性癖
狂惑する怪物が屋上で喚き、暴れ回る。
その深紅に染まった目は爬虫類のように大きく見開かれ、
口元からは泡を垂らし始めている。
「ぎおぉーッ!魔女ぉッ、もう五人殺ったぞぉ!
ひひっ、火炙りだぁーッ!」
勅使河原は、壊れた炉を見ながら煙草に火を点け、軽く一吹きすると言う。
「幻覚、錯乱、興奮ー
この変態には、何が見えてんのかねぇ」
「そこか~!
何でッ!まだ魔法を使うんだばぁっ!
ふぐっ!」
明後日の方向へ一直線に走り、フェンスに激突する炉が呻く。
「ははっ、魔法か。
残念だが、今見えてるのは全てお前の幻覚さ。
お前は俺の用意した幻覚剤を吸入しちまっただけだ」
「ひひっひ、また捕まえたぁ…」
炉が老朽化したフェンスの隙間に手を入れ、抱き付くような態勢を取った。
勅使河原は炉の背面へ向かい、静かに歩いて行く。
「あの時ー
俺が拳銃を突き付けた時に、お前はガキみたいに泣いてりゃ良かったのさ。
俺の放水攻撃で、お前は目や鼻から毒を摂取してたんだよ」
「魔女の骨は固いんだなぁ~。
でもォ、俺の力なら折れるぅ」
炉が力を込めると錆び付いたフェンスは、いとも簡単に折れ曲がっていく。
歩く勅使河原は、ついに炉の背中へと近付くと続ける。
「エンジェル・トランペットー
チョウセンアサガオから抽出された毒を、な」
それだけ言うと勅使河原は、最後の攻撃を炉の背面めがけて放つ。
元々老朽化していたフェンスは悲鳴のような音を上げると
根本から折れ曲がり、怪物を支えるのを辞める。
炉は、そのまま暗い空へと投げ出された。
※※※
廻る視界。
嗤う幾人もの勅使河原と蛇へと変じていく折れ曲がったフェンス。
重力に支配され、闇夜に放たれた自分の体。
命の最期を迎えようとした時、
炉の脳内では在りし日の事が走馬灯のように駆け巡る。
自分は、何故ここにいるのだろう。
思い返して見れば、全ての始まりは小学五年生の夏の日であった気がする。
夏休みが始まったばかりのあの日、
いつものように小虫を捕らえてはライターで炙っていた自分は、
両親に連れられ旅行へ行く事になったのだ。
旅行先は長崎。
目玉となる場所は原爆資料館だった。
多分、両親は戦争の恐怖と核の惨たらしさを子供に教えたかったのだろうと思う。
そんな場所、普通の子供だったら嫌がったかもしれない。
だが、その旅行は自分にとって願ったり叶ったりだった。
生き物を燃やす事が好きな自分は、人が焼け死ぬ所を見るのが夢であったからだ。
初めての原爆資料館。
両親に連れられ、それらを観覧する自分は泣いた。
焼け焦げた死体の山。
まだ生きているのが不思議なくらいに損傷した身体。
爛れた皮膚には蝿が集まり、蛆が湧く。
小さな子供を抱きしめたまま果てる母親。
咽び泣き、家族を探す子供。
無惨な光景は記録に残され、人々の胸を打つ。
もちろん、自分の胸もだ。
とめどなく涙が溢れてくる。
そう、感動の涙が。
後ろで母が、父が、心配そうな顔を浮かべている。
どうしてか、もう出ようなどと言う。
もっと、この芸術を見ていたいのに。
ほら、この女の体なんて芸術的だ。
焼け焦げ、髪の半分は皮膚ごと抜け落ちている。
顔が熱い。
胸が痛い。
下腹部がムズムズする。
恋という感情は、思春期に訪れるという。
今思えば、あれが自分の初恋であったのかもしれない。
そして初恋とは、多くの場合、実る事が無いものでもある。
自分の場合も例外ではなかったのだ。
その2ヶ月後、手術を受ける事になった。
医師である父は、
しがない内科医ではあったが自分の体の異常に一早く気付き、
手術の伝手を取ってくれたのだ。
病名までは知らない。
大した手術でもなく、入院さえしなかったので気にした事もなかったからだ。
元々、何の自覚症状もなかったが術後はすこぶる調子が良かったから、
やはりどこかしら悪かったのだろう。
それからは子供らしくスポーツに熱中した。
その一方、原爆資料館で目覚めた性癖は
成長と共に昂っていき、いつからか小動物まで焼くようになった。
上手くやっていたのでバレるような事はなかったと思う。
中学に上がると周囲に不良が増えていく。
大体は何の取り柄もなく、群れて息巻くだけの小虫だ。
自分は運動神経に優れ、教師たちにも期待されていたため、
狙われるような事はないが、おとなしいタイプの奴は途端に肩身が狭くなる。
ある日の事、機嫌が悪かった自分は苛めに遇うクラスメイトを救ってやった。
別に善意からではない。
ただ、大っぴらに殴り倒せる相手が欲しかったのだ。
相手は三人いたが、驚く程に弱く、漏れなく血みどろにしてやった。
もちろん、自分の行動は問題となり、教師に呼び出される事になる。
だが、呼び出された自分は怒られる事はなく、むしろ褒められさえした。
やはりと言うべきか、憂さ晴らしに使ってやった三人は普段から素行が非常に悪かった。
教師も、手をこまねいていたらしい。
その時に思い付いた事がある。
この社会に居場所の無い不良を使えば、
実現が困難な自分の夢を叶えられるかもしれないと。
原爆資料館で見た芸術の数々を、この手で再現出来るのだ。
そう思うと、自然と勉強にも運動にも力が入った。
その後は高校を卒業するまで優秀な生徒で在り続け、大学へと入学を果たす。
大学へ行ったのは一人暮らしをして
親の仕送りを得るためであったが、父も母も喜んだ。
その裏で自分は大学を休学し、夢のために各地を巡る事にした。
後は、どこにでも存在するアウトローに目を付け、
居場所の無い奴から燃やしてやればいいだけだった。
アンダーグラウンドには、
死んでも誰も気にしないような奴が幾らでも転がっている。
おまけにアウトローはプライドが邪魔をして警察に泣きつく事も出来ないのだ。
炙るにも放火させるにも、都合が良い。
それでもヤバくなればさっさと別の土地へ移るだけ。
単純な方法ではあったが、完璧でもあったはず。
完璧だったはず、なのにー
※※※
「ぐぎおぉッ!」
壊れたフェンスの先で人体が揺れる。
今際の際で炉は、屋上の周りを囲むパラペット(出っ張り)部分へと左腕を伸ばす。
しかし、伸ばされたその手は、あと少しの所でパラペットを掴み損ない、
重力が無情にも炉の体を支配する。
落ちるー
その瞬間、屋上に立つ勅使河原の右腕が伸びて来た。
「ーッ!?」
天の助けのように伸びてきたその腕は、強く、しっかりと炉の左腕を掴む。
その腕を辿って行くと、つい先程まで溶けて分身していた男が、
優しげな表情を浮かべていた。
「可哀想になぁ」
勅使河原は、慈愛に満ち溢れた顔で言う。
助けられた炉は、蛙のように見開かれた目を丸くする。
「今、助けてやるからよ。
お前、コッチ側に来いよ。
そこはお前のいるべき場所じゃあない。
お前の居場所は、ここにあるんだ」
「ヤクザ、野郎…
お前ッー」
勅使河原は優しく微笑み、炉の左手首へ右腕を回すと、
その哀れな存在を救出するために動く。
「ほら、もうちょっとだからな。
動くんじゃねえぞ。すぐに引き上げてやる」
「が、敵わねぇな。
ヤクザの任侠話ってのはマジなのかい。
アンタ、大した野郎ー」
言いかけた炉は青ざめる。
勅使河原の腕は、予想を越える動きを始めていた。
その腕は片方でしっかりと炉の腕を掴んでいるが、
その一方で、もう片方の腕は炉の手首周辺で器用に動き続けている。
見えてくる意図に炉は顔を歪め、怒りを露にする。
「テメェ…
ふざっ、ふざけんなよ。
テメェ、このッー」
「だから動くなって、危ないからさ」
言いながら手を動かす勅使河原が、無事に仕事を終える。
すると、その手はあっけなく炉の腕を離した。
再び重力に支配された怪物は、ついに落下を始める。
その赤い目が最後に見たものは、
大切そうにロレックスの腕時計を握り、
微笑みながら口を動かす勅使河原の姿であった。
「無事で良かったぁ~、俺のロレックス。
お前まで落としちまう所だったぜ。
あんなド変態に装着されて、可哀想になぁ」
勅使河原が嬉しそうに言うと、
屋上下からはドシャリと肉の塊が潰れるような音が響いた。




