怪物
東京都真黒区三烏町。<とうきょうと まぐろく みがらすまち>
閑静な住宅地の奥まった場所に、その屋敷はあった。
荘厳ささえ感じる大きな純和風の屋敷。
門の前には表情一つも動かさないサングラスをかけた屈強そうな男が二人、狛犬のように佇んでいる。
頑強な造りの扉には、天堂組の代紋ー
羽のように見える模様が三つあり、飛ぶ烏を思わせるような紋が設えてある。
表の世界に生きる者は、その人生において決して立ち入る事も叶わない仄暗い闇の深奥では、
天堂組 組長 天堂 泰山<たいざん>と若頭、九鬼 幸四郎がある問題について話し合っていた。
「九鬼、もうそろそろ俺らが出るべきなんじゃねえのか」
組長・天堂泰山は、厳しい眼差しを若頭に向け、言った。
「そうですね。だが、親父。俺らは極道だ。
つまらねぇガキ共に向かって、戦争仕掛けるってのも如何なもんかと」
若頭、九鬼は顔色一つ変えず答える。
が、その厳つく疵だらけの顔は隠しようのない怒りを湛えていた。
「おめえ、これ以上あのクソ共にこの街で暴れさせんのか?
相手が悪童だからって、このまま外法を赦してりゃあ組の沽券に関わるとは思わねぇか」
「仰る通りで。俺もこのまま黙ってる訳にはいかねぇとは思っています。
だが、極道が悪童を相手に全面戦争ってのも些か不恰好が過ぎる」
若頭、九鬼の物言いに組長は僅かに顔を歪めるが、その厳しい表情は更に厳粛な色を見せる。
「警察は手をこまねいてる。
今後、対処はどうするつもりだ?」
組長の重い言葉に、周囲の空気は凍てつくように震える。
が、若頭であるその男は、氷の張るような緊張にも全く動じる様子もなく、静かにー
しかし、力強く言葉を紡いだ。
「勅使河原の奴に一任しようかと」
若頭のその言葉を聞いた組長は、暫し考え込むようにして一言だけ発する。
「勅使河原一人にやらせるのか」
「妥当でしょう。奴も若頭補佐の身。ゆくゆくは組の威光を背負って立つ野郎だ。
自分の兵隊だって抱えてる。これくらいの事はやれなきゃあ困ります」
「勅使河原の兵隊は20人くらいだろう。対する奴らは100以上はいる。
その上、奴らの頭は人を生きたまま焼いちまう上に放火が趣味のイカれた野郎だ。
異常性は元より、喧嘩で負けたって情報も聞いた事がない」
それまで顔色一つ変わらなかった若頭は、僅かばかり笑んだ。
「やれるでしょう。族に負ける極道なんてのは、俺は聞いた事がありませんぜ」
自信に満ちた顔で言い切る若頭の言葉に組長は黙って頷き、言った。
「そうかよ。だったらいい。この話はこれで終いだ。ああ、それとなー」
「クソヤクザ野郎が!ぶっ殺してやるよ!」
組長の話を遮るように、部屋の一角で大声が上がった。
見れば、その男は部屋の片隅にある鉄製の籠の中に閉じ込められ、
腕には枷をはめられながらも威勢のいい声を出す。
だが、若頭は微塵も動じない。
そればかりか、声の主を見ようとさえしなかった。
「これよ、強盗、強姦、傷害、前科六犯のレスラー崩れらしい。
剛力自慢らしいんでうちで買い取ってやった。
組で興す地下格闘技で使えるかと思ってな。要るか?」
組長の放つ言葉に、若頭は鼻を鳴らす。
心なしか、その顔は愉悦の色さえ浮かべているように見えた。
「剛力自慢ですかい。使い物になるやら、試してみましょう」
組長は、鉄製の籠の側に控える組員に顎で合図を出すと、その重い扉が開かれた。
中からは、興奮した大男が引き摺られるように出てくる。
若頭は、目を血走らせ、こちらを睨み付ける大男にずけずけと近付くと言った。
「俺に勝ったら、自由の身にしてやるよ」
※※※
都会の闇に紛れる巨大な屋敷。
その心臓部とも言える、組長室で二人の男が対峙し、睨み合う。
トランクス一枚姿の大男は、自慢の肉体を見せつけるように体を跳ねさせ言った。
「ヤクザがレスラーに勝てるなんて本気で思ってんのかよ?素人が、死んだって知らねえぞ」
九鬼は何も言わない。
ただ、正面から男を射貫かんばかりの眼光を放つ。
前を見据えたまま自慢の赤いスーツを脱ぎ出すと組員の方へそれを投げた。
その瞬間、それを合図にしたかのようにレスラーは右の拳を九鬼の顔面めがけて放つ。
その拳は確実に九鬼の頬を捉え、鈍い音が鳴るが全く効いている様子がない。
若頭、九鬼は無言で退屈そうな顔をする。
「あ?」
レスラー崩れの男が間抜けな声を出す。
―確かに顔面めがけて全力で打ち込んだはずなのに。
当てる場所が悪かったか。
確かに頬では効きは悪い。
急所でも何でもないし、それなりの奴なら耐えられるだろう。
なら顎でも砕くか―
その間の抜けた声が消えるや否や、男はすぐさま左の拳を放ち、九鬼の顎を捉える。
斜め下から突き上げる形で拳が顎へ打ち込まれた。
しかし、九鬼はまるでびくともしない。
相変わらず無言で睨みだけを利かせている。
戸惑う男は金的を狙い、膝を振り上げようとしたが、
その瞬間、九鬼の攻撃は突如として降りかかった。
肉体が軋む音を立て、男は鼻血を吹く。
鼻があらぬ方向に曲がり、ひしゃげて潰れている。
九鬼の頭突きが来たのだ。
鼻骨が折れ、襲い来る痛みに男は思わず右の手で鼻を押さえる。
隙だらけになった男の顎に、九鬼は間髪入れず強烈な拳撃を浴びせた。
2メートル近い体躯の男は大きく吹っ飛び、後頭部を打つ形で床へ倒れ込む。
顎が割れたのだろう、男は悲鳴も上げられず荒く息をしている。
九鬼は、そんな男に対して堂々とした歩みで近付いて行くと、
その大岩のような拳を槌のようにして、男の頭へと振り下ろした。
その拳は、何度も、何度も、振り下ろされた。
男は糸が切れた人形のように動かなかったが、九鬼はそれを辞める事がなかった。
しこたま殴り付けると、九鬼は動かなくなった男に唾を吐き付け言う。
「こりゃ使い物ににならねぇな。腕力が弱すぎる。
まだ生きてるようなら中東の方にでも売っとけ。
死んでるんならバラして使える臓器の確保だ」
九鬼は真っ赤なスーツを組員から受け取り、慣れた手付きでボタンを止めながら言った。