開戦
東京都 瑞季区 椚の門五丁目。
日本の首都にありながらもゴーストタウンと呼ばれるその一帯は、
人っ子一人として居住者はいない。
バブル期に開発の機運が高まったものの、不景気の煽りを受け、
打ち捨てられた町に点在する廃屋の一つに、
首筋に炎の刺青を象った男がオペの準備をするかのように
種々様々の薬品類を並べ、ジッポライターを弄んでいる。
「ケンジの奴、来たか?もう、こっちは準備出来てるんだけど?」
「はい。炉さん、あと10分くらいで着くようです。
いつものように校庭まで連れてくるように言ってあります」
「タラタラしてんなよ。久しぶりの火炙りショーを提供しようっていうんだ。
もっとみんな楽しみにして欲しいもんだ。メンバーはどれだけ集まったんだよ」
「もちろん、総勢118人、校庭に集まります!
ひ、火炙りなんて滅多に見れないイベントですから。
みんな集まりますよ」
冷や汗をかく男は奥歯が鳴るのを堪えながら、炉の機嫌を伺うように言う。
必死に言葉を紡ぐ男の恐怖を察した炉の方はというと、心底がっかりしていた。
ーヤンキーってのは馬鹿な上に気が弱いもんだ。
自分は医学の知識もある程度は持ち合わせているし、
処置の仕方も知っている上、薬品だって用意している。
余程の事がなければ人は焼死など出来ないものなのだ。
まあ、簡単に死ぬ事が出来ないという点ではさぞ恐ろしい事かも知れないが。
「熱傷指数 = 1/2 × Ⅱ度熱傷面積 + Ⅲ度熱傷面積…」
炉は陶酔した表情を浮かべ、呪文のように計算式を呟き出した。
よく見ると、その下腹部は大きく膨れ上がり、勃起しているのが見て取れた。
※※※
夜道を往く軽トラが揺れる。
荷台に載った除草道具も、武者震いの音を立てる。
助手席に座る勅使河原はパソコンを見ながら言った。
「廃校舎か。放火魔の墓場にするには、丁度いいな。
人体模型に目が光るベートーベンもいるだろうし、死んでも寂しくねぇだろう」
「奴ら、何人集まってるんですかね?
確か、結構な規模なんですよね?」
「残酷ショーの時間だからな。
暴君ってのは、こういうの見せつけたがるからなぁ。
ひょっとしたら全員集合かもよ」
「マジっすか。全員って、100人以上じゃないですか!
俺ら全部で16人ですよね?どうするんすか?」
「まあそうビビるなって。
所詮は騒ぐしか能のねぇ悪童だ。余裕で殲滅出来るって」
「ビビっちゃあ、いないですよ!
作戦とかの事を聞いてるんですって!」
叫ぶ雅史に対し、勅使河原はいつものように薄く微笑み、パソコンを閉じて言う。
「多対戦には心得ってもんがあるんだよ。
喧嘩なんてのは勝ち方さえ知ってりゃあ始まる前から制したようなもんだ」
「心得っすか。具体的には…?」
「ゲリラ戦だ」
勅使河原が耳打ちし、雅史が驚いたような顔を見せた所で、
いよいよ軽トラは廃校舎の正門前へと近付いて行く。
※※※
錆び付き、変色した廃校の正門の先。
小さな木造校舎の前に広がる校庭には夥しい数の不良たちが集まっていた。
至る所にキャンプ用の明かりが立てられ、
薄ぼんやりとした校庭の奥まった場所には、
古ぼけた朝礼台らしき物があり、上には手錠で朝礼台に固定されたケンジが震えていた。
その傍らには炉が立ち、隣にガソリンの携行缶が置かれている。
火炙りショーを前に、ざわめき立つ火達磨のメンバーたちの元へ、
悠然と走る軽トラが音を立てて正門を潜り抜けてきた。
「なんだ、ありゃあ?」
「除草業者か?」
「何でこんな夜遅くに…
って、あれー」
口々に言う不良たちは、助手席側の窓から上半身を出す勅使河原を見て、
はっとしたような表情を浮かべる。
「ちわーッス!除草に来ましたーッ!」
満面の笑顔で元気良く叫ぶ勅使河原は、
左手に持った筒を炉に向けると、大きな打ち上げ花火を放つ。
パアアアンッ!!
轟音と共に飛んでいく花火は炉の顔を掠め、古ぼけた朝礼台に命中する。
突然の奇襲に、ざわめきは一層大きくなったが炉は動じる事もなく言った。
「誰だよ、お前。除草業者なんか呼んでねぇよ」
「残念ッ!外れちまったか。
いっぺん放火魔の顔面、焼いてみたかったのになぁ」
軽トラは、徐々に速度を緩めると校庭の中央で止まる。
極道対暴走族。
16対119の戦い。
開戦の火蓋は、切って落とされた。




