第五十話 1914.10.20-1914.10.30 電子計算機
トランジスタも手に入れ、半導体製造に手を出します。
そして、その次はいよいよ。
1914年10月下旬頃、中立国スペインから船に乗って一人の発明家がやって来た
まだこの時期はドイツのUボートによる無制限潜水艦作戦は始まっておらず、商船の航行自体はまだ問題ないようだ。
しかし、このまま行くと来春にはドイツの無制限潜水艦作戦が始まり、英国の近海はUボートが徘徊して厄介な事になる。
やって来たのはレオナルド・トーレス・ケベード。優れた技術者にして数学者、そして数々の発明品を世に送り出した多才な発明家だ。
日本ではあまり知名度が無く、知る人ぞ知る人物、という感じだが、欧米では半硬式飛行船の開発者として知名度があるな。
この時代、既に飛行船というとドイツの誇る硬式飛行船が主流で、これはそれ以前の形式である軟式飛行船では困難だった大型化や高速化を可能にした形式の飛行船だ。
しかし硬式飛行船には、コストが高いと言う問題の他、色々な構造的欠陥があり、それらを解決するために開発されたのがトーレスの作り出した半硬式飛行船という訳だ。
トーレスの作り出した半硬式飛行船は、スペイン本国以外では建造権を獲たフランスのアストラ社によって生産され、むしろスペイン本家よりこちらのアストラ社製飛行船の方が多く建造され知名度がある。
ちなみに史実ではフランス軍の他、英軍、米軍も購入し、英仏は第一次世界大戦で飛行船の特性的に向いている対潜哨戒任務で活用したらしい。
そして我が皇国も第一次世界大戦後に購入し、国内での飛行船開発の為の参考とされたようだ。
トーレスは他にも、後の時代に普及した実用レベルのロープウェイを開発したり、世界初のラジコンを開発したり、プロジェクターやそれで使うポインター、つまりはマウスの元祖的な物を開発したりと多才だ。
そして、今回俺がトーレスを招聘した理由だが、この人物はコンピューター分野でも天才的な業績を残している。
残念ながらこの分野は、後に英語圏である英米を中心に飛躍した技術分野なので、スペイン語圏出身である彼の業績は、後の時代にほとんど知られる事なく終わっている。
何しろトーレスは、1912年に世界初のコンピューターゲームと言える自動チェス機械「エル・アヘドレシスタ」を発明している。
それ迄にもカラクリ仕掛けでチェスの駒が移動する機械は実現していたが、実際には機械が何らかの判断を行い処理をしてチェスの駒を動かしている訳では無く、中に人が入っていたわけだ。
しかしトーレスの自動チェス機械は、後の時代でいうコンピュータも無い時代に、盤面の状況を判断し駒の動きを決めることが出来たというから驚きだ。
彼が最初に開発したのは、他の国でも開発されていたアナログ式計算機械。つまり螺旋状歯車を用いた機械式計算機で、デジタル式のコンピューターが普及しだす1970年代後半までは、この方式の計算機が広く使われていた。
そのアナログ式計算機械を開発したノウハウで、解析機関というものの論文を去年発表し、早くも今年解析機関のプロトタイプの設計と制作を成し遂げている。
トーレスの解析装置の先進的な所は、既に論文の段階でプログラムを実行できる汎用性と、浮動小数点演算も可能になっている点だ。
具体的には後の時代の標準的仕様といえる、数値を収納するレジスタ、組み込み関数のテーブルを用いた演算装置、数値の大小比較を行う装置、入出力ゲートや多段スイッチによるセレクタ回路までが電気的、機械的に実現出来る方法が記述されており、それら制御プログラムを含めた全体の構成が説明されていた。
更には演算装置の内部には、加減乗算、数値の比較装置による条件分岐まで含まれており、後の時代を知るものがこの論文を読んだなら、〝トーレスは転生者じゃないか〟と疑いたくなる程の先見性があったのだ。
トーレスの装置は1920年に電気機械式アリスモメータとして製品化されパリで発表されたが、この計算装置はプログラム可能な物では無かった。しかし、この時点で既にタイプライターでのデータ入力を可能にしており、後のコンピュータの前身と看做すことが出来た。
ただ、残念ながらこの時代の工作精度の技術レベルでは彼の論文を実現することが出来ず、それが可能になるのは1940年代、そしてトランジスタやダイオードなどが実用化されたのはさらに十年後の1950年代以降。
トーレスが現役で活躍していたピークは1920年代であり、最後の仕事である教職員向けのプロジェクターの開発を1930年に行い、1936年に亡くなっている。
つまり、今がまさに彼の〝才能の旬〟という訳だ。
俺はトランジスターのサンプルが実装された小さな試験用の回路を作らせて、彼にそれを送った。
その回路は見る人が見ればその価値が一目でわかるという代物だったので、それを見たトーレスはすぐにその価値を理解し、トランジスタを使わせろとイギリスまで乗り込んできたわけだ。
早速俺はトーレスに彼の論文を読んだ事を話し、電子回路を使ったコンピュータを実現してほしい、と依頼した。
彼は従来の電気機械式を用いてコンピュータの実現を目指していたが、電子回路という新しい分野に非常な興味を示し、俺の所で新しいコンピュータの開発をやってくれることになった。
とはいえ、彼は彼で既に手掛けている仕事もあり、完全にうちの会社専属で、という訳にはいかないのだが、一先ず形になるまではうちの会社で仕事してくれることになった。
現在うちの会社でも、既にブリタニックって会社製の機械式計算機が何台か動いているが、これが後の世の集積回路を使った電子式コンピュータでなくとも、何らかの電子回路で作られたコンピュータが使える様になれば、さらに効率がアップするのは間違いないだろうな。
コンピュータ開発部門の設置に合わせ、新しい会社を設立することになった。
新会社の名称は"BritishSemiconductor"、つまり『英国半導体製造会社』という訳だ。
半導体という概念は既にあるが、半導体の製造会社としては英国初になる。
〝英国初〟と言うのは、実は極秘にしてあるが、皇国では既にトランジスタ製造の為の工場が建設中なので、〝世界初〟は間違いなくこっちだ。
当面、トランジスタは皇国からの供給になるが、新たに開発し製造を進めるのがダイオード、そして真空管、更にはブラウン管だ。
特に真空管とブラウン管は、製造の為のガラス工場を既に手に入れており、今はそこで欧州に派遣される部隊向けのガラス製品を作っているが、準備が出来次第真空管やブラウン管の製造に入って貰う予定だ。
これらの実現の為に、新たに工科大学で講師をやっていたウィリアム・エクルズという物理学者と、フランク・ジョーダンという同じく工科大で講師助手をやっていた電気技師を引き抜いて来た。
彼らには、ダイオードとコンピュータメモリの基本となるフリップフロップ回路の開発をやって貰う。
本当はカール・フェルディナンド・ブラウンも欲しかったんだが、タイミングが合わなくて既に渡米済みで、今はドイツが米国に設置した無線基地に居るらしい。
米国に置いてる代理人にコンタクトは取らせたんだが、ドイツは戦時中という事もあり、警戒されるばかりでまともに話も出来ないらしいし、彼は欧州大戦終結を待たず米国で客死したと思うから、もう手が届かないだろう。
ブラウン管の開発者でもあるし、実に惜しい人材なんだがな…。
代わりという訳じゃないんだが、スコットランドの大学に居た技術者見習いのジョン・ベアードという若者を引っ張って来た。
ベアードは開戦で大学での学業が中断していたが、陸軍に志願するかどうか迷っていた所に、祖国に貢献できる仕事があるのだが、といって誘ったという訳だ。
元々、技術に関する興味が強く、大学でも技術関係の勉強をしていたらしいが、いま英国でも徐々に支持を集めつつある社会主義に傾倒気味というのが難点ではある。
しかし未来の福利厚生を完備し、他社とは比較にもならない好待遇のうちの会社で仕事をすれば、考え方も変わるだろう。
彼にはコンピュータ用のディスプレイの開発に携わって貰う予定だが、暫くはトーレスの仕事の手伝いをして貰うつもりだ。
トーレスの凄いところは、コンピュータ用ディスプレイの表示システムに関する資料を見せたところ、直ぐにそれを理解してしまったところで、実の所それに近い仕組みを印刷という方法で実現しようと考えていた、という所だな。
こうして俺は、この度の欧州大戦での技術開発は勿論の事、その後の為の準備も着々と進めている。
全ては皇国が列強に伍する一等国として、二十一世紀でもその地位を確固たるものとして維持する為の準備であり、その成果の全てを皇国に持ち帰る為、殆どの職場や研究室に皇国から来ている若手の技術者を投入してある。
幸い、皇国から送り込まれて来ている若手の殆どが郷里の英才と言えるレベルの帝大出身の人材で、全員が最低限英語を理解しており、他の言語も複数使いこなす者も多く、それぞれの職場では高い評価を得ている。
彼らがいずれ皇国に帰国する時、欧米の進んだ技術を持ち帰り、皇国の技術水準を一気に欧米レベルまで底上げしてくれることを期待している。
世界に先駆けてデジタルコンピュータを手に入れようと暗躍する主人公です。




