第五話 1909.10-1909.12 ガンスミス
ドイツの次はロシア
1909年秋、ドイツでの仕事を終えた俺はロシアに来ていた。
数年前に戦ったばかりの国だ。
終戦して間もないが、わが父である乃木大将による敗北したロシア軍への扱いが賞賛を受け、また日本が満州や半島からも手を引いたことも影響したのか既に友好関係となっていた。
駐ロシア大使館に寄ると通訳を借りて、目的の人物に会いに行く準備をする。
俺は第一次大戦で戦車を使う予定だが、今の時代の通常の歩兵では戦車に随伴するのには向かない。
基本的に400メートル位の長距離で撃ち合う事を想定しており、近接戦闘となると泥くさい銃剣やスコップでの殺し合いになる。
詰まる所、戦車の周りでそんな事されては邪魔で仕方がないのだ。
タンクデサントは流石にやらないとしても、それでも戦車の速度に合わせて進み、群がる可能性のある歩兵や野砲から迅速に戦車を守らなければならない。
つまり、必要なのは瞬間火力に優れ歩兵が簡単に扱える機関銃が必要というわけだ。
この時代、所謂機関銃は既にある。日露戦争でも散々苦労させられたからな。
そして、第一次世界大戦で機関銃が多くの兵士をあの世に送った事も知っている。
俺が作る戦車にはもちろん機関銃を載せるが、戦車と言う乗り物は死角だらけ。距離があるうちはまだいいが、接近されたらたちまち敵を見失う。
ハッチを開けられて手榴弾を放り込まれたり、火炎瓶をたたきつけられればたちまち棺桶と化す。
陸の王者ではあるが、案外と脆弱なのが戦車なのだ。
そんな訳で、俺がほしいのは銃器技術者。
英国はエンフィールドが有名だが、あれはこの時代は王立の工廠であって外国人が好き勝手出来る存在ではない。
この時代だと、フランス、ドイツ、ベルギーなど有名な銃火器メーカーがあるが、ドイツはこれから戦争する相手だから除外として、要望通りの銃器を設計してくれそうなのはフリーランスのブローニング位だろうか?
だが、ブローニングは技術転用の可能性が怖いから、囲える人の方が良い。
それで、俺はイギリスに銃器メーカーを設立する事にした。
いずれ日本にも工場を作るが、まずはイギリスで作る方が工場や設備の確保も含めて圧倒的に楽だしな。
そのための人材確保にロシアに来たという訳だ。
この時期のロシアはフェドロフM1916で有名なフェドロフが居て、彼の周りには若手の優秀な銃器エンジニアが何人もいる。
日本にも、有坂や南部といった優れた技術者がいるが、彼らには日本で彼らの果たすべき仕事があるから巻き込むべきじゃない。
俺がスカウトに来たのはそのフェドロフが絶賛した優れた銃器技術者で、元々軍の銃器管理をやっていたが日露戦争後にフリーになって、今は嘱託の立場でフェドロフの手伝いをしているはずだ。
その名はヴァシーリー・デグチャレフ。後の社会主義労働英雄だ。
彼が本領を発揮しだすのは第一次世界大戦後、ソ連が成立して以降だからまだまだ先だ。しかし、既にその片鱗を見せだしているからこそ、フェドロフが嘱託で仕事を手伝わせているのだ。
実のところ、現役の軍の将校であるフェドロフと違って、最終階級が伍長にもなっていない彼の待遇は普通の工場の工員と変わらないし、暮らし向きも良い訳でもない。
奥さんと二人で慎ましい暮らしを送っている。
当時ロシアの新聞や雑誌でも父乃木希典が大きく取り上げられたこともあってか、彼は乃木大将の事を知っており、その息子が自分に会いたいという大使館からの招待に快く応じてくれて、大使館近くの公園で会う事になった。
ちなみに、この時代の首都はサンクトペテルブルクで、駐ロシア大使館もそこにあり、デグチャレフが勤めるセストロレツクはサンクトペテルブルクの郊外にある。
通訳を伴い公園に行くと、既にデチャグレフは来ていた。
「失礼、デグチャレフさんですか?」
「はい、私がデグチャレフです」
「日本の乃木です。良く来てくれました」
「お父上の乃木大将の事は新聞などで読みました。
敵ながら尊敬できる名将ですね」
「ありがとうございます。
先の戦争ではロシア軍将兵も英雄的な戦いをしました。
私もあの戦争に参加していたのですよ」
ロシア軍将兵の事を褒めるとデグチャレフが顔をほころばせる。
「そうでしたか、かつてない激しい戦いだったと聞いて居ます。
ところで、遠い国からわざわざ私に会いに来てくださった様ですが…。
どういった御用でしょうか?」
私は懐から一枚の新聞の切れ端を取り出して見せる。
そこには、デグチャレフが以前の職場で表彰された写真と記事が載っている。
「私は、今度新しく銃器を製造する会社を設立しようと考えています。
それで、立ち上げに参加してくれる若くて優秀な銃器技師を探しているのです。
ところが中々条件に適う人が見つからなくて。
そこで各地の大使館に誰か居ないか調べてもらったら、ロシアからこれを送って来たのです」
「これは、以前の職場で私が表彰された時の物ですね」
「ええ、それであなたに興味を持って少し調べさせてもらったのですが。
ぜひ、あなたに仕事をして貰いたいと思いました。
あなたは今嘱託で仕事をしていますが、フリーですよね?」
「良く調べましたね。
はい、今は以前の上司の誘いで嘱託で仕事を手伝っています。
といっても、銃器の試験の仕事が多いのですが…」
「どうでしょう、私が作る会社の主任技術者として来てくれませんか?」
「私は、軍の銃器学校は出ていますが学位も持っていない工員に過ぎませんよ」
「ええ、存じています。
私の会社に来てくれるならば、望むなら大学にも行かせてあげましょう。
勿論、働きながらになりますが」
「大学に…ですか…。
それは魅力的ですが…。
私には妻が居ます。妻を残してどこかに行くことなど出来ません。
日本人である乃木さんの話ですから、このロシアでは無いのでしょう?」
「ええ、ロシアではありません。
会社を作るのはイギリスです。
奥さんの心配ならしなくていいです。
夫婦で一緒にイギリスに来てくれればいい。勿論住むところも用意します。
それに言葉で苦労しなくて済むように、英語も勉強できるように手配しましょう」
「私の様な者にそんな好待遇…。
何故ですか?」
「そうですね…。
あなたが私の望む銃を作ってくれると確信しているからです」
「私が、あなたの望む銃をですか…。
それは、どの様な?」
「それはここでは話せません。
一ついえる事は、今は存在しない全く新しい銃という事です。
あなたの手で、まったく新しい銃を作ってみませんか。
きっと、銃の歴史に名前が残りますよ」
デグチャレフは歴史に名を残すと聞いて、空想するような表情を浮かべた。
彼は銃器技師として後に名を残すが、それ以前は色んな発明や改良をやったこともある発明家気質の男だ。新しい物と聞いて気持ちが揺るがないわけがない。
今はフェドロフの下で自由に自分の作りたい物を作ってるわけじゃないからな。
「妻に、妻に相談してから返事しても良いですか?」
「それは勿論。
奥様に相談されるなら、報酬のお話をしておいた方が良いでしょう。
あなたにお支払いする報酬は年でこのくらいです」
それは、この国の将校の年収位の金額。
ロシアの工員の賃金から考えたら比較にならない額だ。
「そ、そんなに頂けるんですか?」
デチャグレフは目を丸くして驚く。
「ええ、貴方にはその価値がある」
「す、直ぐに妻と相談してきます」
そういって、デグチャレフは慌ただしく帰っていった。
そして、その日の夕方。
大使館にデグチャレフは妻を伴い訪ねて来た。
まさか、その日の夕方に来るとはね…。
「乃木さん。
行きます。イギリスに。
是非、行かせてください」
「主人をよろしくお願いします」
「それは良かった。
歓迎しますよ。
では、準備が出来たら大使館に来てください。
イギリス行きの便を手配します。
私は一足先に戻ってあなた達の受け入れ準備をします」
こうして、俺はデグチャレフをスカウトすると、船でイギリスへと戻った。
戻ると直ぐにホーンズビートラクターに顔を出す。
すると、まあ仕事の早い事。俺が発注したトラクターの試作機が動いていた。
しかし、このトラクター、足回りは俺が設計した通りの物になっているが、エンジンがディーゼルエンジンの亜種の焼玉エンジンなんだな…。
信頼性は高いらしいし、ちゃんと動くんだが大丈夫なのだろうか。
一応、メリットとしては油を選ばないから、日本で使うには大きな利点かもしれないな。
兎も角、複数の先行量産品を作り何台か日本に送り、後はイギリス国内で販売して見るそうだ。
イギリスに戻った後は学校に顔を出しつつ、会社設立に向けて奔走した。
法律面は大使館に任せて、皇国から引き出したカネを使ってある程度設備の整った鉄工所を工員ごと買い取った。
登記名はグランサムメタルワークス、諸々の利便性も考えてホーンズビーと同じ地方に設立した。
鉄工所と名前を付けているが、実際に作るのは銃器という。
英国は英軍の銃器採用の際のトライアルに参加する事を銃器工場設置の条件に出して来た。採用されるとも思えないが、売れるものなら売るさ。
一月後、デグチャレフがやって来た。
大使館で手配した住宅に引っ越して貰い、正式な雇用契約を結ぶと早速仕事を始めてもらう事になった。
作ってもらうのは、まずは軽機関銃。
そう、デグチャレフ本人が第二次大戦に開発したRPD軽機関銃だ。
使用する弾は6.5mmx50SR、三八式歩兵銃の弾を使う。
この機銃に関してもメタルリンク式のベルト給弾、箱型弾倉、ドラム型弾倉、RPDのガス圧動作など、全てに特許を取った。
この仕事が終わったら、次はやはり短機関銃を作ってもらう。
そのためにモーゼルC96と実包を手に入れてある。
この時期に町工場でプレス加工で物が作れるなんてやはり欧州は進んでるな。
第一次世界大戦の準備を着々と進めます。