嵐の前の静けさ
「寒いっ……」
降り積もっていた雪は解け、もうすぐ春になるというのに空気はまだ冷たく、足元から身体が冷えていく。制服の中に厚手のシャツを着るだけでは足りず、肩から掛けている大判のストールに身を包みながら弱音を零すと、隣を歩くシルから笑い声が聞こえてきた。
「セレスは寒さに敏感だよね。それだけ着込んでいてまだ寒いなんて」
「どれだけ着込んでいても寒いものは寒い。フィンだって似たような恰好だぞ」
「だって大分暖かくはなってきたけどそれでもまだ寒いから」
「えっと、フィンは暖かくなってきたって言っている人の恰好ではないような……」
「毛糸の帽子に手袋までしているフィンは異常です」
「これが普通なんだよ。薄着で外を歩くシルヴィオとセヴェリーノがおかしいの!」
厚着のしすぎでモコモコしているフィンを、妙な生き物を見るような目で眺めているセヴェリにシルが大笑いしながら、学舎の一階の通路を歩く。
今向かっている先には、先日行われた定期試験と実技試験の順位表が貼られている掲示板があるのだ。
「うっわ……時間をずらしたのにまだ混んでいるし」
「これでも大分空いたほうなのでは?」
「でも全然前が見えないよ……っと、確認してくるからセレスは待っていて」
「あの隙間から前に行きましょうか」
「あ、待って、二人共。僕も行くっ、あ、すみません、通ります」
人混みの中へ入って行くシル達を眺めながら、通路の壁に寄り掛かった。
一月後には学年が上がり、軍学校も三年目となる。
二年までは定期試験と実技試験の結果によって、クラス内で、上位、中位、下位、と順位付けがされ、それ相応のクラスへ移動が可能だったが、三年からはなくなる。
なので、一年生は慎重にクラスを選び、二年生は今回の結果によって最後のクラス移動を申請する。
だがそれらは、クラス替えのない私達には関係はない。
それなのに毎回こうして張り出された当日に順位を見に来るのは、自分自身の能力を確認する為に必要なことだから。
「だから、私は前からフィンは腹黒いって言っていたよね?」
「腹黒っ……!?え、待って、腹黒いのは僕じゃなくてシルヴィオだから!」
「私達はフィンにすっかり騙されていたようです」
「セヴェリーノまで……!」
順位表を確認しに行った三人に何があったのか、楽しそうに騒ぎながらこちらに向かって走って来るシルに苦笑し、壁から身体を離した。
「お待たせ、セレス。そろそろ第二王子殿下との待ち合わせ時間だから、少し急ごうか。あ、フィンの腹黒さは歩きながら教えてあげるね」
「腹黒い……?フィンが?」
「そんな何かの間違いでは?みたいな顔をしているけれど、今回の実技試験の順位を聞いたら納得するよ」
実技試験の順位?と首を傾げると、シルの後でぶんぶんと顔を左右に振るフィンと目が合った。口を閉口させ何か訴えてきているようだが、残念ながら何も分からない。
「実技試験の順位はさ、入学してからずっとセレスが一番で、次いで私とセヴェリといった順位だったよね?」
「そうだな」
「で、今回の実技試験はセレスが怪我をして受けられなかったから、一番の座が空くんだよ。そこに誰が座ったと思う?」
「シルかセヴェリではないのか?」
「それが違うんだよ。今回の実技試験の一番は、この素知らぬ顔をして実力をひた隠しにしてきたフィンだよ!」
「素知らぬ顔って、そんなつもりは……」
「友達だと思っていたのに、私達はずっと騙されていたみたいなんだ」
「騙していたわけじゃなくて、ただ目立たないようにしていただけで……っ、演習のときのようなことがまた起こったとき、僕も力になれればって思ったから一生懸命やろうと」
「そうだ、定期試験は今迄通りセレスが一番だったよ」
「シルヴィオ、僕の話を聞いている……!?」
シルに揶揄われて涙目のフィンを慰めながらガゼボへたどり着くと、そこには既にレナートと、彼の側近であるスノーとヘイルが居た。
「待たせただろうか?」
「……セレス!大丈夫、来たばかりだから」
本を読んでいたレナートに声を掛けると、パッと顔を上げたレナートがふわっと愛らしい笑みを浮かべ、顔を左右に緩く振った。少し前までは顔を振ると肩まであった真っ直ぐで綺麗な髪が揺れていたのに、今は切られてしまったので揺れることはない。
――あの演習から戻って来た日。
用事を済ませると言い別行動していたツェリ教員が、レナート達を連れ教員室に戻って来た。あの演習でのことは国家間の問題となる為、この国の第二王子であるレナートが呼ばれたのだろう。
『セレス、髪がっ……頬に傷も……』
手当を受けている間ずっとニック大佐から叱られていた私以上に、教員室に入るなり立ち尽くしたレナートが、悲痛な面持ちで声を震わせていたのを今でも覚えている。
『一緒に居たあの二人の所為で、セレスが怪我をすることになったの?』
無表情でシルとセヴェリを見据えながら低い声で問い掛ける姿は、いつものあどけなさの残る可愛らしいレナートではなかった。
此処は王都の学園ではなく、何かあれば戦場となる場所に置かれた軍学校。勝手な行動をすれば怪我をするし、命だって危うくなることもある。それは軍学校に通う生徒全員に言えることであり、王族であるレナートやシルにだって当てはまること。
『でも、演習での怪我ではない』
冷たい声でそう呟いたレナートは、教員から詳細を詳しく説明された後も、暫くはシルとセヴェリを敵視していたほど。
「セレス?」
休日明けにレナートに会ったとき髪は既に切られていて、レナートは男らしくなったと笑っていた。
髪が短くなっても天使のようではあるが、あの手触りの良かった髪がなくなると寂しいもので、名残惜しげにレナートの頭を撫でると不思議そうな顔をされてしまった。
「いや、明日のことだったな」
「うん。明日の午後、ランシーン砦にスレイランからの使者が到着するから、午前中までに砦に来るようにって」
「あの王子は、随分と長い間拘束されていたな……」
「スレイランの第三王子に相当嫌われているんだね」
明日は休日だが、今ガゼボに居る面々はランシーン砦に召集がかかっている。理由は演習中に拘束されたスレイランの第二王子、ニルスの受け渡しが明日行われるからだ。
演習後直ぐにスレイランとやり取りをしたにも関わらず、冬が明けるまで受け渡しが行われなかったのは、スレイラン側から預かっていてほしいとお願いされていたから。
しかも、賓客という扱いで客室に監禁されていたニルスを、客人ではなく捕虜という扱いに変え牢に入れるよう要請してきたらしい。
軍側は喜んでニルスを牢に入れ、彼はずっと牢で生活をしていている。
「私もスレイランの第二王子から相当嫌われている気がするのだが……」
目的は果たせず、拘束され牢生活なのだから、とんでもなく恨まれているに違いない。
シル曰く、これらはスレイランの第三王子による嫌がらせを兼ねた日頃の報復らしく、流石は兄上だと大層喜んでいる。
冬が明ければスレイランの第三王子自ら使者としてニルスを引き取りに来るといっていた期日は、いよいよ明日に迫っていた。
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