。
ガンガンガン! ガンガンガン!
こんな勢いよく叩かれるドアノッカーを聞いたことがなかったワンディング家の面々は、少し怯えながらもドアを開けた。すると、金髪の美男子がいるではないか。呆気に取られるハチに食ってかかるように「ニルド・ニルヴァンだ。フォーリアかワンスを呼んでほしい」と言った。
汗だくの美男子に、おばあちゃんがちょっと頬を染めていた。さすがのモテ男である。
「うげ、本当にニルヴァンだ」
「こんにちは。元気そうでよかった~」
揃って登場のお二方に、もう嫉妬する気持ちなど露ほども生まれなかった。それよりも何よりも。
「ミスリーの家を教えてほしい」
「ミスリー?」
ワンスとフォーリアは目を合わせて首を傾げた。
「ミスラ家の場所なら教えることはできるが、ミスリーはいないだろ。っつーか……あ、そりゃそうか、ははは」
ワンスは禍々しい紙束を思い出した。この場でミスリーの気持ちを一番分かるのは他でもない、ワンスであろう。ワンスは2ヶ月前の『過激な夜着を着たままフォーリアIN金庫室事件』を思い出していた。ちょいちょいフラッシュバックするワンスであった。
フラッシュバック中のワンスをチラリと見たフォーリアが、一歩ニルドに近付いて、悲しそうに事実を伝えた。
「あのね、ニルド。ミスリーはね」
「うん?」
「王都を出るんだって」
「え……?」
ニルドは目の前が真っ暗になった。瞬間、足下に真っ暗な穴が突然現れて、ひゅっと落ちる心地がした。
やはり彼女の心の内側を見た代償がこれなんだ、と確信をした。ニルドには一言も告げることもなく、一生会わないつもりでニルドの元を去ってしまう。ミスリーはそういう種類の生き物なのだ。
ニルドは悔やんだ。もっと早く会いに行っていたら違ったのだろうか。昨日のうちに無理矢理にでも会いに行っていたら……。違う。もっと前からだ。彼女をもっと大事にしていたらこうはならなかった。最低なことばかりをして、自分の欲ばかりを押し付けていた罰が下ったんだと。ニルドは深くなる闇の中で心が折れそうになった。
「ニルヴァン、落ち着け。ミスリーが此処に来たのは11時前だ。ちょうど3時間前。色々挨拶に回るって言ってたから、もしかしたら……運が良ければまだ王都にいるかもしれない」
「……あぁ」
意気消沈するニルドを見て、ワンスは小さくため息をした。そしてフォーリアをチラリと見るとミスリーのことを考えているのだろう、小さく『ミスリー』と呟く人形と化していた。また一つため息をつくしかなかった。これだから金ピカペアは骨が折れるのだ。
「ニルヴァン。正直なとこを聞くけどさぁ、あの紙束を見てドン引きしなかったか? ミスリーはガチだぞ、ガチ。逃げるなら今しかないぞ?」
「え? 逃げる? ドン引き? あ、あぁ、初め見たときはかなり怖かったが、ミスリーが書いたと聞いて正直ホッとした」
他人のことは大抵無表情のポーカーフェイスで流すワンスが、僅かに目を見開いた。
「まじか」
「??どうした? それが何だ?」
「……ワンチャンきたか」
ワンスはまたチラリと『ミスリー』と呟く人形になってるフォーリアを見て思索した。もしニルドとミスリーがそういうことになれば、フォーリアはそれはもう喜ぶだろうな……と。
ミスリーが王都を離れると聞いて、フォーリアは変な顔で泣くのを我慢しながら寂しそうに見送っていた。
そして、ミスリーを見送った後は、しゅんとしながら、地図を眺めてため息をついていた。ワンスは内心『地図を見てもミスリーの現在地なんてわかんないのに馬鹿だなぁ』と思いながらも、ただただ隣で寄り添っていた。
生まれたときから一緒にいた唯一無二の姉妹のような親友だ。いなくなれば心にぽっかりと穴が開くだろうことなど、頭が異常なワンスにだって想像は容易い。
ニルドとミスリーのことは心底どうでも良かったが、彼女の喜ぶ顔はとっっっても見たい。所謂、デレデレ状態である。
ワンスは後ろに控えていたテンに「紙とペン持ってきて」と指示を出した。
「仕方ない。ニルヴァン、今から地図を書いて渡すから、書いてあるレストランと酒場に行ってみろ。ミスリーが挨拶に行ってるかもしれない」
「は? 酒場?」
「1ヶ月前までミスリーが働いてた店だ」
そう言いながら、ワンスは頭の中の地図を切り取って、テンが素早く持ってきた白い紙にサラサラ~と地図を書き出した。相変わらずの速さだ。
「は!? 酒場で働いてた!? 初耳だが!?」
ちなみにミスリーはハンドレッドの件で報酬を貰ったことや、ノーブルマッチを退会したこと、さらにこの度男爵位に復活したため、1ヶ月前にはレストランも酒場も辞めていた。辞めてみたらストーカーが捗った。
「まぁそこらへんは本人に聞いてみればいいんじゃね? ほらほら、早くしないと王都からいなくなるぞ~」
押し付けるように地図を渡すと、ニルドは怪訝な顔をしながらもそれを黙って受け取った。
「ニルヴァン。ミスリーは今『ニルドに嫌われた』と思ってるはずだ。拒否されても追い掛け続けろ」
経験者のワンスが有り難いアドバイスを告げると、ニルドはハッとした顔をしてから一つ頷いて勢いよく馬に乗って駆け出した。その後ろ姿を見送りつつ、ワンスはフォーリアの髪をサラリと撫でた。
―― 柄にもないことをしたもんだな
大切な人を大切にするということは、その人を包む周囲を丸ごと大切にするということなのだろう。近々見られるだろう彼女の笑顔を想像して、ワンスは小さく笑った。
こんな風に愛の形を伝えるのもありだな、なんて思いながら。
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