森の中
森の中に生い茂る木々が月の光を遮り、その木々の隙間から真っ直ぐ地面に線のように光が降り注ぐ。
外からは暗く不気味な森にしか見えなかったのに、中に入れば思っていたよりも明るく、澄んだ空気と神秘的な光景に息を呑む。
「凄い……って、違う」
空を見上げて感嘆の声を漏らしたフィンは、それどころではないと頭を左右に振ったあと近くの茂みに向かいしゃがみ込み、何かジッと観察したあと「やっぱり」と口にして私を手招いた。
「見て、草が踏みつけられている。通るとしたら草木が少ないこの辺りだと思ったんだ」
「ここから奥へ?」
「あっちは明かりがないから暗い。向こうは茂みの奥に低い木が密集しているから、枝を手で退かしながら進まないといけない。だからここから奥へ向かったんだと思う」
手つかずの深い森に道はなく、月の光と僅かな手掛かりだけを頼りにシル達の後を追わなくてはならない。初見だというのに地図もなく、彼等を見つけるどころかこちらが迷子になりそうな状況だというのに、フィンは迷うことなく道を選び、時折何か呟きながらも真っ直ぐ進んで行く。
「随分慣れているな」
「んっ、慣れているというか、父親が軍人だから。長期の休みになると山や森に連れて行かれて、色々と叩き込まれたんだ」
「暗い森の中の歩きかたも?」
「偵察隊に入るなら必須技能だって言われたから覚えたんだけど、今のところ偵察隊に入る予定はないかな」
「知っていて損はないということか。フィンのお父様に感謝しなくてはいけないな」
「まさか軍に入る前に役に立つ日がくるとは思っていなかったけど」
軍人の親を持つフィンのおかげでこうして支障なくシル達の後を追えているが、草と木しかない森の中の景色は変わらずどこを見ても同じようにしか見えず、無暗に歩き回れるような場所ではない。
森の中へ入ることを禁止されていた意味が図らずも分かってしまった。
「姿が見えないな……」
「まだそう遠くへは行っていないはずだけど」
奥へと進むにつれ生い茂る草木に行く手を阻まれ、視界が狭く足元も覚束ない。時折背後や頭上から聞こえる獣や鳥の鳴き声に足を止め、周囲を警戒しながら再度動き出す。
こういった森の中には毒を持つ生き物や植物が多く、必要以上に気を付けなくてはならないので肉体だけでなく、精神的にも疲労する。
そういったものの対処法などは軍学校で教わるが、現時点ではまだ教わっていない。
初めての演習で森の中に入る予定などないのだから当然のことなのだが……。
「まだ奥へと向かっているみたいだけど、どうする?」
立ち止まり私を窺うフィンから視線を外し、目を細め森の奥を見つめるがシル達の姿はない。
「このまま進むか、それとも引き返すか」
「このまま後は追えるけど、あの三人がどこへ向かっているのかは分からないし、何かやっぱり変だよ」
「悪い予感ほどよく当たるものだからな」
「こういったときにどう行動するかによって、その先が天と地ほど違うって父さんが言っていたんだけど」
「現役軍人がそう言うなら、そうなんだろう」
誰が見ても様子がおかしかったシルとセヴェリ。そんな二人と共に深夜に森に入って行ったドアン教員。彼等は特別親しいわけでもなく、禁止されている森に入って行く理由もない。
「来た道を戻ることはできるな?」
「それは、できるけど」
「何かあれば軍幕へ戻って教員を呼んできてほしい」
「セレスティーアは?」
「残る」
「だ、駄目だよ。それなら僕が残って、セレスティーアが軍幕に」
「私一人で森を出られるか分からない。それに、フィンのほうが私より足が速いだろう?」
「出られ……ないかな……そっか、森の中で迷うのも危ないし」
ぶつぶつと呟くフィンの肩を叩き、そろりと私を窺うフィンに微笑む。
「何かあったときの話だ」
「……何もないことを祈るよ」
「ほら先へ進むぞ。シル達の無事を確認したい」
「うん」
彼等に追いついたら心配をかけるなと説教してやるのだと口にするフィンに苦笑するが、頭の隅では警報音が鳴り響いていた。
※
「……セレスティーア」
「待て、枝が」
「あれ、あそこ」
細い枝を手で退かし、少し先を歩いていたフィンの横に並ぶ。彼が指差す先には、森の中に突然現れた月明りで光り輝く川が。遠征中に水を汲みにくると言っていたのは、恐らくこの川なのだろう。
そして、川辺に立つ数人の影。
フィンに目配せしたあと直ぐに姿勢を低くし、耳を澄ませながらゆっくりと四つん這いで人影のほうへと移動する。
「……当たったか」
「祈ったのに」
川辺には探していたシルとセヴェリが居て、勿論ドアン教員も一緒に居るのだが、何故か三人の他にも人が居る。
暗色のケープコートを着た体格のよい男達と、それらを従えるかのように立つ青年。
「見覚えは?」
「ない」
「それなら、あれらは軍学校の関係者ではないのか」
様子を窺いつつ、彼等の声がハッキリと聞こえる位置まで慎重に近付いていく。
「あの男達、騎士か?」
「騎士って?」
「あの青年の側に立っている男達のことだ」
「……護衛には見えるけど、鎧を着ているわけでもないのによく分かるね」
「雇われた護衛にしては身形や体格が良すぎる。それと、コートから長剣が見えるか?」
「あ、うん」
「グリップの部分に装飾が施されている。あれは国に仕えている騎士の中でも階級が高い者が持つものだ」
「だからあの人達が騎士だと?」
「恐らくは」
「でも、それならあの男の人は、騎士に守られるような身分ってことじゃ……」
月明りのおかげでシル達の姿がよく見える。
シルとセヴェリの前に立ち、彼等に向かって挑発的な眼差しを向けている青年。艶のある赤褐色の髪に整った顔。軽装だが貧相な感じはなく、品がある。
「どう考えても、王族かそれに準ずる者だろうな」
「ぇ……っ」
フィンの口元に人差し指を当てたあと、ゆっくりと細心の注意を払ってシル側の茂みへと移動する。彼等との距離は僅か数メートル。些細な物音ひとつ立てただけで見つかる距離だ。
「まったく、酷い顔だな」
愉悦を交えた声音でそう口にした青年の手がシルへと伸ばされ、その手を避けようと顔を背けたシルは顎を掴まれ無理矢理顔を上げさせられた。
抵抗する素振りを見せないシルに眉を顰め、そのまま様子を窺っていたのだが……。
「久しぶりに会った兄に対して挨拶すらできないのか?」
青年の口からとんでもない言葉が飛び出した。
兄……兄とは、シルの……?
「っふ……!?」
ヒュッと空気を吸い込む音が隣から聞こえ、瞬時にフィンの口を片手で覆う。驚き過ぎて目の瞳孔が開いているフィンの頬を指でむにゅっと摘まむ。
シルに兄妹がいるとは聞いていたが、確か実兄以外とは仲がよくないと口にしていた。
「挨拶をするような仲でしたかっ……うっ」
「相変わらず生意気な奴だな」
実兄を語っていたときのシルはとても幸せそうで、今のように険しい顔などしていなかった。だとしたら今そこに居る青年は、母親が違う兄のほうなのだろうか?
「お前はアドーテの長男か」
振り払うように掴んでいた手を離した青年は、よろけたシルを支えるセヴェリへと顔を向け、値踏みするかのように上から下まで眺めたあと鼻で笑う。
その尊大な態度に慣れているのか、セヴェリは常と変わらない無表情で対峙しながら頭を下げた。
「お久しぶりです、第二王子殿下」
「無能な第四王子のお守りも大変だな」
「よい経験をさせていただいております」
「はは、よい経験だと?あぁ、そうか、お前達は揃ってディックの後ろをついて回るだけの無能だったな」
青年が笑えば、彼の側に立つ男達とドアン教員からも失笑が漏れる。
何が楽しいのか、笑っているのは青年達だけで、シルとセヴェリは彼等を見据えたまま。
不穏な空気が漂う中、肩を寄せているフィンが私の耳元で「王子」と囁き、彼等に向かって指を振ったあと「ディック」と続け首を傾げた。
青年が第二王子で、シルが第四王子。セヴェリはシルのお守りで、ディックというのはこの場にいない誰か、他の王子か、またはシルの実兄のことだろう。
私もフィンの耳に口を寄せ「他国、知らない」と囁く。
「最近姿が見えないと思えば、まさか軍学校にいたとは」
「……」
「ドアンから我が国の第四王子が軍学校に居ると聞いたときは耳を疑ったぞ?」
「ドアン教員は、スレイランの者ですか」
青年が「兄」と口にしたとき以上の衝撃を受け、一瞬息が止まった……。
ラッセルの王族でないことは確実だったが、まさか、よりにもよってスレイランとは。
私と同じく衝撃を受けたであろうフィンは自身の両手で口を覆い、顔を青褪めさせながら固まっている。
「どの国も他国に間諜を潜ませているものだ。それが国を守護する騎士団や軍であろうと例外なくな。ドアンは私の優秀な子飼いだ」
「……」
「前騎士団長が軍学校で教員をするというから、軍ではなく軍学校へ潜り込ませたのだが、どうやらタイミングがよかったらしい」
「私は運がなかったようですね……」
「そう睨むな。この今の状況は、ディックが弟に子飼いのようなことをさせた所為だ」
「兄上は関係ありません」
「それならこれはお前の単独か。どうりで、あいつにしては愚かな行いだと思っていた」
「いっ……!」
青年がシルの前髪を掴み上へと持ち上げれば、身体を浮かせたシルが痛みに声を上げた。その声に反応しフィンの身体が微かに動き、まだ駄目だと腕を掴む。
「はな、せっ……!」
「愚かな弟の所為で、ディックには一生消えない傷が残るな」
「何、を……?」
「分からないか?私の兄上とディックが王位を争っている最中に、あいつの弱点になり得るお前が私の手の中にあるんだぞ?」
「私をっ、取引の材料にでも、使うつもりですか?」
「まさか!ディックに真正面から喧嘩を売るほど、私は愚かではない」
掴んでいた髪を離した青年は、地面に膝をついたシルを見下ろしながら冷たく微笑む。
「だからお前は、私にではなく、ラッセル国に殺されたことにしよう」
物騒な言葉に息を呑み、冷たい汗が背中に流れるのを感じながら短剣に手をかけた。
駄目だ、どう考えてもこのまま何事もなく無事に戻れるとは思えない……。
「第二王子殿下。シルヴィオはスレイランの第四王子で、側室とはいえ国内最大派閥を持つ侯爵家の息女であるベルタ様の実子です。その息子に手を出せばどうなるか、分かっておられる筈では?」
「私がそんなことも分からないと思うのか?」
「それでしたら、このままどうか国へお戻りください」
「演習があると聞き、態々此処までそれを狩に来たというのに戻れと?おかしなことを言うものだ。お前は私が言ったことを聞いていなかったのか?」
「……」
「シルヴィオを殺すのは、私ではなく、ラッセル国の軍人だ」
「私達がスレイランの者だと軍学校に報告したところで、まだ成人前の子供です。何か処罰があるとしても命までは奪われないと思いますが?」
「そうだろうな。だが、何故報告などする必要がある?此処で始末し、お前達がスレイランで亡くなったことをディックが知ればよいだけだ」
「そう簡単に騙されるような方ではありません」
「だが、大切な弟の亡骸を前にして冷静な判断ができるわけがない。それまで張り詰めていた糸が切れ、隙を見せ、対処に遅れ、王位から遠ざかれば上々だ」
「ラッセルに罪をなすりつけ、戦争になっても構わないのですか?」
「望むところだ」
会話の流れから、ドアン教員を含めた青年達はシルの実兄の政敵であり、彼等は予めシルを狙って今夜この場所を訪れた。
しかも、最悪なことに捕らえにきたわけではなく、命を奪いにきたと……。
「フィン、軍幕に戻れ」
青年側には騎士が二名とドアン教員がいる。対してこちらは実戦経験などない軍人見習いの子供だけ。
「教員を連れてこい」
「……時間がかかるよ」
「分かっている。急げ」
「逃げることを優先して」
躊躇うことなく直ぐに動き出したフィンに頷き、シル達の会話へ耳を傾けながら完全にフィンの姿が森の中へ消えたのを確認し、体勢を整えた。
――お願いだから、まだ事を起こすなよ……。
祈るように短剣を握り締め、激しく鳴る心臓を落ち着かせるようそっと息を吐き出した。




