閑話三 1914.8 エドモンド・アレンビー
主人公の会社には馴染み深いアレンビー少将視点の閑話です。
1914年8月 エドモンド・アレンビー
我が大英帝国が、乃木と深い関係を築く事が出来たのは僥倖であろう。
日露戦争を戦った乃木希典将軍の子息が我が国で銃器会社を起業した、と小耳に挟んだ時は、何の悪いジョークだと気にも留めなかった。
だがしかし、後日その会社が実際に英国で新しい銃器を開発し、それが我が軍に採用されたと聞いた時は、改めて驚いたものだ。
最初は軽機関銃を、その次はピストルの弾を発射するという短機関銃を開発したのだったか。
当初軽機関銃が持ち込まれた時は、装弾数が多い割に空冷式なので軽量で携行性に優れているが、銃身が交換できず、なにより我が軍で採用している弾丸が使用できないため、不採用にしたらしい。
しかしその次に持ち込まれた短機関銃は、試験を担当した将校が非常に興味を持ち、社長である乃木を呼んで、どういう意図で作られた武器なのかを説明させたと聞く。
すると乃木は自らの日露戦争の従軍経験を語り始め、その戦訓から必要性を感じ開発した銃器なのだ、と説明したという。
そしてその説明を聞き必要性を感じた担当将校が、以前持ち込まれた軽機関銃と今回の短機関銃を用いて塹壕と機銃陣地を持つ陣地攻略の演習を行ってみたところ、好成績を収めたのだった。
その頃から、明らかに我が軍の関係者の、乃木の会社に対する評価が変化していくことになった様だ。
何しろ、最初に持ち込まれた軽機関銃にしろ次の短機関銃にしろ、見た目はプレス加工を多用した『パイプの玩具』と渾名される程の急造品に見え、明らかに我が軍が装備している銃器に見劣りしたのだ。
だが試験し演習で使い、その後部隊に配備して試験的に使ってみたところ、信頼性が高く何よりも生産性が極めて高いので調達コストも安い、と良い事尽くめだったのだ。
最初は安っぽく見えたその見た目も、慣れてしまえば気にもならなくなる。
その結果、軽機関銃は〝エンフィールド軽機関銃Mk1〟、短機関銃は〝エンフィールド短機関銃Mk1〟とそれぞれ正式名称が決まり、我が軍に採用されたのだった。
エンフィールド短機関銃Mk1は実際に使ってみると、やはり近距離戦闘に特化した銃器であり、個人装備の銃器として絶大な火力を発揮するが、中遠距離戦闘ではピストル弾を使用するだけに威力が落ちてしまい効果的ではない。
しかし、分隊長や小隊長などの前線将校や下士官から、高い火力やその携行性の良さから配備を求める声が大きくなり、まずはそこから配備を進めていく事になった。
何しろ我が軍が採用しているリボルバー拳銃は、信頼性の高い護身兵装ではあるのだが、実戦では正直気休めの武器でしかない。
だが短機関銃であれば部隊指揮を阻害することなく、必要になればすぐさま大火力を叩き込むことが出来る。しかも再装填も弾倉を入れ替えるだけと言う、リボルバー拳銃とは比較にならない程容易だからな。
またエンフィールド軽機関銃Mk1の方は、我が軍の歩兵部隊に大きな火力向上を齎した事は間違いない。
我が軍は、これまで高度に訓練された素晴らしい技量の小銃兵による機銃並みの高火力を強みとして来ていたが、この軽機関銃はたった一丁で一個分隊の小銃兵の火力を軽く凌駕するのだ。
この事は、我が軍の歩兵部隊の編成そのものを変化させるに至ったのだ。
我が軍で機関銃と言えば、極めて信頼性が高く水冷式なので連続射撃能力に優れたビッカース機銃であるが、この機関銃は優れた機関銃なのだが水冷式なので非常に重く、固定して使われる事を前提としている。
その為、防御戦闘には優れているが、歩兵部隊と共に移動しながらその戦闘を支援する事は困難だ。
ところがエンフィールド軽機関銃Mk1は、重たく簡単に移動の出来ないビッカース機銃と異なり、容易に部隊と共に移動が出来、行く先々でその強力な火力を投射することが出来るのだ。
この事は非常に大きい。
何しろこの軽機関銃は、二人一組での運用が推奨されるが、一人でも十分携行操作が可能なのだ。
つまり、通常の分隊にそのまま配備が可能という事なので、この軽機関銃が採用された後の我が軍の歩兵部隊の編成は、この軽機関銃を軸にしたものに改編されることになったのだ。
これ迄歩兵分隊は小銃兵のみで編成されていたが、それが短機関銃を装備する分隊長と小銃を装備する小銃兵六名からなる小銃班と、小銃を装備する副分隊長と軽機関銃手、補助機関銃手からなる軽機関銃班の二班で構成される分隊へと改編されることになったのだ。
そして、その後の改良で銃身交換を容易に出来るようになったエンフィールド軽機関銃Mk1は、軽機関銃でありながら三脚に取り付ける事で、ビッカース機関銃の様に据付の機関銃として運用する事も可能であり、またエンフィールド軽機関銃用三脚も一人で運べる事から素早く移動して防御戦闘にも対応出来るので、幅広い運用が可能となったのだ。
この事は我が騎兵部隊にも無関係では無く、騎兵部隊の装備からビッカース機関銃が外れ、その代わりにエンフィールド軽機関銃Mk1が配備される事になったのだった。
もっとも、我が騎兵部隊への乃木の影響は、新型軽機関銃の配備程度で終わる事は無く、寧ろ本格的な影響はその後だった。
乃木の会社から無限軌道を装備し鋼鉄製の車体を持った車両がアルダーショットに持ち込まれ、それを初めて目にした私は、痺れる様な衝撃を受けた。
これ迄の内燃機関車といえば、一部の好事家が楽しんでいるレースカーは兎も角、一般的には整地された道路をノロノロと走りしかも頻繁に故障する信頼性の低い乗り物であり、軍での使用に耐えられるとは到底思えない代物だったのだ。
ところが乃木の持ち込んだ、彼が〝ユニバーサルキャリア〟と呼ぶ車両は、この名称がそのまま我が軍でも使われることになったのだが、この車両は今迄のモノとは全くの別モノだった。
不整地をモノともせず時速30キロ以上で疾走し、しかもエンジントラブル等で止まる事も殆ど無い。
大きさも手ごろで、運転手と前面に設けられた銃座で機銃を操作する機銃手の二名の乗員と、四人の完全武装した兵士を載せることが出来る。
車両自体は7mm~10mmの装甲で守られており、小銃弾程度であれば十分防ぐ事が出来る。これは実際に実弾で試したから間違いない。
勿論、兵士に限らず物資を載せて運ぶ事もできるし、砲を牽引する事も出来る。更にはエンジン出力が大きいので、ユニバーサルキャリアが走行不能に陥った際には牽引して回収する事も出来るのだ。
騎兵というとロバーツ卿の改革以来、今の現実を理解しない頑迷な連中ばかりで、時代に取り残された存在だと陰口を叩かれている事を私は知って居る。
我々騎兵だって、機関銃の登場で以前のような活躍か困難になっている事は十分に理解している。
しかし戦争には突破力が必要であり、機動力のある戦力が無ければ戦線は停滞してしまう。
戦線の停滞はそのまま戦線の要塞化を招き、それを抜くには更に夥しい犠牲が必要となろう。
騎兵突撃こそそれを突破する力であり、その機動力で敵に主導権を握らせず、味方に有利な様に戦況を推し進める事こそ理想なのだ。
だが馬に代わる機動力と突破力のある乗り物が無く、また海軍が一部警備用に採用している装甲車を見た事があるが、あんなものは基地内の警備程度にしか使えない代物で、不整地だらけの戦場で騎兵と互角の機動力など全く持ち合わせていない。
つまり、機関銃の登場で騎兵に代わる新たな突破力が求められているにも関わらず、代わりとなる物が無かったのだ。
これ迄は。
そう、私は目の前で疾走するユニバーサルキャリアを見て、乃木が持ち込んだこの車両こそ我々騎兵部隊が待ち望んでいた物では無いのか、とそう感じたのだ。
それが確信に代わるのは、その後持ち込まれた砲塔を備えたモデルを見た時だ。
戦闘艦の砲塔の様に全周に旋回する砲塔に〝エンフィールド重機関銃Mk1〟として採用される事になる12.7mmという大口径弾を発射する新型重機関銃を装備した装甲車は、兵員を搭載したり荷物を載せるという汎用性こそ失われていたが、戦力としては絶大だった。
重機関銃の弾丸の大きさは従来の小銃弾とは比較にならず、しかもその威力はコンクリートブロックを軽々と粉砕し、重機関銃陣地等に使われる土嚢すら破壊する程なのだ。
つまり、敵の機銃陣地を無力化しながらその機動力に物を言わせて敵の戦線を突破する事が可能な、正に騎兵に代わる新たな鉄の騎兵たりえる存在だったのだ。
実際に、装甲車を装備した機械化騎兵部隊とユニバーサルキャリアに搭乗した機械化歩兵部隊で戦線突破の演習を行ってみたが、これ程までに騎兵と歩兵が上手く連携して戦闘出来た事は今迄無かったのでは無いだろうか。
またその演習の際に持ち持ち込まれ新たに採用される事になる、乃木が〝アサルトライフル〟と呼ぶ新式小銃だがこれを装備した歩兵部隊は、従来の同兵数の歩兵部隊では到底太刀打ちできない程の火力を発揮するだろう。
正に小銃兵全員が機銃を持つようなものだからだ。
だが、その火力が凄まじい事と比例する様に消費する弾薬の量もまた凄まじく、全軍がこの新式小銃に装備を統一するには、まず我が国の兵站能力と輜重部隊の強化から始める必要がありそうだ。
その為、これらの新式装備は先ず機械化部隊に集中配備されることになり、新たに編成される機械化部隊は我が軍の虎の子として、実戦デビューするその日まで秘匿されることになった。
いずれにせよ我が軍の騎兵部隊は、祭典などでは従来通り騎乗するが、順次機械化する事が決定され、まず私が指揮するアルダーショットの騎兵部隊から機械化が始められることになったのだ。
ところがだ。乃木に驚かされるのはこれで終わりでは無かった。更に我々を驚かせる隠し玉を持っていたのだ。
忘れもしない去年の秋頃に、新しい兵器が有ると乃木から連絡があり乃木の会社まで訪ねていったのだ。
そして、彼の会社の試験場で疾走する〝それ〟を見た瞬間、私ははからずも叫んでしまったのだ。『これこそ騎兵の為の鉄の馬だ!』と。
以前装甲車を初めて見た時、私はそう思ったのだ。しかし〝それ〟は、装甲車を遥かに凌駕する代物だった。
開発コード「XM-1」のそれを、乃木は最初〝バトルタンク〟と紹介した。
私が『何故〝タンク〟なのだ?これで水でも運ぶのか?』とジョークのつもりで言ったら、乃木は驚いたような表情を浮かべ、〝バトルカー〟だと言いなおした。
しかし私は、『これはカーというには大きすぎはしないか、寧ろ〝バトルビークル〟と呼ぶべきでは無いか』と指摘すると、乃木はならばバトルビークルと呼びましょうと更に言いなおした。
それで、我が軍でもバトルビークルと呼ぶようになったのだが…。
何故乃木はこれをタンクと呼んだのか、その答えは最近までわからなかった。
そのバトルビークルが我が軍に与えた衝撃は途轍もないもので、直ちに採用が決定したが同時にこの兵器の存在は最高の軍事機密扱いとなり、知って居るのはアルダーショットで最初にこれを装備することになった私の部隊の関係者だけだ。
バトルビークルは確実に戦局を左右する存在になるだろう。
その機動力は装甲車やユニバーサルキャリアを凌駕し、大口径の野砲に比べれば小さいとはいえ、海軍でも使われている6ポンド砲を装備したその火力は、敵の機銃陣地など簡単に粉砕するだろう。
それが一両や二両では無く、何十両が同時に攻勢に出るのだ。
騎兵なら誰しもが思い描く大突破が、このバトルビークルなら可能である事は間違いない。
しかし、ここに至って私が思ったのは、乃木とは一体何者なのだろうか、だった。
乃木の会社は、最初は小さな町の鐵工所であったが、その後買収や拡張を繰り返し、今や英国でも屈指の大企業となった。
民需品も販売している様だが、実質的に軍需企業と言って間違いないだろう。
銃器から車などの車両、更には装甲車や戦車等も製造し、そして航空機製造会社に造船所まで持っているという。
また、彼は数々の特許を英国で取っており、英国での活動期間を考えればその数と範囲は群を抜いており、英国でも有数の発明家であると言っても差し支えない。
私は、我が軍に採用された彼の会社の製品の数々を見ていて、その完成度の高さに故に思ったのだ。何故最初から完成品が出てくるのだろうか、と。そういう感想を持つに至ったのだ。
何故そう感じたのかはわからないが、ふとそう思ったのだ。
それくらい、彼の会社の製品と他社製品との性能差が隔絶している。
それらを供給する彼の会社で働く従業員は英国人が殆どを占めるが、例えば銃器技師にはロシア人や米国人が居るし、航空機技術者にはフランス人というように外国人もおり、優秀な人材が揃う。
しかし優秀な人材が揃っているとは言え、冶金分野にせよ他の何にせよ、まるで最初から答えを知って居るかの様な印象を受ける程、開発の過程が無くいきなり完成品が飛び出してくる、そんな感じなのだ。
それで、乃木自身の事に少々興味を持って関係部署に色々と聞いてみたのだが…。
同盟国とはいえ外国人という事もあり、乃木の事はかなり詳細に調査されてあった。
あの乃木希典の次男で、名は乃木保典。
士官学校を優秀な成績で卒業し日露戦争に従軍したが、その日露戦争で生死の境を彷徨うような重傷を負い、一時は記憶喪失に陥っていたらしい。
その後回復し、それ迄の軍人としてのキャリアとは別に技官としての道に進み、陸軍大学に入学しながら日本の帝大で工学を学び、後に我が国へと留学。我が国の大学でも優秀な成績を残して留学を終えている。
この経歴だけを見ると、我が国での活躍が頷けるほど、優秀な人材だという事が分る。
日本は良くこれ程の人材を外に出したものだ。
しかし、日露戦争従軍迄は工学に全く素養の無かった人物が、戦後いきなり技術者としての道に進める物なのだろうか…。
また彼は、かなりの資産を持っている事が分っているが、彼の生活は実に質素で、言い換えれば生活感が感じられない。
ベーカー街40番地の賄いつきの下宿が彼の自宅だが、週に一度くらいしか帰宅していない様だ。その代わりにほとんどの時間を仕事に費やしていて、グランサムの彼の会社に設けられている狭い簡易宿舎で寝泊まりしているそうだ。相当な仕事人間だな。
彼のその資金はどこから出ているのか、当局も関心を持ち調査を行ったが、その資金の一部は日本政府から出ている様だった。だがしかし、彼の会社の製品を日本も採用している事を考えると、それが不正という訳でも無い。
同盟国が同じ装備をしているという事は、メリットが多い。
当局の調査結果は、彼の資金の一部は日本政府から出ているが、大半は彼が米国に作った石油会社や彼が大株主になっているレオ自動車などの米国企業への投資の配当から得ている、との結論だった。
つまり、乃木は企業家や投資家としての才能もかなりの物という事か。
その乃木は未だ独身で、彼の身の回りに居る女性は会社関係以外では下宿先の老女位で、浮ついた話は一つもない。
我が国にとっても重要人物になりつつある乃木だが、そろそろ鈴をつけるべきじゃないのかと私は思ったね。
それは兎も角、私は今月から戦地だ。
次に乃木と会うのは、大分先になるだろう。
しっかり調査は入っている様です。