11話 どうぞ私を引き抜いて
「休ませて頂きありがとう御座いました。何とお礼を申し上げて良いか…」
「人助けは騎士として、貴族として当然のことだよ。礼など不要だ」
バドナ邸の客室で小一時間ほど休んだミリーは、すっかり顔色を良くして応接室に座っていた。もうすぐニルヴァン家の迎えが来る頃だ。
―― どうにか繋がりを持ちたいところだが…
バドナ伯爵はどう切り出すか迷っていた。元々は堅物の騎士。あまり策略をし慣れていないバドナ伯爵は、ミリーからどうやってニルヴァン家の弱みを聞き出せば良いか内心苦悶していた。
しかし、時は待ってはくれない。表からガラガラガラガラと馬車の音が聞こえたかと思うと、バドナ伯爵家の前で停車した。応接室の窓から馬車は距離が近く、家紋もバッチリと確認できる。やはりニルヴァン家の家紋であった。
「ニルヴァン家の馬車のようです。本当にお世話になりました。明日にでも改めて御礼に伺います」
「…いやいや、気遣いは不要だ」
ミリーは綺麗なお辞儀をして応接室を出て行った。バドナ伯爵は『明日』の言葉を頼りに一旦は引くことにしつつも、応接室の窓から様子を窺った。柵の外にあるニルヴァン家の馬車をじっと見ていると、馬車から男が降りてきた。どうやらミリーの上司に当たる人物のようだった。大方、侍従頭であろう。
ニルヴァン家の侍従頭らしき男はバドナ家の侍従に殊更丁寧に御礼を言いつつ、ミリーを引き取って馬車に乗せた。そこでバドナ伯爵は『おや?』と気付いた。ミリーの顔色が優れないのだ。何かに怯えているように少し震えながら俯いていた。
―― まだ具合が悪いのか…?いや、しかし…
バドナ伯爵は気になって、そっと音を立てないように応接室の窓を開けた。聞き耳を立てていることがバレないように、そっと。すると微かにこんな声が聞こえてきた。
「何をやっているんだ!この馬鹿女!」
「申し訳ございません…」
「他家に迷惑をかけて…それでもニルヴァン家の侍女か!恥を知れ!!」
「お許し下さい…」
「帰ったら覚悟しておけ。重い罰を与えてやるからな!」
そんな怒号と共に馬車は走り去っていった。バドナ伯爵は唖然とした。ニルヴァン家の侍従があの様に当たり散らし、聞くに耐えない怒鳴り声を上げて、侍女をなじるとは。しかも相手は体調不良の女性だ。紳士の風上にも置けない。馬車の中の様子は見えなかったが、もしかしたら手を上げているやもしれない。そんな雰囲気の怒鳴り声であった。
安泰に見えるニルヴァン家も中身は色々と問題がありそうだ…と思ったところで、バドナ伯爵は思い付いてしまった。閃きとも言える考えであった。
―― そうか…ミリーをバドナ伯爵家に引き抜けば良い!
怯えきっている様子から、きっとニルヴァン家に仕えるのは苦痛で仕方ないのだろう。それを理由に彼女を引き抜き、その代わりに何かしらニルヴァン家の弱みを教えて貰えば良い。敵を味方に引き入れる。戦法として正しく思えた。
応接室の窓に反射したバドナ伯爵の顔は、もはや騎士の顔ではなかった。欲望をそのままさらけ出した、悪いの貴族の顔だった。
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一方、ニルヴァン家の家紋付きの馬車の中では。
「げほっげほっ…久しぶりに大声出した。喉痛ぇ」
「はい、お水。それにしても、ワンスの怒鳴り声なんてレアね~」
「疲れる…怒鳴るやつの気が知れねぇ」
「さっきの怒鳴り声、フォーリアが聞いたらどう思うのかちょっと気になる~」
ワンスはフォーリアの反応を想像した。『怒鳴るワンス様も素敵です!』と頬を染めているドMが脳内を通過していっただけだった。
「さっきの様子だと、バドナ伯爵はかなり食いついてたみたいだからな。明日にでもミリーを引き抜こうとしてくるはずだ」
「おっけ~♪存分に引き抜かれてやるわ!ふふふ」
「くれぐれも気をつけろよ?」
ワンスが釘を刺すと、ミスリーはウインク一つで返事をしてみせた。ミスリーは引き際を見極めるのが上手いのだ。
「今回の作戦ってニルドには伝えてあるの?」
「舞台はニルヴァン邸だからな。全部ではないけど伝えてはある」
「そう…。騎士団の方は?」
「万事順調」
ワンスの答えに満足したのだろう。小さく微笑んでミスリーは閉じたままの馬車の木窓をぼんやりと眺めた。窓は開いてないから、外は見えない。それでも想いを馳せるようにぼんやりと眺めた。
「バドナ伯爵は調査室の鑑定結果が出るまでが勝負だと思っているはずだ」
「ふふふ、楽しめそう~♪」
楽しそうなミスリーを見て、ワンスは少しため息をついた。
元々、ワンスはミスリーに偽物の侍女をやらせるつもりはなかった。そもそもに危険であるし、そのリスクを取ったところでリスク対効果が薄いからだ。
ちなみにファイブルは大体の真相を知って満足したようで『後で詳細教えて!俺は今回は降りる~』とサッサと下車していった。彼はそういう男なのだ。だからワンスとファイブルは親友なわけだが。
だから、今回はワンスが単身でどうにかしようと思っていた。実際、ハンドレッドのときとは違って相手はド素人、自分一人でどうにでもなると判断していた。しかし、ミスリーが手を挙げたのだ。手というか、もはや拳であったかもしれない。
ミスリーはやってやりたかった。ニルドの大事に抱えてきた『騎士』を汚した報いを受けさせたかった。謹慎中のニルドが思うように動けない分、動ける自分がやってやりたかった。
バドナ伯爵は知らない。馬車道で彼女が見せた青い顔、思うように動かない唇、震える身体。あれは演技でも何でもない。腹の底から煮えたぎる怒りによって現れた色だということを知らない。
正義の鉄拳、ストレート一発で悪を成敗である。
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