ネックレス
その姿に、思わず息を呑む。
王族が、しかも他国の王子がこうして頭を下げることなど滅多にない。
「顔を、上げてください」
動揺を隠せないまま声を掛けると、ゆっくりと顔を上げたディックの瞳がまっすぐこちらを捉えた。
「心から感謝する」
そう口にしたあと、ディックの視線が私の隣に立つフィンへと向けられた。
「君にも、とても感謝している」
「……あ、いえ」
「君達二人がいなければ、シルヴィオもセヴェリーノも、今ここにはいなかっただろう」
「私達だけの力ではありません。軍学校の教員も、御爺様達だって」
「それでも、最初に動いたのは君達だ」
言葉を遮るように静かな声でそう言われ、私とフィンは口をつぐむ。
「それに、今回の件で得たものがある」
ニッと口角を上げたディックに首を傾げると、面白がって私達を眺めていた御爺様が、ふんと鼻で笑った。
「お前のような奴がそこまで喜ぶということは、相応の代償を払わせたんだろうな」
「代償だなんて人聞きの悪い。ただ、必要な処置を取るだけです。今回の報告書は、国王である父上だけではなく、軍の上層部にも回します。ニルスが何をしたのか、その結果として国が何を支払ったのか。護衛の死も、他も被害も、全て細かく」
「……ほお」
「それによって、第一王子派は軍部からの信頼を大きく失い、軍の人事も、予算も、これからは俺のところに集まると」
「完全に掌握するつもりか」
御爺様がそう問い返すと、ディックは肩を竦め微笑んだ。
「元々、現場の指揮権はほとんどこちらのものです。ただ、上層部の椅子にはまだ第一王子派の古い連中が残っているので、今回の件で彼等を『危険な派閥』として整理しなくてはなりませんが」
あくまで正当な処置だと笑うディックに、御爺様は眉を顰めながら顔を横に振って見せた。
「とんでもない奴の手に渡ったな、スレイランの軍部は」
「俺の方がまだマシだと思いますよ」
軽口を交わして微笑み合うディックと御爺様を眺めていると、フィンがぽつりと「兄弟って似るんだね」と呟き、私はその言葉に同意するように力強く頷いておく。
「そして」
ふいに視線をこちらへ戻したディックが、「すまない」と短く謝罪した。
「君達が命懸けで繋いだ結果を、俺は最大限利用させてもらう」
「当然のことかと。謝罪される必要はありません」
「……それだけではなく」
問題はないと伝えたのに、ディックは眉根を下げ「それも」と小さく呟いた。
彼の視線がゆっくりと私の肩口へと移り、その瞳が微かに揺れる。
「その髪は……ニルスだろう?」
「いえ……これは、自分で」
「牢で、ニルスが銀の髪を持っていたんだ」
「髪、を……?」
――私の髪を、誰が、何だって?
聞き間違いだろうかとディックを覗うも、彼が冗談や嘘を口にする筈もなく、胸の奥がひやりと冷えた。
そういえば、あのとき切り落とした髪がどうなったのか私は知らない。
ニルスの手から逃れようと咄嗟に髪を切り落とし、そのままシルを助ける為に走って……。
だから、あの髪はあの場に落ちたままの筈だ。
――その筈なのに……。
「大切な思い出だと言って、胸元にしまい込んでいた。取り上げようとすれば、こちらにも考えがあると脅してきたほどだ」
「……」
何の為に髪を?大切な思い出とは?脅すほどの価値がどこに?と、そんな疑問が頭の中をぐるぐると巡り、肩に触れる短い髪の感触が妙に心許なく思えてしまう。
「ニルスは、興味を持ったものに対して異常なほど執着する。だから恐らく、君にその執着を向けているのだと、思う。……本当に申し訳ない。あの髪は必ず取り戻しておく」
申し訳なさを滲ませるディックを見て、(ああ……だからか)と腑に落ちた。
先ほどから、彼の視線が私の髪へと何度も向けられていた理由がようやく分かった。
貴族令嬢にとって、長い髪は女性らしさや身分、美徳の象徴とされるほど価値を持つ。その髪を短く切るときは、罰を受けたときか、修道院に入るときくらいなものだろう。
けれど、これはそう悲観するようなことではなく、寧ろ友人を守れた証だと思っている。
「髪はまた伸びますので、気になさらないでください。シルとセヴェリを失うことに比べれば、髪のひと束くらい安いものです」
「……」
「長い髪は訓練の邪魔でしたから、丁度良かったのかと」
目を瞬くディックにコクリと頷けば、何故か皆、同時に手で顔を覆って天を仰いだ。
「……本当に、君は……ありがとう。君には頭が上がらないな」
すると、ディックはふっと息を漏らし、堪えきれないように破顔した。
「でも、気をつけてほしい。ニルスにはなるべく関わらないように」
「はい」
どんなに頼まれたとしても、二度と会いたくはない。
他国の王族と関わる機会などそうあるとは思えないが、もしものときを考えしっかり頷いておく。
「おい、そろそろ行け。あれをいつまでもここに置いておくな」
「……分かっています」
さっさとしろと言わんばかりに手をひらひらと振る御爺様に、ディックは苦笑しながら胸元へ手を入れ、服の下に隠れていた細い鎖を引き出し留め具を外して私の前へ掲げた。
「手を」
言われるままに手のひらを差し出すと、黒い石のついたネックレスをそっと乗せられた。
「これは……」
石を確かめるように手を少し動かせば、光を受けて表面に微かな艶が走る。その独特の光り方に見覚えがあり、まさか……と顔を上げた。
「黒曜石……ですか?」
「ああ。幸運と繁栄を祈り、俺の誕生祝いに母上が作らせた物だ」
そんなとんでもなく大切な物を、どうして私に……と眉を顰めると、ディックがそっと私の手のひらを両手で包み込んだ。
「持っていろ」
「……何を」
「もし何かあればこれを見せろ。スレイラン側には、俺に取り次ぐよう話を通しておく」
「……」
「君の周りで、スレイランに関わる厄介事が起きたら……必ず使え」
「ですが」
「貰っておけ」
「御爺様!」
「くれるというのだから何も問題ないだろう。そうだな?」
「ええ」
くれるからといって貰えるような品物ではない。
「いつか返してくれればいい」
「分かりました……大切にします」
「そうしてくれ」
ほっと息を吐いたディックも、御爺様を睨む私も、この場にいた誰ひとりとして知らなかった。
このネックレスが、スレイラン国第二王子ニルス・アールクヴィストに絡まれるたびに、幾度となく引っ張り出されることになるなど。
まさかこの先、何十年にもわたってニルスに執着されることになろうとは、想像すらしていなかった。
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