第四十話 1914.6-1914.6 サラエボ事件
いよいよサラエボ事件が起きた月です。
1914年6月、車載用無線機を頼んでいたフェッセンデンが試作品を完成させた。
一年以内という話だったが、試作までかかった期間は九ヶ月、量産までを考えると当初の見立て通りという所か。
この時代は真空管の黎明期だが、イギリスにはかの有名なフレミング教授がおり、必要な部品や資料が簡単に手に入る好環境でもある。
この時代の真空管というと、白熱電球を作っているメーカーが作っていて、日本でも既に製造されていたはずだ。
イギリスでのこの手の電気機器メーカーはというとかの有名なゼネラルエレクトリックカンパニーだ。
米国のGEとは同業だが無関係な他社らしい。
ここが俺が欲しい車載無線機を既に製品化していれば、わざわざ自前で作る必要が無かったのだが、今はまだそういうのは作ってない。
イギリスで今の時期無線で有名な会社というと、かのイタリア人マルコーニが作ったマルコーニ無線電信会社という、そのまんまな名前の会社だな。
そのマルコーニの技術を導入して日本も無線機を開発したわけだが、電信機能のみなので、当たり前だがモールス信号でしかやり取りが出来ない。
専用の通信室があり専門教育を受けた通信技師が居る軍司令部や艦船であればそれでも良いのだが、戦車に搭乗する兵士が激しい戦闘中にモールス信号のやり取りなんて出来るかって話だ。
当然ながら音声でのやり取りが必須である。
その為のフェッセンデンであり、彼こそこの時代の無線技術の第一人者。
しかし彼がこれまで作っていたのは、長距離を飛ばす事が要求される大型で高出力の物。一方俺が求めているのは、精々一キロも飛べばいいが戦車に搭載できる小型の物なので、まるで正反対の物を作ってくれと言ったのだ。
俺は併せて、戦車用無線に必要とされる咽喉マイク付きのヘッドセットも制作した。
どちらも既に製品が存在する物だが、戦車兵にぴったりなヘッドセットにデザインしたぞ。
話は戻るが、フェッセンデンが作った試作無線機は、中短波を利用し有効距離は一キロ、重さが約百キロ程あり、送信機、受信機など三つほどの機材で構成されていた。
サイズは予め戦車に設けてあったスペースに収まる様に作られて居て、衝撃に関しても二重構造にすることで、ある程度耐えられるようになっている仕様だ。
電話の様に簡単に使う事は出来ないが、使い方を習得すれば専門の通信技師程の知識は無くともある程度手軽な運用が可能との事だ。
これを実際に戦車に搭載して何度も使ってみて、ノイズや熱など諸々の問題点を解消し、最終的には量産品となる訳だ。
車載無線機に関しては、イギリス軍は現時点では導入しない様なので我が皇国軍向けの装備となるが、いずれイギリス軍も採用することになるだろう。
正直手旗信号での部隊指揮では、極簡単な事しか出来ないと思う。
ドイツに居た八木英次がイギリスにやって来た。
史実でも今年、戦争の影響でドイツからイギリスへと渡ってきてフレミング教授に師事するんだが、本国の命令で俺の元へとやって来たようだ。
フレミング教授と俺は面識があるから俺が紹介状を書いてやる事も出来るが、ここに米国の大学教授だったこともあるフェッセンデンが居るのだから、彼の下で仕事を手伝えばいい勉強になるだろう。
勿論、かのフレミング教授の講義も受けさせるので、どちらも大いに為になると思う。
まだ先の話だが彼にはさっさと八木アンテナを発明してもらわないとな。
六月も半ば、皇国から待ちに待った荷物が、開発に関わっていた技術者数名と共にうちの会社へと到着した。
その荷物とは、トランジスタの先行試作品の最初のロットの一部だ。
以前皇国に資料を送ったチョクラルスキー法による高純度のゲルマニウムやシリコンの取り出しの実証実験に、帝大のリリエンフェルト研究所が成功していた。
そして、素材の問題から現時点では実現不可能と言われていたトランジスタ作製だが、適した素材を入手したことによるブレイクスルーで、一気に彼の研究は加速した。
そして、年が明けて早々に手作りの試作品が完成し実験したところ、リリエンフェルトが考え出し組み込まれた構造が増幅作用を生じることが実証された。
製造法は秘匿するが、既にリリエンフェルト教授は動作原理などの特許申請の準備をしている様だ。
トランジスタの先行試作品百セットを持参したのは俺の知らない人物で、皇国の逓信省電気試験所で通信工学の研究に従事していた鳥潟右一。
彼は既に1912年に無線電話機を横山、北村両氏と共に開発に成功させている程の逸材らしい。
そんな彼だが、我が皇国の優秀な若手技術者の一人として、帝大にリリエンフェルト研究所が立ち上がった時、研究員として逓信省から派遣されて居たそうだ。
で、元々通信工学が専門の彼だが、英国にトランジスタを運ぶ時にこの時代通信関係では先進国の英国に若手技術者を一緒に派遣する話が出てそれに志願したと、そういう事らしい。
ならば、既に実績のある彼にフェッセンデンの開発した無線機のトランジスタ化を任せる事にしよう。
フェッセンデンは無線機の量産が始まるまでは無線機をやって貰うが、その仕事が終わったら魚群探知機の仕事をして貰うことになっている。
既に本人に次の仕事の一例としてそんな話をしたのだが、食いつきが良くてすぐにとりかかってもらう事になっている。
まあ、ソナーを作った本人だしな。
ランチェスターが近代飛行機の素体とも言える原型機を作り出し、その美しい翼をもつ機体模型が風洞内で美しく風を受ける様を航空技術者達が見た時、彼らは一様にあんぐりとしてその様子を暫くただ呆けて眺めていた。
何故なら、彼らが作り出した試作機は確かに当たり前に飛ぶ事の出来る水準ではあるが、風洞実験ではその構造的に空気をかき乱す事が当たり前の様なレベルだったからだ。
ランチェスターはこの美しい翼と機体の理論を惜しげも無く彼らに語って聞かせ、しかも彼らの疑問の数々には全てよどみなく答えた。彼らは蒙を啓かれる思いだった筈だ。
しかしながら、直ちにランチェスターの素体を参考に航空機を作れるかと言われると、それは否だった。
あくまで、ランチェスターが作り出したのは木工模型で、然るべき素材で作り上げ実現することが出来たなら、シュナイダーカップの記録を大きく塗り替える様な性能を発揮するかもしれない。
だが、この時代の機体は鋼管羽布張りが一般的であり、新たに木製や金属製のモノコック構造の機体や翼を直ちに実現する事は不可能だった。
勿論、時間を掛けて開発を進めればいずれ史実でもそうであったように実現する事が可能だろうと思われるが、第一次世界大戦の初期の段階で登場させることは無理だろう。
ならばランチェスターが提示して見せた素体が直ぐに役に立たなかったのかというと勿論そんな事は無く、少なくとも各設計局が、現時点で作り上げた試作機を再度白紙にして新たに作り直したい、と口々に申し出る程の強い影響を与えた。
但しこれは、何度も試作機を一から作り直すことを許せるほどの余力がうちの会社にあるからこそではあるのだが。
一週間もせず、彼らは新たな飛行機の構想を描いたスケッチを提出してきた。
三つの設計局が出して来たスケッチは以前迄の試作機と異なりどれもあか抜けており、一気に大戦期レベルまでその設計思想を進めたように見えた。
特に以前と明らかに変わったのは機体形状だろう。
以前の試作機だと多少の差異はあれど四角い断面の胴体にデザインされていたのだが、今回上がって来たのはより空力性能を意識した楕円の胴体へと変化していた。
そして尾翼も如何にもあか抜けない古めかしい形をしていたのが、ランチェスターが一つの形を示してしまった事が影響しているのか、俺にとっても既視感のある、後の時代の戦闘機が採用していた様な尾翼へと変化していた。
以前よりもかなり空力を意識してスマートになった胴体を一様に持つ事になった訳だが、機体形状の中でも特に考え方の変化が見られたのはエンジンカウルだな。
これも時代と共に空力特性が重視されるようになり、結果としてそういう形へと変化して行ったのだが、この部分もランチェスターのデザインの影響をもろに受け、搭載予定のV型8気筒150馬力エンジンの形状に合わせて、後の時代の液冷エンジン搭載機の様な機首デザインへと変化した。
また、機体、翼に関しても基本的な物は変わっていないが、ランチェスターの提言により、うちの会社で調達が可能なアルミ合金を活用した金属部品を多用した機体へと変化していた。
これにより、見込み機体強度は以前よりかなり向上し、複葉の桁は空力を意識したスマートでより強度のある形になり、ワイヤーの本数も大幅に減らされた。
今後、単葉機化して行くのだろうが、一先ずはこの形なのだろう。
そして、結局は既視感のある形へと変化して行くんだな。
デハビラントの新たな偵察機は以前と同じく複座の複葉機だが、以前と異なるのはやはりスマートになった機体で、史実の第一次世界大戦後期にデハビラントが作ったDH.9をより空力を意識して洗練化した様な美しい機体に仕上がっていた。
ただし、二人乗りの偵察機という事なので、エンジン出力が150馬力程度では力不足かもしれない。
この辺りはV12エンジンの早期実用化が待たれるところか。
フェアリーがあげて来た爆撃機のデザインは、以前と同じくV8エンジンを二基搭載。
しかしそのデザインは、デハビラントと同じ様に史実の第一次世界大戦後期に開発していたレベルまで一気に進んでおり、こちらも美しい機体デザインになっていた。
この機体も150馬力エンジン二基ではいかにも非力で、もっと大馬力エンジンが必要なのだろうな。
最後に、ブロッホが出して来た戦闘機デザインだが、以前の吊り上げ構造の単葉機は消滅し、史実の第一次世界大戦後期型の戦闘機に変化していた。
但し、彼が採用したエンジンは液冷V8エンジンでは無く、ローレンスが開発中の空冷星型9気筒エンジンの方だった。
ローレンスのエンジン開発は、最初30馬力の2気筒エンジンから始まり、60馬力の3気筒Y型空冷エンジンを経て9気筒星型エンジンへと進化した。
これらのエンジンも小型軽量でなかなかの性能を発揮し、現時点で量産こそしなかったものの将来的に民生用に発売しても良いかと考えている。
そして、最近試作品が完成したのが9気筒の空冷星型エンジンだ。
このエンジンは重量が215Kgで200馬力を発揮する。
ちなみに液冷V8エンジンは270Kgだから、冷却器系の事を考えても重量当たりの馬力はローレンスの空冷エンジンの方が勝っている。
勿論、勝っているからと言って星型エンジンを車載に回せる訳では無いんだがな。
話は戻るが、ブロッホが提出してきた戦闘機デザインはランチェスターの影響を多分に受けつつも、史実の大戦末期の複葉戦闘機をよりスマートに洗練させた様な機体デザインになっていた。
恐らく、ローレンスのエンジンの出来次第ではあるが、手堅く見えるその機体は比較的早い時期に実用化できそうな気がするな。
そして、6月末の頃、前世の歴史通りサラエボ事件が発生した。
話的にサラエボ事件は最後に事件が起きた事を書いただけでした。
次回いよいよ開戦です。