20番 高橋 由紀
高橋 由紀:学校一のモテ女。クラスのお姉ちゃん。
ぴろりん、とスマホがメッセージの到着を告げた。送り主は「健くん」。彼女の恋人だ。
「ありゃ」
今朝から熱を出して寝込んでいる、そんなメッセージに彼女はため息をついた。
「……これ、カンペキ私が移したよね」
心当たりも身に覚えもあるので、ただただ平謝りである。昨日はなんとなく調子が悪かった。まずいかな、と思いつつも彼の家に遊びに行ったのだが、どうやら移してしまったらしい。
彼女は「移しちゃったね、ごめん」と、メッセージと土下座のスタンプを送り返した。
『まあ、移るようなことしちゃいましたし。でも後悔してませんよー』
そんなメッセージが返ってきて、彼女は頬を火照らせた。
「もう……ばかぁ……」
彼女だって後悔はしていない。ただ、彼が実はかなりの肉食男子だったということに、ちょっと驚いてしまったのは事実。昨日のことを思い出しながら、あんな顔するんだぁ、とか、結構がっしりした体つきだったな、とか、思わずモヤモヤと考えてしまった。
「どうしたの、由紀」
「んっ? う、ううん、なんでもないよ」
考え込んでいたら、助手席の母に声をかけられた。彼女は彼に「ゆっくり寝てね」と返信をすると、スマホを鞄にしまった。
ちなみに彼女自身は、すっかり回復している。カゼは移すと治るという迷信は、案外本当なのかもしれない。
「お、掃除中か」
行く手に目的の建物が見えた時、父がつぶやいた。ほうきを持った子供たちが、建物の周りを一生懸命掃いているのが見えた。
「あ、由紀ねーちゃん!」
彼女が車を降りると、さっそく子供たちがまとわりついてきた。「いらっしゃいませ!」「あそぼ、あそぼ」「中に入ろ」とわいわいと彼女を建物へと押し込んで行った。
そこは、彼女が八歳まで暮らしていた、いわゆる孤児院だった。
もう今の両親に引き取られてからの方が長いのだが、ここへ来るといつも懐かしいと思う。そして、大喜びで出迎えてくれる子供達を嬉しく思うと同時に、その数が減らないことが気がかりだった。
日本の児童養護施設は、世界から批判されている。
それなのに改善されないし、世間の関心も低い。だが学生の彼女には、月に一度差し入れに来るぐらいしかできることがない。それがもどかしくて仕方なかった。
「いらっしゃい」
早速子供たちにもみくちゃにされていると、シスターでもある院長先生がやってきた。
「院長先生! お久しぶりです!」
「いつもありがとうね……あら?」
院長が彼女の顔を見て首をかしげた。なんだろう、と思っていると、院長が嬉しそうに笑い、彼女を優しく抱きしめてくれた。
「いい笑顔ね」
「え?」
「素敵な出会いがあったのかしら。あなたの……鉄仮面が、なくなっていてよ」
彼女はどきりとした。
「高橋さんの、本当の笑顔を見てみたいですね」
夏休み明け、人形のモデルとなった彼女に、ほとんど会話をしたことのないクラスの男子は鋭い目を向け、そんなことを言った。
「その作り笑いの向こうにあるのは、どんな笑顔なんでしょうね」
戦慄が走った。院長以外は知らない、両親にも親友にも気づかれていない、十年以上かけて作りあげた鉄仮面。なのに、たった半年でそれを見抜かれた。
何この人、と怖くなった。
そして、完成した人形を見て衝撃を受けた。自分はこんなにも虚ろな笑顔をしているのだと見せつけられている気がして、思わず泣いてしまった。
「人形はね、悪いものを乗り移らせてお祓いをする、そういう使い方もあるんですよ」
文化祭が終わり、お寺で人形を供養して燃やした時、彼女の中にあったどす黒いものが消えていくのを感じた。終わった、解放された。心からそんな風に思えて、本当に楽になった。
「……はい、院長先生。私、好きな人ができたんです」
「あら、素敵ね」
彼女の頭を、院長が優しく撫でてくれた。
命を助けてくれた院長、温かい家庭を与えてくれた父と母、心配性の親友、仲良しで頼もしいクラスメイト。そして心を解きほぐしてくれた恋人。たくさんの人が、助けてくれた。
「えへへ、今日はのろけ話しちゃってもいいですか?」
「ええ、ぜひお願いね」
院長の穏やかな笑みに、彼女はとびきりの笑顔で応じた。
それは、優しくて温かい、とても素敵な笑顔だった。




