第六話 1909.12-1910.3 不採用
主人公は再び渡米します。
1909年冬、デグチャレフは三か月程で軽機関銃の試作品を完成させた。
流石に、ざっくりとはいえ図面があると開発が早い。
マキシム機関銃については良く知っていたそうだが、初めてのプレス加工を使った軽機関銃の開発に戸惑ったと話をしていた。
しかし、元々彼が将来開発する軽機関銃だけに発想のツボが同じなのか、構造を把握するまでが早かった。
俺は仕事柄色んな武器の図面を見た事はあるが、寸分たがわず覚えてるわけではないから、自分で設計するか構造的な図面を引いて他の人に設計を任せるしかないのだ。
完成したRPDは試作軽機関銃MK.1と仮に名称を付け、10セット程生産すると約束通り英国陸軍に提出した。
弾丸は三八式実包をリムレスに変更した物をスウェーデンの弾薬メーカーに発注した。
前世で名前を知っているメーカーが既に存在して助かった。
日本からいちいち発送してもらっていては時間も費用も掛かるからな。
勿論、リムレスに変更した事は日本にも知らせてある。フィードバックされるかどうかは陸軍の判断だ。
英軍の担当将校に軽機関銃を提出した時、ありありと異物感が顔に滲み出ていたから多分採用は無い様な気がする。
デグチャレフの次の仕事はサブマシンガンだ。
ピストル弾を使用する機関銃だと説明すると、最初は有効射程が100メートル程のピストル弾で機関銃を作る意味を理解しかねていた。
そこで、日露戦争での塹壕戦の実態を説明し、塹壕戦の勝敗は結局歩兵による突撃でしか解決しえず、旧来の装備では塹壕や陣地に乗り込んでもライフルはあまり役に立たず、結局銃剣やスコップで格闘するしかない。
また塹壕戦でピストルは有効な武器となり得るが、威力が弱く装弾数も少ないため決定力に欠ける。
つまり、軽く携行性に優れ取り回し良く30発以上の装弾数を持つ武器が100メートル以下の近接戦闘では有効であり今後重要になってくると説明した。
すると流石に天才的な発想力の男だけに、直ぐに必要性を理解した。
俺は威力や有効射程からモーゼルC96の実包を使ったら良いと考えていたのだが、デグチャレフは9mmパラベラムを推して来た。
デグチャレフは様々な武器の試験をやっていた関係で、様々な国の銃器に詳しく、ドイツのルガー拳銃もテストしたことがあるという。
ドイツ軍で採用された9mmパラベラムを採用したモデルは部品点数が多く戦時武器としては微妙だそうだが、バランスが良く銃としての完成度は高いと話す。
前世での史実通りの評価だ。
ちなみに、ロシアではリボルバーが好まれているそうで、自動拳銃は採用されなかった様だ。リボルバーは信頼性が高いからな。某殺し屋もリボルバー愛用者だった。
9mmパラベラムを推すのは、実際に試験してみて反動も弱く命中性が高く扱いやすい。
更には、小型で大きな弾倉を付けるのであれば特に有効な筈だと。
故に、9mmパラベラムは今後広く使われる可能性が高いと話していた。
ならば、デグチャレフの意見を入れて9mmパラベラムで作るべきか。
史実だと7.62x25mmトカレフを使ってサブマシンガンを作っていたが、あれはあの弾を使うことが前提であったからあの弾を使ったのであり、自由に選べたなら9mmパラベラムを採用していた可能性もあるという事か。
デグチャレフに提示したのはプレスを使った生産性の高いサブマシンガン。
シンプルブローバック式でオープンボルトなステン程チープではないPPS辺りが理想だ。
何枚か図面を渡し、内部構造以外にも弾倉や装弾方式、折り畳み式のストックなど。
その辺りの説明をすると、今度は自分で設計するから任せてほしいという。
ならばと、デグチャレフに任せ、俺は次の仕込みに渡米した。
クリスマス前にニューヨークに到着し、クリスマスをニューヨークで過ごした。
流石に俺の前世の時代程の輝きは無いが、既にこの時代100メートルを超えるビルが存在する。
年が明けて1910年、ミシガン州のレオ自動車へと向かう。
レオが発売したビートル的な新型車は後の乗用車の形を変えるほどのインパクトを市場に与え、最近発表された乗用車は殆どがビートルの様な丸っこい形をしている。
実際に、元々レオの自動車が優れているのもあるが、斬新で安全性の高い車に飛びつかないわけが無かった。
伸び悩んでいたレオは一躍注目される自動車メーカーになったという訳だ。
俺が投資した株も当然株価が上がったおかげで、随分と利益を出している。
売るつもりは無いけどな。
ホテルからオールズにアポイントを取ると、約束した日にレオを訪れる。
前も歓迎されなかったわけでは無いが、今回はオールズ自ら両手でお出迎えな位歓迎された。
まずは新型車の成功を祝うと、オールズは大喜びで昼食に招待してくれた。
アメリカ風の豪華な昼食を食べながら、今後について相談された。
俺は乗用車はこれで一つ流れが出来たので、次はトラックを提案した。
オールズは興味津々という感じで、昼食後応接室で新たに持参した図面を彼に見せた。
今回、持参したのは北米で売れる事が確実なピックアップトラックのアイディアスケッチ、それに積載量1.5トンのオペルブリッツによく似た四輪駆動トラックの図面。
トラックは勿論、戦争を見据えての物だ。
すると、オールズはトラック市場に参入予定で今年工場も増設するとの話。
完成したら皇国でも購入するので知らせてほしいと頼んだ。
ちなみに、レオのビートル的新型車は皇国でも既に販売を開始し、気軽に買える値段では無いが、社用車や富裕層などを中心に購入されているそうだ。
オールズとの打ち合わせが終わると、とんぼ返りに英国へ戻る。
この時代は船で移動だからとにかく移動に時間が掛かる。
退屈な船の中でまた図面を引く。
擲弾筒、迫撃砲といった爆発モノの図面を引いた。
英国に到着後、擲弾筒、迫撃砲は自分で設計図を描いて特許申請をした。
迫撃砲は所謂ストークスモーターであるが、世界で広く使われたストークブラン製の81mm迫撃砲を踏襲した設計になっている。
特許を取得後、親父殿へ手紙で送りつけた。
日本に送ったホーンズビーのトラクターは高評価で、日本でもライセンス生産する事になった。俺が色々特許を押さえているお陰でライセンス料は随分安くなった。
俺が図面を引いた足回りは中々評判が良い様だ。
ホーンズビーで国内販売の話を聞いたところ、試乗会での評判は悪くないのだが履帯のメンテナンスの不安を言われるらしい。
確かに、あれは重たいからな…。
そこで、既にこの時代イギリスにある筈の硬質ゴムを活用する事にした。
厳密にはあっただけで、事業化されていた訳では無く、1904年にシルバータウンのゴム会社の技師であるモートという人物が作り出したまま、情報が漏れるのを嫌い特許も取らず自社製品のみに利用していたというわけだ。
俺の記憶が正しければ、1910年にアメリカのグッドリッチという会社が初の実用的な硬質ゴムを使用したタイヤを製品化している。
何故タイヤを作らなかったかというと、彼の会社は通信ケーブルを作る会社でゴム加工の技術を持った会社ではあったが、タイヤに使うなどの発想が無かったのかもしれない。
だが、彼の勤める会社は大規模な工場を持ち、能力的にはタイヤだろうが履帯だろうが製造可能だと思われた。
俺は前世で見た事のあるゴム履帯の図面を引き特許を取ると、その図面をもってシルバータウンの工場を訪れた。
そこで、事業化の相談をすると新規事業ではあったが具体的な図面と英国でも知名度があるホーンズビーに供給するという事が決まってるという事で、仕事を受けて貰えた。
俺が図面を引いたゴム履帯は後の時代で一般的に使われている、鋳造の鉄材で出来た芯金と、ピアノ線を撚ってワイヤーにしたスチールコードをスパイラルさせて輪っかにしゴムベルト内に一体成型した構造になっている。
流石に海底ケーブルも作っている会社だけに技術力はあったようで、割と簡単に現物が上がって来た。
この会社の製品はカーボンを使った硬質ゴムだという事は知っているが、あえてそこには触れず、頼んだものを製造してもらうという形をとって居る為、価格も思ったほどは高くは無かった。
イギリスはこの時代のゴム市場を席捲しており、このケーブルを作っている会社も正式名称はインドゴム及びグッタベルカ、通信設備製造会社といい、インドに自前のゴム生産の会社を持っているらしい。
完成した履帯を取り付けたところ、元の全金属製の履帯よりかなり軽くなった。
これをホーンズビーに持ち込んで使ってみたところ、静かで履帯がスムーズに動くためより速度が出るようになり路面を傷つける事も無くなった。
また、金属製とは異なり実質的に使用者的にはメンテナンスフリーで、履帯が損傷したら交換するしかない。
これは、前世でもわかっていたメリットだ。
デメリットとしては、やはりゴムの劣化は勿論、鋭利な岩などを踏むとゴムに亀裂が入る可能性がある。やはり金属製以上に消耗品であることは間違いない。
しかも、価格的には金属履帯ほどでは無いが、後の世ほど安いわけでもない。
いずれにせよ、乗り心地は格段に良くなった。
実際、新たに試乗会を催したところ、好評だった様で大農場主などが購入する事になり、史実とは異なりそれなりの台数売れそうである。
皇国にもゴム履帯版を送ったところ、やはりこちらの方が評判が良い様で、既に送った分には交換用のゴム履帯を履かせ、新たに調達した分は初めからゴム履帯となった。
結果的に皇国政府も五十台ほど購入し、試験的に北海道で運用する事になった。
俺は、この後このカーボンブラックが後に需要が爆発する事を知っているので、カーボンを製造している会社の株も買っておいた。
他、次いでではあるがレオ自動車の為に、ダンロップを訪ねてシルバーストーンの会社の硬質ゴムを使った車用のタイヤを製造し、供給してくれるように交渉に訪れた。
会ってみると、ダンロップが俺が日本人である事も驚いていたが、銃器製造会社の社長である事を知るとさらに驚いていた。
ダンロップは自転車用のタイヤを供給していたが、車用のタイヤにも興味があったらしく俺が前世の記憶をもとに線を引いた車用タイヤの構造図を見せると、この車用タイヤの製造権を譲渡する代わりに、今後特別な価格でタイヤを供給してくれると持ち掛けて来た。
俺としては、欲しいのはタイヤであって金は欲しいがあまりにも手を広げるのは本意ではない。回りくどく特許を取っているのも後からアイディアだけ取られて特許料を取られるのが癪だからだ。
ダンロップは社長が元は獣医で商才はあるが技術屋でもあり、日本にも早々と工場を建ててくれるなど好感度が高い。
それで、ダンロップの提案を受け入れ、契約書を交わすと後日試作品を持ってきてくれた。
シルバーストーンの会社も同じ英国の会社に販路が増えて大いに喜んでおり、お互いウインウインな商売が出来たのではないか。
試作品は、ホイールも含めて申し分ないものであり、流石先駆けて完成レベルの自転車タイヤを作り出した発明家だけはある代物だった。
これを早速、米国のオールズへサンプルとして百本ほど生産してもらって送ると、直ぐに大量仕入れの話が飛んできた。オールズは試しに使ってみて、その素晴らしさに驚き、現在販売している自動車全てにこのダンロップの新しい自動車用タイヤを採用する事を即決したそうだ。
これで、レオ自動車の売り上げが伸びると良いが。
ダンロップともシルバーストーンの会社とも縁が出来たのでまとまった数の株を買わせてもらった。
いずれ役に立つ日が来るだろうか。
春の終わりごろ、デグチャレフがサブマシンガンを完成させた。
出来上がったサブマシンガンは、ソ連製のMP40みたいな代物だった。
プレスを多用し、生産性を考えられる限り高めた為、外見は恐ろしくチープで、MP40の様な高級感は全く感じられないが、ステンガン程酷いわけでもない。
試射してみると、実にバランスよく打ちやすく、命中精度も悪くなさそうだ。
32発の箱型弾倉と、40発の分厚い箱型弾倉の2パターンが用意されていたが、バランスを考えると32発の弾倉が良い様な気がする。
まずまず問題ないと思われる。
このサブマシンガンも、50丁ほど生産すると必要な特許を全て取った後、英国軍に試験の為引き渡した。
担当官はまたもや扱いに困ったような表情を浮かべ、おまけに「パイプの玩具」というあだ名を付けやがった。
ちなみに、先に引き渡した軽機関銃のテストが終わった。
現場の評価は悪くなかったようだが、結果としては現時点では不採用。
理由としては、使用している弾丸が英国で採用している弾丸ではなく、またこの弾丸を採用する予定は現時点ではない為。
他にも、現時点で試験中のビッカース機関銃に比べ軽便ではあるが、威力と連続射撃能力に劣るなどが挙げられた。
まあ、つまりそういう訳で予想通り不採用だったという訳だ。
RPDは銃身交換が出来ないが構造が簡単で軽いという利点があるのだが…。
とりあえず、RPDは50丁ほど生産して親父殿へ送りつけた。
仕事しているところ見せないと不味いからな。
変態的な性能を誇るビッカース機関銃には勝てませんでした。