第三十九話 1914.5-1914.5 発電所
テスラ先生の仕事到着。
1914年5月、テスラ博士が開発した火力発電設備が、皇国から英国に船で到着した。
俺が英国で事業を始めてからずっと悩まされ続けていたのが、この国の電力事情の悪さだ。
何しろ英国は産業革命発祥の国であり、多くの発明と発見を世に送り出してきた国だ。そんな当時屈指の先進国である英国の電力事情がここまでお粗末だとは、俺は想像もしていなかった。
実際、英国の技術力を改めて知って、その水準の高さに驚かされたことは一度や二度ではない。むしろ、こんな時期からこんなものがあったのかと驚くことの方が多かったのだ。
ところが、この時代では英国だけに限らないのかもしれないが、事電力事情に関してはとてもでは無いが、増え続ける国内の電力需要に全く応えられていないのだ。
この点に関してはテスラ博士加入後、電力事業を集約して公社化した結果、飛躍的に電力事情が向上した皇国とは比較にもならない。
これ迄は何とかやりくりしてきたが、俺の会社が本格的に大規模な生産設備を稼働するにあたって安定供給される電力の確保は必須だろうと、一年前から準備していたのだ。
勿論、英国全体とかそういう大それた話では無く、俺の会社で使う分を賄うだけだった筈なのだが、発電に使う石炭輸送の為の引き込み線の敷設など諸々の便宜を受ける代わりにこの地方にも電力供給する羽目になってしまった。
俺の拠点であるグランサムは英国では内陸部に位置する為、俺が建設する発電所は所謂内陸型発電所という事になる。
テスラ博士に丸投げした未来知識がどんな風に実現されるのか正直楽しみではあったのだが、彼は石炭ガス化プラントに空冷式復水器を備えたコンバインドサイクル方式の火力発電装置を実現していた。
また、後から何か言われるのも厭なので、この時代の技術で可能な範囲にはなるが、乾式脱硫脱硝設備などの公害対策も当然施した。
設置から本稼働まではまだ時間が掛かりそうだが、これが動き出せば電力事情は一安心だ。
かなりの出費だが、関連特許も色々獲得できたし、将来戦時特需で確実に儲かるから何とかなるだろう。
後日談となるが、煙の出ない不思議な発電所として地元の新聞が取材に来ることになる。
アルミニウムが必要だ。
実験室レベルだが、ブレアリーが遂にA7075の実物を作り出した。
だが使用したアルミニウムは、実験用に調達した物だ。
うちの会社にも、ステンレス鋼を生産している関係から製鉄所がある。イギリスでは20年ほど前に深刻な製鉄不況があり、多く製鉄所が閉鎖の憂き目に遭っていたから、その中で閉鎖してから比較的日の浅い製鉄所を買収した。
製鉄所の有る街は、製鉄所の閉鎖で寂れてしまっていたので、製鉄所買収による操業の再開は大歓迎という事もあって安い買い物だった。
結局、設備は殆ど入れ替える羽目にはなったのだが。
それは兎も角、アルミニウムは今後確実に、しかも大量に必要になってくる。
それで、実験用に調達したアルミニウムを作っている会社を調べると、〝英国アルミニウム会社〟というそのまんまな名前の会社だった。
今から20年ほど前に設立された会社で、早速うちの会社にアルミニウムを供給してくれるように交渉した。
すると丁度設備拡張の為に資金を必要としていたので、うちの会社が出資するかわりに優先供給を受けられる契約を結んだ。
これで、うちの会社の設備でA7075の量産に目途がつくはずだ。
ガーランドが開発したバトルライフルだが、英国軍の試験では銃その物の評価は高かったものの、価格面から難色を示され、更には新型アサルトライフルや軽機関銃の更新を進めている最中で新たな銃の採用は混乱を招くとの判断で、現時点では不採用となった。
そこでマークスマンライフルとしてチューニングし、我が皇国の欧州派遣軍の選抜射手と特殊部隊に少量配備することになった。
どうせならという事でガーランドの次の仕事は、デグチャレフが設計した12.7mm弾を使用する対物ライフルの開発を任せた。
一応、12.7mm版M1ガーランドが上がってくると困るので、バレットM82的なセミオート狙撃銃の仕様とスケッチを渡しておいた。
これがあればトラックや装甲車を遠距離から止めることが出来るだろう。
デグチャレフが作っていた20mm機関砲が完成し、英軍に依頼して試験して貰ったところ問題無さそうだ。
試験用のモデルは、通常の重機関銃用の銃架の拡張版に架されて居たが、実際に使う用途としてはこのままでは勿論まずい。
その為、後の世のflak38の様な砲架に載せてもらう様に頼んだ。
対空自走砲は後から作るとして、汎用車両で牽引して運用する物は早期に必要だ。
併せて連装型、四連装型の開発も頼んでおいた。
これが完成すれば、強襲揚陸艦に搭載する対空機関砲が完成する。
ランチェスターは、彼の理論を実証するかのような翼を作り出して見せた。
ボートビルダーでもある木工職人の腕の良さにも助けられて、大型風洞でその翼は実に綺麗な渦を描いた。
彼が航空学を研究していたのは、もう12年も前の話だ。
そして、10年前に後の世の翼の基礎となる理論を完成していたのだ。
しかし、当時その理論はあまりにも先進的で高度過ぎたので、英国の物理学会では誰にも理解されなかった。
結局、論文は提出したものの却下され、埋もれてしまったのだ。
その後、動力飛行機の可能性についてもきわめて正確に予測し提案して見せたが、それについても相手にされなかった。だれも真剣に彼の話を聞かなかったのだ。
それが1906年の事。その事に彼は落胆してしまい、航空機開発から自動車開発へと軸足を移してしまうのだが、驚くことにその時点で既に飛行中に翼の後ろに発生する渦のモデルの開発まで進んでいたのだ。
英国は、当時世界で最も進んだ航空技術をドブに捨ててしまった様なものだな。
ところが、彼の論文にドイツのプラントルが興味を持ち、後に彼はランチェスターの渦理論の正確性を数学的に確認することが出来た。
ランチェスターが1908年に発表した翼の安定性に関する論文も英国ではまるで相手にされなかったが、その論文では既に振動と失速についての説明も含む彼のフゴイド運動理論を発展させ、後の世で使われて居る航空機の基本的なレイアウトにまで至っていたのだ。
結局、前世での史実では彼はその生涯の間で一度もその貢献を認められることは無かったわけだ。
英国政府は、ランチェスターをわざわざ航空諮問委員会のメンバーに任命しておきながら彼に求めたのは、その洞察力を活かした、将来の戦場での航空機の役割についての助言だけだった。
そこでも彼は、きわめて正確に将来の戦争で航空機が果たす役割を予見して見せたのだ。
なにしろ二重反転プロペラの特許をとったのが1909年だ。その当時、誰もその発明の意義について理解が出来なかったようだが。
さて、ランチェスターが考え出した翼というか飛行機は、後にかのヒューゴユンカースが彼の会社で1917年に飛ばして見せたJ9によく似た、しかし木工で綺麗に仕上げた機体らしくよりスマートで洗練された飛行機だった。
何しろ翼が既に楕円翼を飛び越してテーパー翼なのだ…。
後の世を知る俺から見れば、『おお、もうこれを考えるか』という感想だが、この時代の航空機設計者から見れば、目から鱗が落ちる思いだろうな。
なんでこれだけの天才が、存命中に正当な評価を受ける事が出来なかったのか。
そんなランチェスターが手伝った事が良かったのか、ローレッジが開発していた航空機用V12気筒エンジンの試作品が完成した。
ローレッジの希望で導入したダイカストによって作られたキャストブロックエンジンは、どことなく後のロールスロイスケストレルにも似た機能美を醸し出していた。
テストではV12気筒エンジン特有の甲高い爆音を奏でることが出来たが、まだ安定動作しているとは言えなかった。恐らく最高出力は300馬力を超えるとの見込みだが、すんなり量産には行かない様だ。
一方V8エンジンに関しては、更に改良が施された結果150馬力まで出力が向上した。
こちらの方は実に素晴らしい。
流石、後にケストレル、そしてマーリンエンジンを作り出した男だ。
天才ランチェスターがやらかします。




