神父
ある日の夕刻、都内の学校から帰った少女は急ぐようにパソコンへ向かい、
食い入るようにそのサイトを見つめていた。
ー今日は特に酷かった。
潤んだ目からは涙が零れ落ちる。
優しい言葉に、救われる思いがする。
気持ちを聞いてくれるのはあの人だけ。
少女は【救済の小部屋】をクリックし、
会員専用パスワードを打ち込むと、白く、清らかな背景に包まれ、
天使の羽根が舞い散るチャットルームが現れる。
思えばこのサイトに巡り会ったのは一週間前の事だった。
怪しげな謳い文句と宗教を思わせるサイト構成。
詐欺か勧誘か、いずれにしてもまともなサイトでは
ないだろうとあの時は思った。
それくらいの事は中学生の自分でもすぐにわかる。
けれど、追い詰められた私の心には、
どうしようもなく深く、深く刺さってしまったのだ。
「神父様…」
ほんの少しの不安と、肥大していく期待。
この一週間でサイト上の掲示板に言いたい事、
聞いてもらいたい事を吐き出し続けた私は、
すっかり管理人の神父様からコメントを貰うのが楽しみになっていった。
ここでは会員が掲示板に書き込んだメッセージに対して、
神父様からのコメントが付くのだ。
登録はメールアドレスを入力するだけだし、もちろん無料。
スパムメールや聖書購入案内などもなかったし、
何よりも神父様の優しい言葉遣いとお人柄。
おまけに神父様は神学校卒業の経歴を持ち、
カトリック司祭の資格を持っているお方なのだ。
こう言うと大抵の人は笑うだろう。
おそらく過去の私も笑っていただろうから、
それを責める権利なんてないけれど。
ただ、画面越しとはいえ、実際に言葉を交わして来た私は、
神父様の事を信じるようになっていった。
「神父様、早く来て。私は今日を楽しみにしてたんです」
ディスプレイに映された秘密のチャットルームと
机に置かれた小さな置き時計を交互に見る。
あと三分。
大丈夫。神父様は、時間を守るお方だ。
約束の時間に来ないなんて有り得ない。
でも、お忙しいお方でもある。
もしも、急なお仕事でも入っていたら…
ううん、きっと来てくれる。
神父様だけは私を裏切らない。
必ず来て、この苦境を救ってくれる。
あと一分。
画面を凝視する。
キーボードに置いた指が微かに震える。
心なしか自分の心臓の音まで聞こえるような感覚を覚える。
何から話そう。
どう伝えよう。
あんな事を話して、神父様は私の事を嫌いになったりしないだろうか。
約束の時間が訪れる瞬間になって、少女に緊張が走る。
しかし時間は少女の気持ちなど省みない。
パソコンのステータスバーが約束の時刻を示すと、
チャットルームにサイトの管理人らしき者が入室して来た。
「神父様…!ああ、今日もちゃんと来てくれた!」
少女は目に涙を浮かべながらも歓喜の声を小さく上げ、
その細い指を滑らかに動かしていく。
兼ねてからの約束通り、チャットは始まった。
❭こんばんは、神父様
❭ごきげんよう、梨夏さん。今日もお会い出来て嬉しく思います。
❭聞いて下さい、神父様!
❭お話した件なんですが…
❭あいつらに復讐されました!
❭先生も、あいうtらn味方だった!
❭もう本当に私、死にたい!
❭今日なんて、私h
❭裸d
❭どうしtう、aつらゆるsない!!!!
チャットルーム内で梨夏と呼ばれた少女は、
会話相手である管理人の返事も待たずに次々と文字を打ち込んでいく。
そのせいか梨夏が打ち込む文字列は
徐々に正確さを欠いていくが、指の勢いは止まらない。
❭梨夏さん、まず落ち着きましょう。言いたい事は整理して、正確に伝えるのです。
一方通行のチャットが暫く続くと、
神父と呼ばれるサイト管理人は一言だけ書き込んだ。
❭……………
❭すみません、神父様。ずっと我慢してたから私、感情的になってて…
梨夏は落ち着きを取り戻すが、その代わりに目からは涙が零れ落ちる。
❭いいんですよ。取り乱す事は誰にだってあります。
もちろん私にも。
私たち人間の生は、常に戸惑いと共にあるのですから、
間違いを犯したっていいのです。
❭ありがとうございます、神父様。
❭梨夏さんは、とても礼儀正しいですね。
では、順を追って話して頂けますか?
❭……………
暫しの沈黙が訪れる。
余程言いづらい事なのか、梨夏の手は小さく震える。
やや間を置いてから、梨夏は意を決したようにゆっくりと指を滑らせていく。
❭今日、あいつらに裸にされて…写真も撮られて脅されて…
少女は白く、長い指を使って語り始める。
しかし、その内容は静かな指使いとは裏腹に衝撃的なものであった。




