第四十二話 1914.8-1914.8 開戦
いよいよ開戦です。
1914年8月1日、ドイツがロシアに宣戦布告した。
そして、二日後の8月3日には更にフランスに宣戦布告。
翌8月4日、事前の外交交渉での宣言通りイギリスがドイツに宣戦布告。
これを受けてアメリカとイタリアは中立を宣言、俺の知る前世では両国とも後から参戦するのだが、この世界ではどうなるのだろうな。
イギリスの参戦から二日後の8月6日、オーストリアハンガリーがロシアに宣戦布告。
フランスはロシアと同盟関係であったため、8月12日にオーストリアハンガリーに宣戦布告。
連鎖的にイギリスもオーストリアハンガリーに宣戦布告。
役者が出揃った、では無いが、これで前世の史実通り、欧州は大規模戦争へと突入した。
我が皇国は、欧州規模の大戦が発生すればイギリス側で参戦する事が国家方針で既に決まっており、8月1日にイギリスのグレイ外相から伝えられた、日英同盟に基づく対独参戦要請を皇国は直ちに受諾。
イギリスからの要請内容は、膠州湾の青島を拠点としたドイツ東洋艦隊によりイギリスの商船が脅威に晒されているのでドイツ艦隊を撃破してほしい、という史実通りの要請と、前世ではこの時点では無かった筈の、欧州戦線への皇国軍派遣が併せて要請された。
俺の知る前世の歴史では、我が皇国は8月1日にイギリスからの〝日英同盟には欧州は含まれず〟との通告から、8月4日に一先ずは中立を宣言した。
しかし8月7日になると、イギリスより青島のドイツ艦隊に対する攻撃要請があったが、その二日後には攻撃の一時延期が要請され、更に11日になると攻撃要請自体が正式に撤回される、という二転三転する様な対応だった。
前世の日本は、この頃かなり大陸に進出しており、攻撃要請が更なる大陸権益拡大のダシにされないか、とイギリス側に懸念されていたのだ。
その上、オーストラリアやニュージーランド、更には米国などの周辺諸国が日本の参戦に対してイギリスに反対の意を伝えるなど、当時の日本は周辺国から更に膨張する事を警戒されているといった状況だったのだ。
当時の元老井上馨が『日本国運の発展にたいする大正新時代の天佑』と発言するなど、皇国首脳陣が欧州大戦への参戦を好機とらえていたこともあり、イギリスに参戦の意を強く伝え、結局は日本に都合のいい形で参戦することになったのだが。
しかし、この世界での日本は早々に大陸利権を英米に売り渡して国内開発に専念し、しかも外資を積極導入して英米の大陸進出への後背地としての役目を十二分に果たしている事もあり、英米に警戒感を抱かれる事も無く、また俺がイギリスで起業して英国軍の装備改善に大いに貢献して皇国侮りがたし、の評価を得たこともあり、特に警戒される事もなく今回の参戦要請となった様だ。
皇国は史実よりも早く、8月4日にイギリスがドイツに対して宣戦布告を行ったが、その二日後の8月6日にドイツに対して宣戦を布告した。
しかし、恐らく太平洋側の対独戦に関しては、ほぼ史実どおりの展開になると思われる。
何故なら、新型小銃や汎用車両などの新装備は、現世の皇国が前世の皇国より工業力が大幅に伸びたとはいえ、全軍の主力装備を短期間で全く新しい装備に更新する迄には至らず、なんとか軽機関銃や重機関銃が更新配備出来ただけで、しかも補給の問題も懸念されている。だから残念ながら、青島に出動する部隊は前世の歴史そのままに、三八式歩兵銃を携えて補給の心配をしながら戦地に向かうことになるだろう。
そして配備中の戦車や装甲車等の新兵器は、損傷や鹵獲を恐れて青島では使われない可能性もある。
ちなみに現世の統合軍では、銃器は勿論全ての一般兵装から菊花紋章は削除された。兵器は消耗品であり、戦場では当たり前の様に損傷し、場合によっては廃棄される。国家財産でもある兵器は大事に扱うべきだが、粗末に扱われることもある代物なのだ。そんな物に菊花紋章を入れるなんて正気の沙汰では無いからな。
天皇の紋章を踏みつけにしたいのか、と反対を唱えた奴にそう問い詰めたらほぼ黙り込んだぞ。
勿論、下賜の品など特別な物は別だ。
また前世と明確に異なるのは、現在の内閣は変わらず山本権兵衛首班の山本内閣であり、この大戦が実質的に統合軍としての初の実戦となるという事だ。
とはいえ、拙速に組織替えを行うのは損じる事も多いだろうとの判断で、海軍出身の斎藤実が海軍を退役した上で初代軍務大臣を務め、陸軍出身の木越安綱が初代の統合参謀部本部長に就任している。
青島攻略を指揮するのは統合軍の神尾光臣中将、艦隊を率いるのは加藤定吉中将という史実そのままのコンビが担当する様だ。
一方で欧州のドイツ軍は、前世の歴史で学んだそのままに、8月5日にはベルギーへと雪崩込んでリエージュ要塞を攻撃、7日にはリエージュの街は陥落したが、街を取り囲むように作られたリエージュの十二の要塞は抵抗をつづけた。
要塞そのものは近代的な物で、ベルギー政府により巨額の予算が投じられて建造されており、ベルギー軍とフランス軍が兵力を動員するのに必要な時間を稼ぐことが期待されていた。
当初ドイツ軍は、難攻不落とも思えたリエージュ要塞に苦戦。しかし戦闘が進むにつれリエージュ要塞の脆弱性や問題点が露呈して行き、最終的にはドイツ軍のディッケベルタこと42cm榴弾砲などの強力なドイツ軍の砲火に耐えきれず、計画で一月は持ちこたえる筈のリエージュ要塞は、数日しか持ちこたえることが出来なかった。
だが、持ちこたえたこの数日が実はかなり貴重で、後に響いて来たと何かで読んだことがあるぞ。
8月4日、イギリス国王ジョージ五世によるイギリス遠征軍の閲兵が行われた。
前世での歴史どおり、兵力は4個歩兵師団と1個騎兵師団の計5個師団が派遣されるという。
英国は志願制の国の為、派遣される5個師団の全員が職業軍人であり練度が高いと聞くが、国王の前を隊列を組み進んでいく兵士達は、一糸乱れる事なく堂々としたものだ。
しかし俺は、招待された事もあり閲兵式を客席から見ていたのだが、一つ気が付いたことがあった。
俺が英国陸軍に納品した装備が殆ど展示されなかった。
兵士達は英国兵のトレードマークとも言えるSMLEマーク3歩兵銃を肩に担ぎ、馬がビッカース機関銃を牽引して行く。
兵士達が携行していたうちの会社の製品と言えばエンフィールド軽機関銃Mk1位で、うちが納品した装備は一体どこに行ったのだろうな。
俺をここに呼んだ遠征軍としてフランスへ派遣されるアレンビー少将は俺の浮かぬ表情を察したのか、ニヤリと口角を吊り上げて見せた。
つまり、これは意図された演出という事か。
ベルギーでは既に戦端が開かれ、イギリスは遠征軍を派遣します。