タイムリミット
「ニルス兄上。私が、何の下準備もせず軍学校へ入ったとお思いですか?」
自身を見下ろす青年に向かってそう口にしたシルは、直ぐに立ち上がって距離を取り、再び彼等に向かって口を開いた。
「私の母の力をご存知では?」
「……側室とはいえ、資金や人脈は腐るほど持っていたな……だとしたら、お前が此処に居るのはその母親の指示か?」
ニルスと呼ばれた青年の問いに、シルは曖昧に微笑むだけで答えはせず、意味深な言葉で相手の気を引き会話を続ける。こういった駆け引きは助けが来るまでの時間稼ぎとして上手い手ではあるのだが、それは助けが来る前提での話だ。
教員や他の生徒ならまだしも、同じ班の私達にすら何も告げずに野営地を抜け出し森へ入ったシルとセヴェリ。二人が戻って来なければ火の番をしていた教員の誰かが気付いたかもしれないが、恐らくその辺りはドアン教員が何か工作をしていることだろう。
要するに、本来であればシルとセヴェリがどれだけ時間を稼いだところで助けが来るわけがなかったのだ。
事情を話せないことは理解できるが、自分の命を狙っている兄の元へ何の備えもなしに向かう間抜けがどこにいる?と呆れていれば、握り締めている短剣からギチッ……と音が鳴り、慌てて力を抜いた。
今直ぐにでもシルの顔面を掴み罵倒してやりたい気持ちを押し殺し、まだ続いている彼等の会話に意識を戻す。
「臆病な息子の為に、あの側室もご苦労なことだ」
「誰が臆病だと……?」
「戦争が怖いからと他国の顔色を窺うお前の兄のことだ。先日は、父上にまで異議を唱えたらしいじゃないか」
「内輪揉めで国が疲弊している最中に、他国とまで争うべきではないと、兄上は国や民のことを考え進言しただけです」
「本当に国や民のことを考えているのであれば、お前の兄が王位を諦めれば良いことだろう?それすらしようとせず、国や民を言い訳にするべきではないと思うが?」
スレイランでは継承順位の入れ替わりが激しく、王位継承争いが絶えず、ここ数年はずっと第一王子と第三王子で激しく争っているとは耳にしていた。
だから王位を争っている本人達とは別に、こうして彼等の弟達までもが対敵の足をすくおうと策を巡らしているのだろう。
「王位を諦めろと言うのであれば、それは王の器ではない第一王子では?」
「ほぉ……私の兄上を侮辱するか」
「第一王子だというのに、部屋から出ず書物を読み漁っていると有名ではありませんか」
「兄上は博識で多才。人を使うことに長けている方だ。だから私は、兄上の仕掛けた罠に掛かったお前を狩るだけでいい」
今問題なのは、シルの挑発を鼻で笑って受け流すニルスだ。
シルの挑発的な態度に腹を立てるでもなく、圧倒的な有利に酔いしれるわけでもない。獲物に絡みつき、じっくりと締め続ける蛇のように徐々に追い詰める嫌なやり口に眉を顰める。
「いくら臆病者とはいえ、実の弟が他国に命を奪われたとなれば、平和協定がどうと甘いことを口にするディックも考えを改めるだろう」
「真っ先に疑われるのは、ニルス兄上ですよ」
「それはどうだろう。ディックの対敵である兄上と私は、今夜は王宮で開かれている夜会に出席しているからな」
「……は?」
「今頃は、代わりの者が私の振りをして兄上の横に立っている筈だ」
「代わり……?」
「だから真っ先に疑われるのは、お前の亡骸が見つかるトーラスにある軍だ。日頃から争いが絶えず、煙たい存在である国の王族が手の中にやってきたのだから、色々と理由をつけ始末するのは当然のことだと思わないか?」
「……下衆が」
「こうして態々お前の悪あがきに付き合ってやったというのに、随分な言われようだ。では、もうそろそろいいか……」
気だるげにゆっくりと首を回したニルスが右手を上げ、人差し指をシルへと向けたあと。
「そいつらを殺し、亡骸をトーラスの門の前に転がせ」
冷たく言い放った。
瞬間、ニルスの背後に立つ騎士は剣を抜き、シルとセヴェリも即座に短剣を構える。
少しずつ距離を詰める騎士達に対し、シルとセヴェリは距離を取ろうと後退するが、二人の後ろには川がある。
今思えば、シルもセヴェリも自分達のことについてはあまり話さず、全て二人で完結させていた気がする。笑みを絶やさず本音を悟らせないシルと、表情の変化が乏しく口数が少ないセヴェリは、素性が露見しないよう常に気を張り詰めていたのかもしれない。
「全く……」
西と東との諍いは絶えないが、表立って戦争をしているわけではない。だから互い国の者達は平然と行き来するし、貿易だって行っている。婚姻、または何らかの理由で移住してくる貴族だっているし、他国の王族が遊学という名目で数年間だけ学園に在籍することもあったと聞く。
平民や自国の王族、貴族なら兎も角、他国の王族が軍学校に入ったという例はないだろうが、正式に国に伺いを立て、後で揉め事にならないよう明確に条件を定めて書面に残し、互いの国が合意すれば、機密情報などを扱うことのない軍学校であれば素性を隠すことなく入ることができたかもしれない。
王位継承争いの真っ只中、自身の大切な人達に何も告げず勝手な行動をしたのは完全なる悪手だ。
無事に戻れたら、先ずは説教だな……と腰を上げた。




