逃走
軍学校での初めての演習は、教員の指導の下、街から近い野外で一泊を過ごすという経験を積ませる為のもの。だから各自持参している荷物の中に武器となるものは短剣しかない。
短剣は長剣よりも軽く扱いやすくはあるが、攻撃力が低く、それを補う技法が必要となる。日頃から鍛錬を積む軍人ですら、短剣ひとつでは防ぐだけで精一杯だというのに、演習すら初めての軍学校の生徒が長剣を持つ騎士相手に上手く立ち回れるわけがない。
シルが振り下ろされた剣を短剣で受け止めきれず、吹っ飛ぶように地面に転がった。瞬時にセヴェリがシルを守るように立ち、正面から剣を受け止めようと構える。
「……っの、馬鹿が」
それを見た私は茂みから飛び出し、走った勢いのままセヴェリを突き飛ばした。
「早く起きて、走れ……!」
眼前に迫った剣先をぎりぎりで避け、地面に手をつきながら背後に向かって叫ぶ。
再び振り下ろされた剣を横に避けながら騎士の腕を短剣で切りつけ、距離を取る為に後ろへ飛んだ。
腕を押さえた騎士は軽く周囲を見回し、もう一人の騎士はニルスの背後から横に移動する。
「誰かと思えば……これは、予想外の獲物が引っ掛かったようですよ!」
そして、数時間前まで私達の担当教員であったドアンは、私を見て目を細めたあと、ニイッと嫌な笑みを浮かべ声を張り上げた。その声に釣られるように私へ近付いて来たニルスが「獲物?」と口にすれば、ドアンが両手を広げ嬉しそうに語りだす。
「この子は、あのランシーン砦の化け物、ラッセル国軍の元帥であったフィルデ・ロティシュの孫娘です!」
「……あれの孫娘だと?」
ニルスが前に立つ騎士を退かし、私を見て目を見開く。
「銀の髪に、赤い瞳か……間違いないのか?」
「この色彩を持つ者は他にいませんよ」
「そうか」
私を真っ直ぐ見つめたまま何か考えていたニルスが、先程のドアンのように口角を上げた。
「邪魔な者を始末できるだけではなく、有益な人質まで手に入るとは……」
人質という言葉に眉を顰めながら、即座に動けるようニルスではなく騎士の動向を注視する。
「多少傷を付けても構わないから、それは生け捕りにしろ」
ニルスの言葉が合図となり距離を詰めようとする騎士を見て、ズボンのポケットに入れていた小さな筒を騎士に向かって投げつけた。
「……っ、げほっ、何だ、これは!」
ニルスや騎士達が筒から出た粉で咽ている隙に、呆然と突っ立ったままのシルとセヴェリの腕を掴み「走れ!」と叫び、森の中に向かって走り出す。
「どう、して……」
私に引っ張られるように走るシルが何か言っていたが、「しっかりしろ!」と叱咤し腕を離した。ここからは自身で力の限り走ってもらわないと困る。
ニルス達から「この粉は、何だ……!」と聞こえてくるが、その粉が何かは私も知らない。非常事態のときは敵に向かって投げつけるようにと、街の門に居たダンから手渡された物だから。
「そのまま真っ直ぐ……あの茂みを突っ切るぞ」
隠れる所もなく月明りのある川沿いでは不利なので、暗い森の中を進む。
何度も草木に足を取られ思うように距離が稼げず、ただひたすら走るにも限界がある。徐々に走る速さが落ちてきていたシルとセヴェリが、とうとう足を止めてしまった。
「おい……」
「待って、少し、だけ……」
「……ふっ、は」
息を切らしながら太い木の幹へ手をつく二人を急かすが、まともに返事もできない状態では走ることなど不可能だろう。
深く息を吐いたあと木の根元に二人を座らせ、走って来た方角を見張る。
「何か策はないのか?」
先程のニルスとシルの会話を思い出し、ないとは思うが念の為にと訊けば、一瞬固まったシルが眉を下げゆっくりと首を横に振った。
「あれはただの時間稼ぎだったから」
「だろうな……」
「ごめんね」
「セヴェリは……そうか」
「すまない」
まだ息を切らしているセヴェリを見るも、ふるふると首を横に振られ謝罪されてしまう。
「フィンが野営地まで教員を呼びに行っている。だから、このまま逃げ続けるぞ」
「フィンが?」
「教員を連れて来るまでどれくらいかかるか分からないが、助けは来る」
「……そっか」
「それまで耐えれ……っ、身を低くしろ」
騎士の姿を見つけ、シルとセヴェリの頭を押さえつけた。
子供と大人の足では速さが違う。此処で休んでいた分、距離を縮められてしまったらしい。
「他は……」
暗く草木が生い茂る森の中だからか、私達を追うのに苦戦しているらしく、姿が見えているのは騎士一人だけ。
「走れるか……?」
「うん」
「大丈夫だ」
身を屈めながら静かにその場から移動し、騎士の姿が見えなくなってからまた走り出す。
日が昇れば、教員が駆け付けてくれれば、そんなことばかり願いながら闇雲に走り続け、少し開けた場所に出たときだった。
「見つけた」
直ぐ側から声が聞こえ、短剣を振ると同時にこめかみに痛みが走る。
「……っあ!」
「此処にいましたよ!」
獲物を捕らえた狩人のように、ドアンが誇らしげに私の髪を掴み上げた。
体勢を崩し引き摺られる私を助けようと手を伸ばすシルに「逃げろ!」と叫ぶが、それが癪に障ったのかドアンから脇腹を蹴られ一瞬息が止まる。
「黙って大人しくしていた方がいいよ。君はあれらとは違って、命だけは助かるのだから」
「っは、げほっ」
「その手に持っている短剣は必要ないね」
「……ああっ!」
短剣を持つ手を踏まれ、ゴキッ……と嫌な音が鳴るのを耳にしながら、痛みと共に悲鳴を上げていた。手から離れた短剣は蹴り飛ばされ、そのまま数メートル先まで引き摺られて行くと、根本が腐って倒れた木に腰掛けているニルスの前に放り投げられた。




