7番 海老澤 菜月
海老澤 菜月:漫画部部長。BL好きのやり手部長。
目がさめたら、午後三時だった。
「……やっちまったい」
すでに西の空へ傾いている太陽を見ながら、彼女は起き上がり頭をかいた。
貴重な週末はもう終わろうとしていた。しかし、彼女に後悔はない。「ふふふ」と笑みを浮かべてマウスを動かし、スリープしていたパソコンを起動した。
カチカチと数度クリックすると、彼女が徹夜で書き上げたイラストが表示された。
「うん、すばらしい」
クラスメイトの小説を読んで「ナニカ」が降りてきて、気がつけばペンタブの上を筆が踊っていた。久々に突き抜けた感覚を得て、行き着くところまで行ってやろうと全力で手を動かし続けた。
その結果出来上がったこのイラスト。久々に、煩悩全開の大満足作品である。
「サライ×ダンドリー、えかったなー……同人でここまでキたの、初めてかも。桃ちゃんすげえよ」
戦記物、あるいは大河歴史物を書きたいという友人だが、彼女の見たところ友人の才能はそこにはない。だが、友人が書いたあの二人の男性の秘めやかな恋、紡がれる愛、そして迸る想いの描写には、採掘したてで磨かれていない原石のような輝きが見えた。
このイラストを見て、友人はなんと思っただろうか。「人類の新しい夜明けだ」とでも叫んでくれたら万々歳なのだが。
「桃ちゃん、こっちに来てくれんかなー」
昨夜、友人の作品を読んで衝撃を受けた。この程度で満足して欲しくない、そんな思いからやや辛辣な評価を伝えたが、すっかりファンになってしまった。
そして、なんとしても彼女が欲しい、と思った。
……いや、決して性的な意味ではなく、共にBLの頂を目指す同志として、だが。
「やはりここは……協力を仰ぐとするか」
そんな彼女のつぶやきが聞こえたのだろう、手元のスマホが「ピロリン♪」と鳴った。彼女はメッセージを見てニヤリと笑うと、テレビ電話モードにして電話をかけた。
『やあ、菜月』
携帯の画面に、二十代半ばの爽やかなイケメンが映し出された。その隣には、少し年下の中性的な雰囲気のイケメンもいて、「菜月ちゃんひさしぶりー」と笑顔で手を振ってくれた。
「相変わらず仲良しだね」
『おいおい、新婚で仲が悪かったらダメだろう』
イケメンがサラサラヘアを掻き上げ、ふっと笑った。
ぐふっ、と血を吐きそうになるほど魅了された。なんでこんなに無駄にイケメンなのか。後光すら差して見える。この仕草にどれだけの女性が魅了され、恋に落ちた事か。二十六となり、結婚した今もその魅力はあせず、むしろ増してさえいる。
まさに、「なんて恐ろしい子」である。
「で、姉さん」
彼女は画面に映るイケメンにそう呼びかけ、続いて画面の隅に映るもう一人にも呼びかけた。
「そして、お義姉さん」
そう、画面に映るイケメンは彼女の姉だった。そして一緒に写っているイケメンは姉の嫁であり、つまりはこの二人、見た目は超絶イケメンの、レズビアン新婚カップルだ。
ややこしいからどっちかだけにしてよ、と思ったこともあるが、本人たちが幸せならそれでいいと納得済み。今ではその幸せオーラを見るたびに、自分もそういうパートナーと出会いたいと憧れさえ抱いていた。
「作品……どうでした?」
『Great!』
『Excellent!』
見た目イケメンの二人が、真剣な表情で、同時にサムズアップをかました。さすがは留学経験者、二人とも発音が完璧なネイティブである。
『荒削りではあるが、私は、BL界の新しい可能性を見た!』
『グイグイきたよ! ぜひ次の作品が読みたいです!』
おお、この二人にここまで言わせるとは、と彼女は感動すら覚えた。
菜月の姉、そして義姉は、BL界では知らぬ者のいない名コンビであり、腐女子の最終進化系「汚超腐人」の頂点に立つ、まさにBL界の女神だった。
その女神に、彼女は友人が書いた小説を読んで欲しいと送り、その感想がこれである。
『菜月、ぜひ彼女と話がしたい、紹介してくれないか』
「そうしたいのはやまやまだけど……すまん、友人には無断で原稿を送った」
『む。それは重大なルール違反だぞ』
漫画であれ小説であれ、公開されていない作品を誰彼構わず見せることはマナー違反だ。ましてやBLは好悪が分かれるジャンルである。普段の菜月なら許可なしで見せたりしないが、この作品は衝撃的すぎ、一人で楽しむのが勿体なさすぎて姉に送ってしまったのだ。
「それに本人は、BLというジャンルに躊躇している」
『ここまで書けるのにか!?』
『それはだめです。こんな逸材、逃してはなりません!』
「思いは一緒だね」
姉と義姉の言葉に、彼女はニヤリと笑った。
「では姉さん……いえ、師匠! 彼女を私たちの仲間とするために、ぜひご助力を!」
『まかせたまえ』
『なんとしても、仲間にしましょう!』
海老澤菜月、漫画部部長。たった一年で愛好会から部への昇格を勝ち取ったその辣腕が、今再び振るわれようとしていた。