第二ボタンは義妹に
第二ボタンは義妹に [だいにぼたんはいもうとに]
「柳川さん。柳川秀男さん」
三月頭、卒業式の日。卒業証書を受け取り、最後のホームルームも終わってさあ帰ろうとしたところで、突然フルネームで名前を呼ばれる。
慌てて振り返ると、文系組で学年トップの少女、厳島響が立っていた。
俺は思わず眉間に皺を寄せる。この三年間、彼女との接点は何一つなかった。入学した時点で文理のコース分けがされているこの高校で理系コースを選択した俺は彼女と同じ授業を受けることはなかった。体育も男女別々なので一緒になることはない。彼女はテニス部で俺は帰宅部。通っている予備校も違う。何から何まで被らなかったからこの三年間一度だって口をきいたことがなかった。
それが突然俺の名前を口にしたのだ。俺と彼女の交流のなさを知っている周囲の同級生や先生たちは目を見開いて驚いていた。
俺は俺で驚きはしたけれども、周囲ほどではなく、心をなんとか落ち着かせて「何?」と聞き返す。
「今日が最後なんです。一緒に校内を歩き回りませんか?」
その言葉に周囲に居た人間たちがあっと驚き、続けざまに囃し立てる。けれども俺はそれに気を留めることはなかった。なぜなら彼女の言う通り、今日が最後なのだから。
コクリと頷くと「行きましょう」と言って、俺を手招きしながら先導する。冷やかしの声に囲まれながら俺は無視して彼女の後を黙ってついて行った。
音楽室の前を通り「一緒に音楽の授業を受けることはありませんでしたね」と言われる。
美術室の前を通り「一緒に美術の授業を受けることはありませんでしたね」と言われる。
実験室の前を通り「一緒に実験の授業を受けることはありませんでしたね」と言われる。
テニスコートに立てば「一緒にラケットを握ることはできませんでしたね」と口にする。
プールの傍を通れば「一緒に泳ぐ機会には恵まれませんでしたね」と口にする。
卒業生たちで溢れかえっている校庭を横切って、空いているベンチを見つけて座りだし「ここで一緒にお弁当を食べることもできませんでしたね」と口にする。
そのすべてに相槌を打って応えた。
とりとめのない会話。俺のは単なる相槌だから会話にすらなっていないかもしれない。淡々とした受け答えだけれどもそれでも不思議と不快な思いはしなかった。
「座ってはどうですか?えぇっと……。義兄さん」
「もう義兄じゃないよ」とぶっきら棒に言いながら俺は響の隣に座った。
響は俺の義妹だった。小学校に上がる前に父親の再婚で突然できた義妹だ。
当時は「いもうとができた」と大喜びしたものだ。小学校に上がる前に出来た義妹だから、小学校の同級生たちは誰もが俺たちを実の兄妹だと思っていた。
その期待を裏切らず、登校するときはいつも一緒に手をつなぎ、休み時間になるたびにお互いのクラスに遊びに行き、下校するときはお互いのクラスメイトを連れて一緒に帰っていた。俺自身も当時は血のつながりなんて意識していなかったから、義兄妹と実の兄妹の区別がついてなかったし、響も同じように意識していなかったはずだ。
歌を歌いながら一緒にお風呂に入った。
おしゃべりしながら同じご飯を食べた。
はしゃぎながら同じ布団で寝た。
性別とクラス以外に違うことなんてなかった。
それが崩れ始めたのは高学年になってからだ。もし俺たち二人の学年が違ったならば、誰も気には留めなかっただろう。けれども俺たちは同学年で、誕生日が一ヶ月違いだった。双子ではないことは子供から見ても明らかだった。
そのことに気づいた同級生たちは彼らの親にそのことを伝え、俺と響の関係を尋ね始めた。勘のいい家の人は俺と響が血のつながっていない兄妹かもしれないと考え始めた。それを聞いたその家の子供たちは誰の了承も得ることなく、俺と響は兄妹ではないといい始めた。
周りからは兄妹とは認められなくなり、並んで歩けばカップル扱いされ始め、からかわれるようになってしまった。俺は腹を立てて、言い出した子供たちと取っ組み合いの喧嘩をしていたが、響はショックを受けてしまい、学校では俯きがちになってしまった。俺が一緒に登校しようと誘っても先に行ってというようになり、俺が一緒に帰ろうと誘っても先に帰ってというようになり、彼女の教室に遊びに行けば勝手に来ないでというようになり、学校内では距離ができてしまった。
家でも関係が変わり始めた。女の子であることを響が自覚し始めた。性別の違いを意識するようになって、俺と距離をとり始めた。
お風呂には一緒に入らなくなった。
ご飯の時は食べる量を減らすようになった。
同じ布団で寝ることを嫌がるだけでなく、別々の部屋がいいと言うようになった。
性別の違いが重大な問題だと意識していなかったころの俺は響の心変わりにショックを受けてしまい戸惑った。元の仲に戻れないかと一生懸命彼女の心をつなぎとめようとした。けれども日が経つにつれてまるで俺のことが嫌いとでもいうかのようになお一層距離をとろうとし始めた。
俺は落ち込み、もうどうすることもできないのかと感じて、家でも学校でも彼女と距離をとることを受け入れることにした。いつかまた昔のように仲良くなれることを信じて。
けれども、そう都合よくはいかなかった。
小学六年生の時、俺の父親と響の母親がすれ違いを見せるようになった。ほんの些細なことで互いに文句を言うようになった。文句の言い合いが喧嘩に変わった。口調が厳しくなり、手こそ出ないものの悪口雑言とはこのことか、小学生の俺と響が喧嘩の仲裁に慌てて入ろうとするほどに仲違いを始めてしまった。
互いに距離をとっていた俺と響だったけれども、今は大変な時だと感じて協力して俺の父親と彼女の母親を仲直りさせようと頑張った。けれども小学生の言葉なんて聞く耳を持ってくれず、卒業式を迎えた翌日、響の母親は響を連れて家を出て行ってしまった。
離婚したのだ。
そして響は義妹ではなくなってしまった。
それから三年経ち、再会したのは高校の入学式だった。
義妹だった少女はすっかり背が高くなり、小さく丸く小学生特有のかわいらしさがあった顔は端正な顔立ちへと変わり、セーラー服が非常に似合っていた。
彼女の姿を見かけたとき、心臓が跳ね上がる思いだった。突然消えてしまったあの少女が今目の前にいるのだと。
けれども俺は中途半端に大人になってしまった。無邪気に再会を喜ぶことができなかった。彼女は俺の父親が嫌いになった女の人の子供。俺と響が交流することを知られれば、俺の父親と彼女の母親は不機嫌になるかもしれない。
それが怖くてせっかくお互いに顔をあわせ、ほんの一瞬目が合ったのに、察しのいい俺たちは互いの状況を理解し、口を利くことはなかった。
そしてそのまま高校生活の初日を終えてしまった。
いつか、いつの日か、一緒にもう一度話せる機会があれば。そう願っていたけれども結局機会に恵まれず、そのまま三年が過ぎ、今に至る。
関係修復はもはや無理だとあきらめて、俺は高校から離れるつもりでいた。けれども最後に響が勇気を振り絞って声をかけてくれた。
「それで?何か話したいことがあるんじゃないのか?」
「医学部合格おめでとうございます」
「……ありがとう。そっちも東大合格おめでとう」
「はい。ありがとうございます。柳川さんは地方の大学に行くと聞いたので、もう会えないんじゃないかなと思ったんです。だから最後に同じ時を過ごしたいなって」
その口ぶりから、彼女も俺と同じ思いを抱いていることに気が付いた。突然離れ離れになりもやもやした感覚が捨てきれなかった三年間。久しぶりに再会したけれども話しかける機会を逸してしまいそのまま交流を持てなかった三年間。近くに居たのに遠くなった。近くに居るのに近づけない。そのもどかしさが心の中にくすぶっていた。
赤の他人よりも気まずい関係。
それが少なくとも昨日までの俺と響の関係だ。
「私たち、お互いにヘタレでしたね」
「まったくだ」
元義兄妹なのに、元の部分に引きずられて、「義兄妹ではなくなった」という部分に引きずられて、近づきづらく感じてしまった。勇気さえ持てば声を掛けられるはずなのに、それが結局できないでいた。本当にしょうもないヘタレ同士だ。いや、最後の最後まで声をかけることができなかったのは俺だけだったから俺だけがヘタレだろうか? 自然と互いに苦笑が漏れた。
「これで離ればなれになっちゃいますね……」
「本当にそうだな」
「お互いのことで何か未練はありますか?」
「そう聞かれても答えるものがない」
もう一度苦笑が漏れる。久しぶりの会話に意気揚々としていた。
いや、未練ならある。
自分でもわかっている。
何で三年間声をかけることができなかったか。
それは言い訳にしたくなかったから。
元義兄妹であることを……。
「なあ。ちょっと家の事情が事情だからさ。小学校時代の思い出話って中々しづらいじゃん?」
「そうですよね……」
「今のままだと俺たち、小学生時代しか思い出がないからお互いの関係が黒歴史のまんまだしさ。いつまでたっても同窓会にいけねえよ。それならいっそのこと新しい思い出をゼロから作り直して、お互いの関係をもう一度作り直さねえか? 小学校時代の思い出を笑い話にできるくらいにさ。どうだろう……?」
恐る恐る尋ねると彼女は口元を右掌で覆って考え込んでから「それはいい考えですね」と呟いた。
「柳川さん。お引越しの方はいつになりますか?」
「再来週だよ」
すると響は満面の笑みを浮かべ始める。
「だったらまだ一週間以上ありますね。じゃあ思いっきり思い出作りをしましょう」
その言葉に安堵の息が漏れる。
最後の最後で彼女との時間を手に入れたから。
「遊園地とか。ショッピングモールとか。あえてこれから行く大学に遊びに行くのもありかもですね」
色々と期待を膨らませる彼女に対して「そういえばさ」と割り込むように口をだす。
「制服の第二ボタンって大切な人にあげるって言うじゃん? 俺にとって響は大切な義妹だったからさ。深い意味はないんだけど、もし受け取ってくれるなら……」
もぞもぞ言いながら第二ボタンを無理やり引きちぎった。
詭弁というかもはや嘘だ。
この三年間、響を女の子と見てしまったために、話しかけるのが怖かった。話しかけるきっかけに義兄妹だったことを持ち出すのはなぜだか逆に裏があるように見られるんじゃないかと感じてなお一層声をかけづらく感じた。それをいまさらとってつけたようにそんなことを言うものだから、自分のセリフに自信がなくなりどんどん声が小さくなってしまう。情けない……。
響はそんな俺を見て最初はキョトンとしていたが、しばらくしてから「大切だって言ってくれるんだ」とクスクスと笑みを浮かべた。その仕草を見てなんだか気恥ずかしさを感じてしまう。
「いいですよ。受取ります」
響は両手を差し出した。第二ボタンは義妹にわたった。
「再会の証として大事にしますね」
そう言ってくれたことに安堵の笑みが浮かんだ。
「それじゃあ私はお返しに一ヶ月遅れのチョコレートを今度お渡ししますね?」
響は立ち上がり際に突然そんなことを言い出すものだから思わず「え?」と間抜けな声を出す。
「どういう意味かは当日のお楽しみですよ?」
くすくすと笑みを浮かべながら俺から離れようとした。
「……あ!ちょっと待ってくれ!俺、おまえの連絡先知らない!」
慌てて立ち上がると、響は明るい声で笑いながら俺に背を向けて走り出した。
やはり義妹ものはしっくりくるでおじゃる。