終幕
戦争時ではなく通常時、軍人を育成する軍学校とその生徒への接触、暴行、襲撃は国際法で禁止されていて、それを破った者はどのような身分であろうと処罰が与えられる。
だがそれは軍学校の生徒も同様で、故意による他国の軍への接触、危害等は禁じられ、どちらも自身の身を守る行為であった場合にのみ罪には問われない。
「ははっ、まいったな……」
首元に剣を突き付けられているのにどこか余裕を見せるニルスは、軽く両手を上げ苦笑しながらツェリ教員を見上げた。
「何か誤解しているようだが、後悔したくなければこの剣を直ぐに下ろせ」
「誤解?夜半に紛れて他国の領土で悪さをする者達に、どのような誤解をしていると?」
「私は不肖の弟を連れ戻しに来ただけだ。知人に頼み内密に呼び出し連れ帰る予定だったのだが、そこの少女が私を人攫いか何かと誤解したらしい」
「軍学校の生徒への接触、暴行は禁止されている」
「暴行……?はっ、おかしなことを言うな」
鼻で笑ったニルスが足元に転がっている騎士を一瞥したあと、ツェリ教員の背後を顎で指し示す。
「理由も知らず飛び出し邪魔をしてきた子供を追い払おうとしただけだ。それにうちの者は、そちらの生徒に深手を負わされている」
ニルス側は、騎士が腕、ドアンが肩を負傷し、残る騎士はダンが放ったであろうナイフを首に受け倒れたまま。それに比べこちら側は私の髪と利き手の負傷といったもので目立った傷はない。
「そこの護衛は、既に息絶えているのだろう」
こちらを一瞥したニルスが、首元にある剣にそっと指で触れ「どかせ」と声を低くする。
「追い払うか……私が目にしたのは、うちの生徒がそこで息絶えている騎士に斬られる寸前だったのだが?」
「脅かす為に剣を振り上げたのだろう。それに関しては誤解を招くようなことをしたこちらが悪い。だからそちらの責任は追及せずにおこう」
「いや、それには及ばない。君とそこの騎士、それとドアンも、身柄を拘束したあとこの国の法で罰せられるのだから」
「……何を、この私を拘束するだと?」
「法を犯したのだから当然のことだろう?」
「お前、私を誰だと……!」
顔を強張らせ声を荒げたニルスをツェリ教員は相手にせず、リックさんに向かって指先を動かし指示を出す。それに従い即座に動いたリックさんはドアンの両腕を縄で縛り、ニルスとツェリ教員の足元で倒れている騎士も拘束してしまった。
残るは私の側に倒れている騎士だけなのだが、そちらの方へ顔を動かそうにも、先程からダンの手によって顔を正面に固定されているので生存の確認をできずにいる。
「……ダン、そこの騎士は」
「ツェリのおっさんが、法を犯したら厳罰に処すって言ってただろう?これは緊急性が認められるからお前が気にすることじゃない。それよりも問題はアレだろ」
アレとダンの手によって顔を動かされた先にはシルとセヴェリがいて、二人は蒼白になった顔でその場に直立しながら、ニルスとツェリ教員のやり取りを見つめている。
シルとニルスは兄弟で、しかもスレイラン国の王子。男爵家と身分を偽り軍学校に入ったことを知られたら、軍学校は退学となり、保護という名目で捕らえられスレイラン国に強制送還、または政治的な取引に使われるかもしれない。
そうなれば、シルは実兄を助けたいと言っていたが、助けるどころか逆に足を引っ張ってしまうだろう。
シルとセヴェリの心中を察し、何とかならないのかと唇を噛み締めハッとする。
私はシルとニルスが話しているのを聞いていたから、二人がスレイランの王子で、兄弟だということを知っていた。だからダンに問題はアレだと言われたとき、素直にそうだと思えたが、そもそもダンは何故シル達を問題視したのだろうか?
ダンに頬をぐにぐにと揉まれながらどういうことだと口を開く寸前、肩を震わせ激昂していたニルスが「ふざけるな……!」と怒鳴り声を上げた。
「私の身分を知ればっ」
「スレイラン国の第二王子だと記憶しているが?」
「は……?」
ニルスの言葉に被せて放たれたツェリ教員の言葉に驚いたのは、本人と私とシル達だけで、リックさんやダンは顔色ひとつ変えずにいる。
「では、拘束させてもらおうか」
「っ、待て、お前が生徒だと庇う者達は身分を偽って軍学校に入ったのだから、どうせ退学になる。だとしたら私は法を犯したことにはならない筈だ。あの少女が問題だと言うのであれば、こちらと痛み分けに、おい、離せ……!」
「離すわけにはいかないな」
腕を取られ拘束されたニルスが不敬だと喚くが、ツェリ教員は素知らぬ顔でニルスの両腕を縄で縛ってしまう。その様子を唖然と見つめていた私の背後ではダンが、「あの人元騎士のくせに、結構えげつないんだよな」とぼやいている。
「私を拘束すると言うのであれば、あの二人も拘束するべきだろう!?身分詐称は重大な違反だと」
「彼等のことを言っているのであれば、違反ではないので君が心配をする必要はない」
「心配など……おい、今何と言った?違反では、ないだと?」
「身分や国を問わず受け入れるのが軍学校だが、だからといって緩いわけではない。教員や入学してくる生徒、そこで働く者達、その全ては身元を徹底的に調べられ、危ういと判断されれば監視対象となる。これはどこの国でも常識だよ」
「初めから分かっていて泳がせていたのか……」
「泳がせていたのはドアンだけだ。シルヴィオとセヴェリーノに関しては、彼等が入学して暫くしてから、彼等の身元引受人が新たに手続きをし直している」
「……」
「え、っと……身元引受人?」
縄を引っ張られ強制的に立たされたニルスは怪訝な顔をし、少し離れた位置に立っているシルは驚き疑問の声を上げた。
「昨年作られた特別クラスだが、あれは貴族が多いという理由だけでなく、翌年にとある方が入学すると決まっていたからこそ試験的に作られたものだ。それに伴い、軍学校に居る者達は再度調べられ、入学者は厳重に身元を調査された。それによって私は数年早く隠居生活を送れることになったのだが暫くは暇でね、後々問題にならないようスレイラン側に内密に接触し、身元引受人となったディック・アールクヴィスト王子に新しく彼等の書類を書き直してもらった」
「兄上に……?」
ツェリ教員は目を丸くするシルに頷き、驚き口を閉口させているニルスに向かって「だから詐称はしていないよ」と薄く微笑む。
初めから、何もかもがツェリ教員の手の内だったと認めたくないのか、顔を歪めたニルスは縄で縛られた腕をなりふり構わず振り回した。
「あいつ、祖国を裏切ったのか……!」
「あいつがスレイランの第三王子を指しているのだとしたら、それは間違いだ。身元引受人は彼だが、最終的に許可を出したのはスレイランの国王だよ」
「ち、父上が……?」
「王位継承争いが白熱していると聞いていたが、想像以上に酷いことになっているらしいね。王位を放棄した王子や王女を他国に逃がすのは良い決断だと思うよ」
「……っ」
「あちらの国王も、まさか逃がした息子が他の息子に命を狙われるとは思っていなかっただろう。王族が率先して法を犯し、それが他国に露見しこうして拘束されては国の恥だ。果たしてスレイラン国は君を解放する交渉に応じるのだろうか……」
「そ、れは」
呼吸すらままならず愕然とするニルスに、ツェリ教員は「では行こうか」ととても優しく微笑む。普段であれば見惚れるほど美しく儚い笑みなのに、私の肩は震え、背筋が寒くなるほど恐ろしい。
「セレス、立てるか?」
「問題ないが、このまま軍幕まで戻るのか?」
「そうなるな。砦には連絡が入っている筈だから、馬とあれらを乗せる馬車でこっちに向かっていると思うけど」
「あ、フィンが!助けを呼びに森の中に入って」
「大丈夫だから落ち着け。森の中で会って軍幕に戻るよう言ってあるから」
「会って……」
はあっ……と深く息を吐く私の頭を撫でたダンが、「あーあ」と短くなった髪を指で弾く。
「これどうすんの?」
「……どうとは?」
「セレスは貴族令嬢だろう?そうじゃなくても、髪は女の命って聞くし」
「来年の成人までには伸びるだろう」
「それでも短いじゃん。マズイな、今から覚悟をしておけよ」
「覚悟?」
「そそ。今回は王族の拘束だから、元帥とルジェ大佐が来るんだよ」
「……」
「元帥はまだしも、ルジェ大佐はセレスが砦にいたときに肌が焼けたとか言って騒いでいた人だぞ?その髪を見たら……卒倒するか、あの王子様の首は落とされるだろうな」
ニルスを見ながらくふっと笑うダンの袖を即座に掴み「どうしよう」と口にするも、首を左右に振られてしまう。
ダンに脅されカタカタと身体を震わせる私と同じく、少し離れた場所ではニルスが同じように震えている。
「困ったね。痛み分けではなくなってしまったようだ」
「……っ」
「君のこの状況をスレイランの民が知れば、どう思うのだろうね」
「……」
「砦には客人用の部屋があるらしいから不便ではないと思うよ。そこで交渉役としてこちらの国に赴く使者を待つといい」
「使者……っ、今外交を担っているのは……!」
「第三王子だろう?彼はまだ若いというのに交渉事に長けていると聞くから、安心していられるだろう?」
「……」
「そう悲痛な顔をしなくても、こうして抵抗せず素直に従っていれば、悪いようにはならない」
言葉でひたすら心を抉られ続けているニルスに抵抗する気力はなく、態とか、それともうっかりなのか、尚もずっとニルスを精神的に追い詰めるツェリ教員に、シルとセヴェリは顔を引き攣らせている。
「あの人、絶対性格が悪いよな。どことなくニック大佐と同じ匂いがする」
「あれが善意なのか悪意なのか分からせないところが恐ろしい」
森の中を歩きながら、ダンとリックさんは延々とツェリ教員の性格について話をしていた。




