閑話五 1914.8.26 エドモンド・アレンビー
英国騎兵部隊のその後です。
1912年8月26日 エドモンド・アレンビー
私が指揮する第一騎兵師団は装備の輸送に時間が掛かり、他の部隊がベルギーに出撃した後も、ここドーバー海峡に面したフランスの港町カレーで足止めを食らっていた。
いや、足止めを食らっている、というのは厳密には正しくない。
正確には予定通りであるのだが、戦局が我々に十分な時間を提供してくれなかっただけだ。
我が遠征軍は、フランスに船で移動したのだが、旅の疲れを癒す間もなくフランス軍の要請でベルギーのモンスへと出撃することになったのだ。
まさかドイツが開戦後すぐさまベルギーに大攻勢を掛けてくるとは。そしてベルギーの誇る要塞線が一週間も持たずに抜かれてしまったのは、想定外だったというべきか…。
それで、装備の移動が完了していない我が第一騎兵師団は、カレーの町で装備が揃う迄待機しているという訳だ…。
それは兎も角…。
第一騎兵師団は、我が軍では全部隊に先駆けて全ての馬を車両に置き換えた機械化騎兵師団であり、我が軍にあっては虎の子の決戦戦力として期待されているほどの戦力を保有する。
しかし本来であれば、我々は伝統に則り馬を駆り、今頃は戦場を駆け巡っていた筈だった。
つまり装備改変以前の装備であれば、恐らくは既に部隊と馬等の装備の輸送は終了しており、他の遠征軍と共にベルギーへと出撃していた筈だ。
まさか、車両の輸送にこれ程時間が掛かるとは思わなかったぞ。
トラックだけであれば、まだここ迄時間は掛からなかったはずだ。
しかし、例えばユニバーサルキャリアは車重が4トンを超えていてトラックの二倍の重さがあり、何処へでも気軽に問題なく輸送出来るという訳にはいかず、これをフランスまで運ぶには貨車や埠頭などの特別な手配が必要だった。
だが最大の問題は、車重が20トン近い戦車だった。
防諜面も考慮すると限られたルートでの輸送しか出来ず、結局は鉄道車両を輸送するルートを使っての輸送となったのだが、今のペースだと全ての車両の輸送を終えて出撃可能になるまでに、下手すると年内一杯は掛かりそうだ。
ところでこの戦車を運ぶ為に考え出された偽装方法が、戦車を鉄道貨車に積載した後にブリキ板で囲って水などを運ぶ大型のタンクに偽装するというものだった。勿論、塗装もしっかりしてあるから、傍目には本物の水タンクにしか見えないだろう。
この〝タンク〟に偽装するという手法は乃木の発案だが、これを想定して乃木は〝バトルタンク〟と呼んでいたのか…。
いずれにせよ、戦車部隊の出撃にはまだ時間が掛かりそうで、まずは装甲車とユニバーサルキャリアで編成された騎兵旅団から実戦投入することになるだろう。
新たな鉄の馬で戦う日が今から楽しみだ。
史実とは異なり、未だ港に足止め中です。