1話 詐欺師でごめんね?
目の前に詐欺師がいた。噴水広場に足を踏み入れた瞬間、ワンス・ワンディングは、その歪な巡り合わせに気付いた。
「お目が高い! こんな上質な宝石は滅多にございませんよ」
暖かい日差しが降り注ぐテラス席から、こんな怪しい会話が聞こえてくる。
淡い黄色の瞳をソロリと動かして横目で見てみると、そのテーブルには宝石なんて一つも置かれていない。代わりに、胡散臭い本が広げられているだけだ。
―― 今日は、国庫輸送の日だぞー? 仕事熱心なことで
半年に一度の国庫輸送の日。騎士団の配置はいつもと異なるし、噴水広場には騎士がウヨウヨいる。こんな日は、賢い犯罪者は鳴りを潜めてじっとして過ごすものだ。
退散退散。そもそも、こんなあからさまな詐欺にひっかかる人間がいるわけないだろうと、濃紺色の髪を風に揺らして足早に通り過ぎようとした。
「まぁ素敵! どの宝石にしようかしら」
ワンスはずっこけそうになった。耳障りな甘ったるい声に背中がゾワリする。
―― まじか、すっげぇ馬鹿な女だな
世の中には様々な人間がいる。王都の真ん中にある噴水広場は、社会の縮図。真面目に働いている騎士やカフェ店員もいれば、宝石商や詐欺師もいる。にこにこ顔のお年寄りが座っている横を、紙飛行機を飛ばす子供が駆け回る。そして、残念なことに騙されやすい女もいるというわけだ。
しかし、そうなってしまうと、どんな女なのか顔を確認したくなる。足を止め、今度は被害者の方を見ると、二度見するレベルのどえらい美人だった。
少し桃色が混じった輝く金色の髪に、エメラルドグリーンの瞳。白く滑らかな肌は誰だって触ってみたくなるだろう。
しかし、ワンスにとって、美人だとか金髪だとか、そんなことはどうでもいいことだった。彼女を見た瞬間、激しい既視感が脳を通り抜けていったのだ。背中のぞわぞわも止まらない。
―― あれ、この女……誰だっけ……?
ワンスは一度見たものを絶対に忘れない。彼の脳は、少し特殊な作りをしているものだから、一瞬で思い出せないこの既視感は生まれて初めてのことだった。
忘れるなんてことは有り得ない。彼にとって、それは『特別なこと』だ。
リーンゴーン リーンゴーン
その時、十二時を知らせる鐘の音が王都に鳴り響く。頭を叩き割るような音に脳が揺れる心地がして、黄色のドレスを着た女の子がランタラッタとスキップで通り過ぎていく光景に目眩がする。
ワンスの横で、宝石商と美人は話を続けている。
「では、フォーリア様。こちらの宝石でよろしいでしょうか」
「ええ、これにいたします」
―― 黄色のドレス……フォーリア……
彼女の名前を聞いた瞬間、固く蓋をしていた記憶が全て思い出された。ガクンと落ちる心地がした。
―― フォーリア!? あー……、最悪。思い出しちゃった
ワンスは数年かけて頑張って努力に努力を重ね、ありとあらゆる方法を使ってやっとこさ蓋をした記憶を、全て鮮明に思い出してしまった。げんなりだ。その場にしゃがみこんで、両手で顔を覆って落ち込むくらいにはげんなりとした。
そして、視線を左から右に彷徨わせた後に「ちっ」と舌打ちをしてから立ち上がる。そのタイミングは、奇しくも十二回の鐘が鳴り終わると同時だった。
目の前にはペンを握らされ、書類にサインをする寸前の美人。ワンスは一つ呼吸をして整えてから、ニコリと微笑んで声をかけた。
「フォーリア、遅れてごめん」
フォーリアは手を止めてパッと顔を上げた。見たこともない男性だとでも言うように、不思議そうに首を傾げている。風が吹いて、きらめく金髪がふわりサラッと大きく揺れた。
噴水広場、金曜日の十二時。
二人の視線がカチッと合った。
一方、向かいに座っていた宝石商は邪魔が入ったとでも思っている様子で、苦々しい顔をしている。本物の前で、そんな顔を見せてはならない。だって、こう思われてしまうから。
―― とんだ雑魚だな
ワンスは、少し困ったように微笑んで見せた。
「フォーリア、買い物かい? 申し訳ないが、またの機会に改めてくれないか?」
ワンスは、淡い黄色の瞳で宝石商をジロリと睨む。
その身なりから窺える賢く高貴な雰囲気に、分が悪いと思ったのだろう。宝石商は「かしこまりました、また今度」と言いながら、カタログや契約書を隠すように鞄に詰め込んで足早に去っていった。
声をかけてしまった以上は仕方がない。ワンスがフォーリアに向き直ると、エメラルドグリーンの瞳と目が合う。文句なしの美人に育ったもんだ、なんて思ったりもした。
所作はまあまあだが……身なりを含めると、背伸びしてやっとこさ宝石を買えるかなという程度だ。商売にはならないだろう。
「あ、あの?」
フォーリアは戸惑うように声をかけてくるが、それ無視して、宝石商の背中に視線を移す。
「あの男、詐欺師ですよ」
「え?」
「『カタログ詐欺』です。本物の宝石は見せずに、カタログから選ばせて買わせるんです。でも、実物は質が悪い」
「え!? そうなのですか? お金は後日、宝石と引き換えと仰っておりましたが……。多少、質が悪くてもお買い得でしたわ」
―― ったく、相変わらず鈍くさいやつ
何が悲しくて、こんな馬鹿な女に懇切丁寧に教えてやらなければならないのか。
「契約書の金額は、しっかりとお確かめになられましたか?」
「金額?」
「ええ、カタログの金額とは違う数字が、契約書に書かれていましたよ」
「そ、そんな、本当に?」
「一瞬だけ見ましたが、カタログの金額は一万ルド。契約書の金額は二万ルドになっていました。品質の悪いものを、高く買わされていた」
きっと契約書の金額を確認していなかったのだろう、騙されたことを知って美人顔面蒼白。青い顔でも美しい。
「次は、気をつけて下さいね」
ワンスが心にもないことを言うと、フォーリアは瞳を潤ませて「ありがとうございます」と礼を返してくる。
「いえ。それでは、僕はこれで」
約束は果たしたとばかりに、さっさと踵を返そうとした。が、そこでグンとつんのめった。腕を引っ張られたからだ。
「ありがとう、ございます」
ワンスの腕を引っ張っていたのは、もちろんフォーリアだ。何やらじっくりと見つめてくるし、彼女の瞳はやたらとキラキラ輝いている。正直なところ居心地は最悪だった。なーんか嫌な予感もするし。
「いえ、たまたま見かけただけですから」
「お礼をさせて下さいませ。ぜひ!」
「いや、急いでい」
「ぜひ、我が家へ!!」
「ですから、僕」
「辻馬車カモンです!!」
―― 話を聞けよ!
ワンスは噴水広場を通り抜け、家に帰るところだったのだ。仕事も忙しいし、他人の家でダラダラ過ごす時間はない。
しかし、フォーリアはとにかく押しが強かった。この勢いで詐欺師も突っぱねれば良かったのに……と、ワンスは腕を引っ張られながら思った。そして、ドーンと辻馬車に押し込められて着いた先は。
―― フォースタ伯爵家じゃん~♪
一軒家というには大きすぎるが、お屋敷というには結構小さめ。ワンスの頭の中にある王都貴族マップを見ると、ここはフォースタ伯爵家だ。
フォーリアは淑女の礼で挨拶をしてくれた。
「改めまして、先程は危ないところを助けて頂き、有り難うございました。私、フォーリア・フォースタと申します」
―― へぇ、伯爵家の娘だったのか
まさか伯爵位とは思っていなかったため、少し驚く。男爵か子爵くらいかな、なんて予想していたのだが。
ワンスはどの名前を名乗るか一瞬考えたが、彼女相手ならこの名前だろう。
「ワンス・ワンディングです」
「ワンディング……あら、ワンディング伯爵家のご嫡男様?」
「いえ、そんな大層なものじゃないですよ。そうなれたらとは思っていますが、はは」
―― なれたらと思っているだけですけど、ね
フォーリアは一つ頷いて、にこやかに扉を開けてくれた。
「どうぞ、小さな屋敷ではありますが」
「ありがとうございます」
綺麗な笑顔の裏で、ワンスは笑った。
―― さーて、どうしよっかな~?
ワンス・ワンディング。その男、詐欺師ですよ。
お読みいただき、ありがとうございます。
覚えやすいように、数字をベースに名前をつけてます。主要登場人物は1番~5番まで出ます。
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