逢引
叡姫が呼び出されたその翌日、金曜日の事。
梨夏は今日も普段通りに登校する。
いつもと同じ通学路。
いつもと同じ見慣れた風景。
でも、昨日までとは何かが違う。
そんな不思議な感覚を抱く梨夏は教室の扉を開け、席へと着く。
叡姫は、いない。
昨日、校内で呼び出された叡姫はそのまま帰って来なかったのだ。
クラス中が不思議に思っていると、
叡姫は家庭の事情で引っ越す事になったと放課後に発表があった。
荷物まで置きっ放しのままであったが、
後日、先生たちで届ける事になっているらしく、
教室に残っている叡姫の私物は全て回収された。
突然やって来た教育学部生。
そして呼び出しを受け、
出て行ったきり教室へ帰って来る事のなかった叡姫。
この二つの件から、
梨夏はいじめの件が秘密裏に解決されたのだと感じていた。
「それでさ、裏門の方で叡姫がさ~…」
梨夏が席に着くと女子生徒からの噂話が聞こえて来る。
「え~、それって本当なの?
幾らなんでも、それってなくない?」
「本当だって!
私、お昼休みの終わり頃に窓から見ちゃったんだって。
叡姫がスカート濡らしてこそこそと裏門の方へ歩いて行くの」
「やだ~!
それじゃお漏らしして隠れるように学校出て行くみたいじゃん」
「もしそうだったら、
色々苦しい理由付けて黙って去るしかないよね~。
だって、教室にさえ戻らなかったの、おかしいし」
「何かかわいそ~だけど、汚~い。
てかさ、佳南さ。
叡姫と仲良くなかったっけ?」
「仲良い訳ないじゃん。
あいつと一緒にいると得する事が多かったから一緒にいただけだよ。
叡姫、年上のイケてる男とも親交あったし」
「それマジ!?
年上って、ハゲて太ってお金持ってるおじさんだったりして?」
到底、噂話とは思えない大きな声で話すクラスメイト達をよそに、
梨夏はぼんやりと考え込んでいた。
【二人だけで大切な話がしたい。
無理にとは言わないけれど出来たら金曜日の放課後、来て欲しい所がある】
梨夏は思い出す。
昨日の帰りの事、
梨夏の下駄箱の中にメッセージカードが置かれていたのだ。
慌てるようにしてカードを取った梨夏は、内容を確認すると、
今日、金曜日の放課後に会いたいといった文言が書かれていた。
ーどうしよう。
考え込む梨夏の耳には周囲の噂話さえ遠くなる。
突然やって来て謎の告白をしたと思えば、
朝の挨拶だけ済ませて姿を見せる事さえなかった教育学部生。
そして突然いなくなった叡姫。
どう考えても、いじめの件に絡んでいるのはわかる。
話というのも、おそらく私から事情を聞くという事なのだろう。
会って、話してみたいけれどー
梨夏の顔が火照るように熱くなる。
男友達の一人もいない梨夏にとって、
勅使河原は刺激の強い存在であり、
また、美形でもあったので梨夏は変に意識しすぎていた。
がらりと聞き慣れた音が鳴り、教室の扉が開く。
はっとした梨夏は目の覚めるような思いで前を見る。
すると、どういう訳か知らない教師が教壇へと歩いて来て言った。
「突然なんですが、
多嘉良先生は体調不良という事で暫くお休みをする事になりました。
多嘉良先生が復帰するまでの間は私の方で担任を受け持たせて頂きます。
皆さん、よろしくお願いしますね」
多嘉良の代わりに担任となったその教師は
白い歯を見せながら挨拶すると新しいホームルームが始まった。
※※※
「勅使河原」
小綺麗な事務所で里琴が言う。
「そこまでする必要があるの?
もうあのモンスター外道生徒は財布に出来たんでしょ?
これで終わりでいいんじゃない?」
「ふふん、パーフェクトな男である俺は完璧主義なんだ。
何であれ、美しく、格好良く解決しなきゃ気が済まねぇ。
それに、本命はあの餓鬼じゃない。
宝条の父親のカネだ。
愛娘の不祥事をネタにすりゃ、カネが引っ張れる」
「だからスポンサーね。多嘉良と理事はどうするの?」
「二人とも全て無かった事にしたいってよ。
証拠はこっちで握ってあるからな。
暫くはお小遣いでも貰っておくさ」
「じゃあ今回は大儲けだね。
そしてそうやって儲けたお金で、あの子と遊んで来るんだ。
私とはデートしてくれないのに」
勅使河原は髪をセットしながら言う。
「はいはい。いつか行こうな。おっと、もうこんな時間だ。
おみやげにカップラーメン買って来てやるから、
大人しく待ってるんだぞ。
それと、雅史が帰ったら窓拭きでもさせといてくれ
どうも窓枠の所に埃が溜まっていけねぇ」
「わかった。
雅史君が帰ったら勅使河原はにやけた顔して
女子中学生とデートに行ったって伝えておく」
「わかってねえじゃねぇか!」
髪のセットを終えた勅使河原は、
急ぐように出て行くとその後ろ姿に向かって里琴は呟いた。
「これも義理人情ってものなのかな」
※※※
黄金色の夕日に照らされた小さな公園前。
細い脇道に車を止めた勅使河原は、
遊具の方を見ながら立っている少女の方へ歩いて行く。
「梨夏ちゃん、来てくれたんだ。待たせて悪かったね」
後ろから声をかけられた梨夏が振り向く。
「あっ、待ってなんかいませんから。
ちょっと私、早く来すぎちゃって。私の方こそすみません」
やや緊張したような声で言う梨夏に、
勅使河原は柔らかく微笑みながら言う。
「昨日、教室に入った瞬間、あの空気を感じて察したよ。
随分と辛かっただろう。けれど、今日を境にそれも終わりだ。
そのお祝いをしようと思ってね」
「やっぱりあの事、勅使河原先生が…?
でも、お祝いだなんて、そんな、とんでもないです」
慌てるように言う梨夏へ勅使河原は一旦言葉を切って言う。
「いい場所があるんだ。少しだけ付き合って欲しい。
絶対に楽しいからさ」
梨夏は顔が熱くなるような思いがしたが、
ぐっと堪えると、それが精一杯の返事なのか小さく頷いた。
極道と女子中学生を乗せたポルシェが都内を流れるように走る。
運転する勅使河原の隣で梨夏は、未だ驚きと感動に目を輝かせていた。
「すっごい車ですね…!
勅使河原先生って、普段からこんな高級車に乗ってるんですか?」
「ははっ、俺は先生じゃないって。けど、よく車の事知ってるね」
「詳しくはないですけど、ポルシェなんて私でもわかりますよ!
この車って、幾らするんですか?」
「忘れたけど…
一千万くらいだったんじゃないかな」
一千万という数字を軽く使う勅使河原に梨夏は驚愕しながらも憧れの顔を見せる。
「これくらいなら梨夏ちゃんだって買えるようになるよ。
全然、誰でも頑張れば買える範囲」
「むっ、無理ですよ!こんな高級車、私なんてー」
「でも、星の宮には入れた。
受験の時には無理だって思ってたんじゃない?」
突然出てきた学校の名前に梨夏は硬直するが、
思い返してみれば確かにそうであった。
「そうだ。制服じゃ何だし、ちょっとここ寄って行こうか」
車は通りに建つ店へと入り、停止する。
梨夏の目に入ったその店は、高級ブティック店であった。
「勅使河原さん…?
私、お金持ってないですし、こんな高そうな店はちょっと」
「いいからいいから。
女がデートで金の心配なんてするもんじゃないぜ」
「デ、デート!?」
車を降りた勅使河原は助手席のドアを開けると
エスコートするように梨夏を降車させ、
店内へと入ると気品溢れる店員が笑顔で出迎えた。
「ああ、勅使河原様。
本日はどのようなお召し物をお求めでー」
「この子を世界一美しく着飾ってやって」
それだけ言い放つ勅使河原は奥へと歩き去る。
勅使河原の後ろに隠れるようにしていた梨夏は
店員に案内され、服を見立てられる事になった。
※※※
ブティックを出てすっかり変身した梨夏を助手席に乗せ、ポルシェが走る。
高級ブランドの服を身に纏い、
先程までとは別人のようになった梨夏は、自分の姿に心底、驚くようにしていた。
「似合ってるじゃん。とても中学生には見えない。
どこかのお嬢様みたいだぜ」
「あのっ…この服、本当に頂いちゃっていいんですか?
凄く高かったんじゃないですか」
「値段?見てなかったなぁ。まあ気にしないで。
君を思う人からのプレゼントって事で」
「思うって…ええっ!?」
そのプレゼント代が叡姫や多嘉良の財布から出ている事を知らない梨夏は
何かを期待してしまいそうになる。
「着いたぜ、お姫様」
梨夏の頬が紅潮するのと同時に駐車場へと入ったポルシェが停止した。
「ここって、もしかしてスターツリー?」
都内で有名なデートスポットとなっているその高らかな塔を見上げる梨夏は
うっとりとした顔で呟いた。




