急襲
「すっかり遅くなっちまったな」
勅使河原は黒塗りのBMWで都内を走る。
向かう先は根城であるオリンポス事務所だ。
速やかに事を片付けるためには、まず事務所に隠された武器庫へ立ち寄り、
戦闘準備をしなければならない。
急行する勅使河原は事務所へと到着すると、車を降り、玄関口へと駆け出す。
「おい、俺だ!てめえらのボスにして神話を創る男である俺が帰ったぞ」
勅使河原は玄関扉を開け放つと夜番をしているであろう二人の組員へと向け、
冗談めかした声を上げながら事務所へと足を運ぶ。
「……?」
だが、事務所の中からは何の反応もない。
兄貴分である勅使河原が帰ったというのに、
事務所は静まり返り、出迎えさえ来ない。
その不気味な静けさに勅使河原は何かを感じ取ると口を噤み、
忍び足で奥へと踏み出す。
灯りは付いている。
耳を済ましてオフィスへと歩いて行くと、
きいきいと何かが揺れ動くような音が聞こえてくる。
勅使河原は警戒しながらパソコンが立ち並ぶオフィスルームへ足を踏み入れると、
そこには無惨な光景が広がっていた。
「優弥ッ!」
鉄臭い血の匂いに思わず大きな声を上げる。
踏み入れた広い縦長の室内中央には、両手を鎖で拘束され、
天井部分から吊り下げられている血だらけの組員が体を揺らしていた。
「おいッ!優弥、生きてるか!
おいッー」
声を上げる勅使河原は床に散乱している凶器に気付く。
そこには真っ赤に染まった金槌とネジの山。
見れば優弥と呼ばれた組員の身体には至る所にネジが打ち付けられ、
赤黒い血を床へと滴らせている。
「優弥!てめえ、死んじゃいねえだろうな!?
誰にやられたっ!おいっ!」
その叫びが届いたのか優弥は薄く目を開けると息も絶え絶えに口を動かした。
「あっ……兄貴。
全身黒ずくめの痩せた男が入って来て……
野郎、武器庫はどこだって。俺、応戦したんだけど」
「優弥っ!やっぱ生きてるじゃねえか!
お前、この、心配させやがって!
体、痛ぇだろうが、まあ落ち着け。
大丈夫だからよ。今すぐに医者へ連れてってやるからな」
「兄貴。俺、全く歯が立たなくて……すみません。
けど、武器庫の場所だけは俺、言いませんでしたから。
あいつ、武器庫は見つけられてませんから」
「武器庫なんか、どうだっていいっての!
どうせうちの事務所には大した得物は入っちゃいねぇんだ。
銃器の類も全然別のトコで厳重管理してるしな」
勅使河原は努めて笑顔を作り言った。
「慎二は、慎二は、どうしたんですか。あいつ、死んでねぇですか」
尚も喋る優弥に一瞬、戸惑うような顔をする勅使河原だったが、
すぐに笑顔に戻り、言う。
「馬鹿だな、お前は。
慎二がそんなに簡単にくたばるタマかよ。
人の事なんて気にしてねえで、自分の身体の事を考えろっての」
勅使河原は携帯を取ると、鎖で体を拘束されている優弥からは
見えない位置にいたもう一人の組員、慎二へとそっと目を向ける。
赤くなったカーテンに包まれる窓際下。
そこには頭を割られ、横たわる組員、慎二がいた。
絶命している事は、一目見ればすぐにわかる酷い有り様だった。
おそらくは、あの裏切り者の得意な暗器による攻撃を受け、即死したのだろう。
勅使河原は歯軋りすると雅史へと電話をかける。
雅史はすぐに出た。
「もしもし、兄貴ですか?
会議、お疲れ様です。随分遅かったでー」
「雅史、今から金と桃と合流しながら事務所に来い。
優弥がやられた。医者へ連れてってやってくれ。
俺は今すぐここを出なけりゃならねぇ。
それから、絶対に一人になるな。いいか、絶対にだぞ」
雅史は驚き、何やら喋っていたが
勅使河原はさっさと電話を切ると素早くオフィスに隠された武器庫へと向かう。
「出来ればこんな物は使いたくねぇが。
相手が相手だ。使える物は全て使わないとな」
勅使河原は大急ぎで装備を整え、優弥の所へ戻る。
「優弥。出血の方はこの程度なら命に別状はない。
この釘も全て急所を外してある。
お前、あの野郎の拷問趣味のお陰で助かるんだぜ。
そう考えるとざまあねぇだろ」
「その代わり、痛ぇですけど……
でも、どの道兄貴が仇を取ってくれるんだから俺は安心です」
「当然だ、全て俺に任せておけ。
極道を舐めたらどうなるか、たっぷりと思い知らせてやるからな。
お前は吉報を待って寝ているといい」
「へへへっ」
微かに笑う優弥に微笑みかけると、勅使河原は踵を返し、玄関口へと向かう。
「そういや、兄貴。それ、使えるんですか?」
優弥が絞り出すような声で兄貴分の背中へと問う。
部屋を出て行こうとする勅使河原は、その声に振り向きもせず返した。
「天才である俺になら使える」
程なくして、事務所の玄関扉が大きな音を立てて閉まった。
勅使河原の自信に満ちた返事を聞いた優弥は、血を流しながらも笑っていた。
「ははっ。兄貴なら本当に使えるのかもしれねぇな」
※※※
時間は午後十時を回り、夜は深みを増していく。
深まっていく夜の闇にも街の光は煌々と輝き、
その様子はまるで迫り来る暗黒へ逆らうかのよう。
人が死のうと危険な野郎が彷徨こうと、この街が眠る事はない。
車で街を駆ける勅使河原は、携帯を手に取ると電話をかける。
「おう、俺だ。俺の大切な妹分たちは家に帰ったか?」
「ああ、オーナー。お疲れ様です!
まだ一人出てますよ。もう帰ると思うんですけどね」
「ちっ、こんな遅くまで何やってんだ。
それでも健全極まるデートクラブか。
一応、女子高生って事になってんだろうに、残ってるのは里琴か?」
「里琴さんは客が付かなくてここで漫画読んでます。
出てるのは亜梨沙さん。大物捕まえたみたいですよ」
「いらねぇ。すぐに帰らせろ。そして今日は誰も一人にするな。
亜梨沙を帰らせたら里琴も含めて待機させて、全員朝まで起きてろ」
それだけ言うと勅使河原は電話を切る。
「ったく、せっかく俺が健全な女子高生デートクラブを開いてやったってのに、
亜梨沙の奴、こんな遅くまで仕事しやがって。
女子高生っぽくなくなるだろうが」
焦燥しつつも勅使河原は電話をかける。
コール音は二つもしない内に亜梨沙は電話に出てくれた。
「亜梨沙、デートは中止だ!
すぐにクラブへ戻れ!これは補佐役としての命令だからな!」
「………」
「亜梨沙……?」
沈黙が不安を煽る。
嫌な予感に背筋が冷たくなる。
勅使河原はすぐさま電話を切ると携帯で亜梨沙の位置情報を探り出す。
示された位置は車で走れば遠くない場所であった。
ハンドルを切り、急転換すると進行方向を変える。
左に曲がった先にあるコンビニの裏手側。
十分もかからず辿り着くと、
勅使河原はコンビニの裏手に倒れている亜梨沙を確認し、駆け出す。
「亜梨沙!生きてるか!」
「………ッ!」
見れば亜梨沙は猿轡を嵌められ、
口を開く事が出来ずにいるようだった。
駆け寄る勅使河原は猿轡を外そうと屈み込み、手を伸ばすが、
ふと、背後に気配を感じ、飛び退きながら振り返る。
「勅使河原。今度はどんな揉め事?」
静かな足取りで歩き、近付いて来たその人物は、里琴であった。




