獣
重く、暗い殺意の塊が飛び回る中央広場。
続く流星錘による攻撃は苛烈を極めていく一方であり、勅使河原は劣勢に立たされていた。
腕力も器用さも求められるその武器を使いこなす伊万里は余裕の表情さえ浮かべている。
さらに勅使河原にとって、この地形も問題であった。
その昔は中央に噴水か何かがあったと思われるが、
廃墟となった現在、遮蔽物として機能しそうな物は、
ニ、三人で座れば崩れそうな汚れたベンチと羽虫のホームとなった二本のライトくらいしかない。
重みのある鉄球を受けるには、そのいずれもが頼りに出来るような物ではなかった。
「オイオイ、勅使河原ァ。
避けるばかりで疲れただろ?
そろそろ一発喰らってみたらどうだよ。
案外、楽に逝けるかもしれねぇぞ」
「人生に疲れ切ったお前程じゃねぇよ。
お前こそ、今すぐに手を止めて土下座でもすりゃあ楽に逝けるかもしれねぇぞ」
息を切らしながらも躱し続ける勅使河原は、相手の手元を観察しながら頭を回転させる。
右。左。右。左。右……
武器の特性上、攻撃は必ず交互。
射程距離は約6.5メートル。
先端の鉄球そのものは決して大きくはなく、
せいぜい握り拳程度の物だが、遠心力を使って飛来する鉄の塊は威力が大きいのは勿論、手でキャッチ出来るようなものではない。
伊万里の右手から流星錘が飛んでくる。
すんでの所で避ける勅使河原は、躱すと同時に素早く鉄球から伸びる鎖を握る。
「ほぉらァッ!貰いィッ!」
直後、勝ち誇ったような叫びが響くと、伊万里の左手から横薙ぎの攻撃が繰り出された。
勅使河原は慌てるようにして、もはや荷物に近くなっている鉄扇を前へと投げ出すと緊急離脱する。
ごうっと冷たい空気を切る音が鳴るー
重く、鋭い一撃は勅使河原の脇腹を掠めるが、しかし、勅使河原は回避に成功した。
と、同時にさっきまで勅使河原が掴んでいた右の流星錘が生き物のように使い手の元へと戻って行く。
厄介だなと勅使河原は思ったが、思いとは裏腹に笑みを浮かべていた。
ここしかない。
即座にジャケットの内ポケットに手を入れた勅使河原は、真っ白いスプレー缶を出すと構えた。
「催涙スプレーかァ!?
ハハッ!この距離で届くかよ!」
空いた流星錘を構える伊万里が叫んだ直後、
小型スプレーとは思えない大きな射出音が、
ごおおと鳴り響き、周囲を真っ白い煙のような霧で覆い出した。
「ああっ!?何っだ、こりゃァ!発煙筒か!?」
白い煙は凄まじい勢いでもくもくと広場を包んでいく。
視界さえ不明瞭になっていく空間の中、勅使河原は言った。
「消火スプレーだよ、タヌキ野郎。
どうせ制圧される空間なら、そんな空間なかった事にしてやらぁ」
言いながら中空へスプレーを射出する勅使河原は、
辺り一面、空間ごと白く染め上げると同時に駆け出し、
観察し続けていた一本の流星錘を掴むと強く引っ張る。
「そこかやァッ!」
勅使河原の読み通り、叫ぶ伊万里は反射的にもう一方の流星錘を繰り出して来る。
しかし、流星錘は的確に相手を捉える操作技術と高い動体視力が求められる武器だ。
視界の効かない状況下では、命中精度は著しく落ちるのは言うまでもない。
考え通り、もう一方の流星錘は勅使河原を捉える事なく空しく石畳に叩き付けられた。
「伊万里~っ、火事だぞ~っ!早くこっちに逃げて来いッ!」
勝機を見出した勅使河原が意地の悪そうな笑みを漏らしながら叫ぶと、
今しがた飛んできた流星錘の鎖をも掴む。
そして、そのまま体重を後ろにかけ、掴んだままでいる両の鎖を強く引っ張った。
「うッ!」
手繰り寄せられる伊万里は動揺の声を短く上げるが、
それも束の間、眼光を鋭く光らせると手繰り寄せられる力を利用しながら速度を上げ、前へと進む。
一方の勅使河原は相手を引き寄せながら、膝を軽く突き出した。
白の空間に蠢く二人の獣の距離が縮まり、激突するー
ぐわんと、まるで車が衝突するかのような音が
広場に響くと両者は顔を歪ませた。
前へと体を仰け反らせたまま頭突きを決める伊万里。
引き寄せられ、防御不能となった腹部へと膝を叩き込む勅使河原。
煙に包まれた白の空間。
獣と化した二人が苦悶する顔を隠すかのようにしていた煙が晴れていく。
乏しい光の中、至近距離から睨み合う二人の顔は、凄絶な笑みを湛えていた。
「随分苦しそうじゃねェか」
「お前がな」
「その減らず口は死ぬまで直らねぇと見た」
「お前の歪んだ頭に比べりゃあ、幾らかマシだ」
どちらからともなく罵しり合いを始める。
目一杯の殺意を孕んだ両の眼を合わせたままで互いにため息を付く。
自然な足取りで二人は若干の距離を取る。
「タヌキの大将よ。
度胸があるなら、やってみるか?素手喧嘩。」
「よぉく言ったもんだな、勅使河原ァ。
度胸もクソも、テメェは俺と同じ部類だろうにー
あの中坊の餓鬼の件はどうだ。ヤクザ者が学校にまで乗り込んで、よくやるわァ」
言いながら伊万里は上着の内側、両肩部分に取り付けられた流星錘を外す。
「俺は、あの餓鬼の件も許すつもりはねぇぞ、伊万里。
あれは組の大切な取引相手だった。
お前のお陰で宝条建設との密約もパーだ。
今も、樋口の野郎が頭を抱えてる」
「樋口ィ?あの喧嘩も出来ねぇお坊ちゃん補佐役かい。
交渉事しか出来ないような奴がどうなろうが知った事かよ。
それにしたって、勅使河原よォー」
無造作に流星錘を地面に放り投げた伊万里は、不満げに続ける。
「ヌルくなったな……
ヤクザもヌルくなったもんだァ、勅使河原よ」
失望するように呟く伊万里だが、勅使河原は何も答えない。
「お前の取引相手だかいう中坊の餓鬼よ。
俺は確かに頭ァ、かち割ってやったが、
それでも文句を言えない程度には下衆な奴だったぜ?」
「お前が他人の事を下衆と言うのも滑稽なもんだな」
「まぁちょっと口にチャックしとけよ。
俺はお前を嵌めるため、情報を引き出すために、あの餓鬼を拉致って虐めてやったんだがな。
そうしたら、聞きたくもねぇ、いじめ話が出るわ出るわでなぁ。
そしたら胸がムカムカしてきて、気が付いたら頭、かち割っちまってたんだよォ」
殺された宝条叡姫ー
あれは伊万里に拉致られる前には、学校で自分に責められ、悪事を白状させられていたのだ。
で、あれば拉致の際にも以前と同じような責めを受けていると考え、
ペラペラと罪の告白をするのは至極当然の事だろう。
勅使河原は思考を巡らせつつも不敵な態度は崩さずに言葉を返す。
「で、お前は何が言いたいんだ?
まさかとは思うが、それが遺言だって言うなら、もっと短くまとめた方がいいぞ。
俺から伝えられる最後のアドバイスだ」
「だからさっきから言ってるだろォ。ヤクザはヌルくなったってよ。
お前は、あの餓鬼の事を徹底的に締め上げて叩き殺すべきだったんだ。
昔の強くて恐ろしいヤクザだったら、まず間違いなくそうしてる。
もっと言えば、きっちり消しときゃあ俺に弱みを握られる事さえなかったんだぜ?」
「相変わらず独善的で過激な性格は直ってねぇらしいな。
お前、そんな幼稚な考え方しか出来ないから破門になるんだよ」
ぴくりと伊万里の眉がつり上がるが、勅使河原の追及するような物言いは止まらない。
「俺らの仕事は、殺しでも復讐代行でもねぇ。
糞外道をとっ捕まえたら締め上げて金に変えるだけだ。
目的を履き違えて、暴れて殺すしか出来ない武闘派気取りの無能に、
暴力のプロにして任侠道を往く極道が務まるのかよ」
勅使河原は、ここに来て初めて真剣な眼差しで睨みを効かせる。
そこに、いつものような酷薄な笑みは一片足りともない。
人を小馬鹿にするような飄々とした態度さえ、微塵もなかった。
長いようでいて、短い沈黙。
澄みきった夜の空気に研ぎ澄まされていく殺意。
そしてまた、どちらからともなく、静寂を破って言う。
「素手喧嘩だ」
乾いた口から呟かれる一言。
それは、向かい合う二人の男から同時に放たれた。




