第三十八話 1914.4-1914.4 皇国よりの来訪者
本国から人が来ました。
1914年4月、シーメンス事件は内偵により事態を把握した斎藤実海軍長官ら海軍上層部によって、世で騒がれる前に汚職に関わった多くの海軍将校が処分され、終結した。
前世の史実では松本元艦政本部長ら三人の処分だけで済ませたが、俺の進言を入れたのかこの機会とばかりに産業界と軍部との癒着構造を正し、三井物産や三菱などの国内軍事産業の社長も退任、或いは贈賄の容疑で逮捕されたらしい。
シーメンスは入札停止処分、ビッカースは三井物産主導の贈賄行為であったため、こちらは厳重注意。そして主導した三井物産もまた入札停止となった。
今回の綱紀粛正は事後ではあるが、新聞などにより国民に広く周知され、主導した山本首相、斎藤海軍長官は国民から喝采を浴びたそうだ。
史実とは正反対の帰結となったが、これで皇国は欧州大戦を存分に戦えるだろう。
今月に入って、皇国から俺が呼んでおいた軍人が数名英国に到着した。
表向きの用事は、視察団として同盟国軍である英国軍の視察と交流。
これに関しては、英国側からも今頃皇国に視察団が到着している筈だ。
視察団としての任務は勿論果たすが、実際の任務は新戦術の習得と研究。
そして、本人たちにはまだ明かされて居ないが、彼らは欧州派遣軍受け入れの為の先遣隊だ。
英国の俺のオフィスを訪れた彼らから、皇国より持参した俺宛ての手紙を受け取る。
中身を改めると書類が二通入っていて、一通は、年齢的にはかなり早いと思うが、『これ迄の功績を認め大佐とする』と言う、俺の昇進の辞令だった。
もう一通は命令書で、『起きる可能性が高い欧州での戦乱に対し、遺漏なく備えるべし』
という、シンプルな内容だった。
いずれにせよ、今俺が進めている数々の事が正にそれで、俺の役目は来たる欧州派遣軍受け入れの準備をする事だ。
今回到着したのは、陸軍から山下、石原両中尉。そして牟田口少尉。
山下は陸軍大学に入ったばかりなのだが、来てもらう事を事前に話していたから、今回の渡英を楽しみにしていたそうだ。
学籍はそのままだから、欧州大戦が終結して帰国後に学業再開、という事になるだろう。
しかし石原と牟田口は、若手将校の視察団に選ばれたから渡英してきた、と単純に考えている様で、当然俺が呼んだことなど知る由もない。
二人とも選ばれた事を非常に喜んでいて、石原などはこの機会にフランス等にも行ってみたいと呑気に話しているありさまで、半分観光気分だな。
石原は上司からの評価が高く、その上司は石原を陸軍大学へ進ませたかったようだが、今回上層部から石原に視察団への声が掛かった事を我がことの様に喜び、盛大に送り出したと聞く。
天才と名高い石原の活躍に期待したいところだ。
牟田口は、勿論あの牟田口だ。反抗したり妙な運動に関わって居るなら兎も角、今の時期の牟田口は寧ろ評価が高く、真面目な若手将校という感じだ。
そこで俺は牟田口は現場の将校としてキャリアを積ませ、陸軍大学へは行かせないつもりだ。
ちなみにこの世界の日本は、大陸から撤退して以降は大陸への関心はかなり薄れ、アジア主義的な主張をするものも未だ居るが、それはかなりの少数派となっている。
寧ろ、日本は欧米列強に伍する一等国だと諸外国に認めさせる事が国家目標となっている風潮だ。
実際、そういう空気の中策定した〝列島大改造計画〟による大規模インフラ整備事業により、太平洋側の常磐地方から日本海側の北陸地方に至る鉄道網や自動車道が整備され、そこに外資系企業が多く参入して工場を作った結果、日本は史実とは比較にならない工業力を有するまでになった。
皇国は大陸への政治的軍事的関与はやめたが、経済的には皇国の製品は大陸は勿論欧米諸国へも広く輸出されていて、貿易額の伸長線は綺麗な右肩上がりを描いている。
故に、史実では中国にかなりのシンパシーを抱いていたと言われる石原も孫文らを応援する気持ちはあれど、そこまでの傾倒は無い様だ。
当然ながら牟田口もこの先中国大陸へと行く可能性は皆無で、盧溝橋事件に関わる事も無いだろうな。
彼ら二人は、山下中尉から戦車や装甲車などを使った機甲戦術を学び、そして研究し、その内に必ず訪れる実践の機会に実戦指揮官として戦ってもらう事になる。
そして将来教導団として、後から派遣されてくる欧州派遣軍の教導にも携わってもらう事になる。
勿論、皇国でも戦車兵の育成は進んでいる筈だし、戦車を使った戦闘の研究も進められている筈なので、全くの素人を教える、なんて事にはならないと思う。
一方空軍からは、フランスで操縦技術や航空機について学んでいた高野大尉、永田大尉の両名が渡英してきた。
彼らには引き続き英国の飛行機学校へ通って貰いながら、強襲揚陸艦での航空機の運用についても研究してもらう。
恐らく、欧州派遣軍の航空部隊を当初指揮するのは永田大尉になるだろう。
この時期は我が皇国においては、航空機に関しては正に黎明期であり、とにかく人材が居ない。
なにしろ史実でも、日本軍初の航空機の実戦となった青島攻略戦に参加した航空機は全部で五機、それに気球が一つという状況だった。
当時の指揮官は有川工兵中佐で、元々は気球隊の人で、航空機や航空部隊指揮に関しては全くの素人で、急遽任命されたに過ぎない。
恐らく、彼らは史実通り青島で戦うことになるだろう。また欧州派遣軍の航空部隊の任務は少なくとも緒戦は偵察支援だが、永田と高野は、同時に皇国から派遣されてくる航空兵がそれを行える様に養成するのが任務となるだろう。
ちなみに、永田大尉は既に陸軍大学を1910年に優秀な成績で卒業しているが、高野大尉は海軍大学にはまだ入っていない。
高野大尉は欧州大戦終戦後に、新設された空軍大学へ入学、という前世の史実とはまるで異なるキャリアを歩みそうな気がする。
英国に戻って来てから交渉を進めていた、ガラス製造会社への出資交渉が成立した。
会社の名前はTriplexという、フランスの強化ガラス製造会社の製品の、英国での製造販売権を持っている会社だ。
まだ会社としての規模は小さく、製造している強化ガラスの重要性がまだ認知されて居ないこともあり、盛んに売り込んでいる最中だが今の時点ではあまり芳しくなかったようだ。
資金的にも厳しい状況だったようで、今の時点では完全買収こそ出来なかったが、増資によりうちの会社が半分の株式を持つ事になったので、うちのグループ会社に加わった。
この会社は、後の世のフロントガラスのスタンダードともいえる張り合わせガラスを作っている会社で、史実では自動車への採用はまだ先の話なのだが、俺はうちの会社で現在販売している自動車に標準装備する事にした。
勿論、軍用ペリスコープなどに使用する防弾ガラスの研究もここの会社でさせるつもりだ。
今の時点でも一応防弾ガラスはあり、ペリスコープに組み込んで軍用車両に装備しているのだが、後の世のペリスコープとは比較にならない程クリアじゃないのだ。
うちの会社で販売している全自動車に張り合わせガラスを標準装備するとなると、たちまちTriplex社の生産キャパをオーバーしてしまうため、うちの出資で新工場建設が決まった。
結局のところこのまま出資比率が増え続ければ、遠からず買収完了という事になりそうな気がする。
張り合わせガラスの生産量を増やす為、Triplex社に後の時代の発明であるフロートガラス法の研究を頼む。
溶解スズ槽の上に溶解ガラスを流し込むことで平らなガラスを製作するという方法だが、原理は簡単に見えるが実現は相当に困難を伴うらしい。
これを実際に発明したピルキントンは実用化に5年近くかけたと聞くから、もしかすると欧州大戦には間に合わないかもしれないな。
この時代の飛行機開発というのは、後の世と違ってかなりスピーディーだ。
今月の下旬ごろ、デハビラントら三つの設計局がほぼ同じ時期に、再設計した機体のモックアップを完成させた。
出来上がった飛行機はそれぞれに個性的なんだが、史実の欧州大戦で活躍したソッピースやスパッドの様な垢抜けた感じがしない。
というか、この時代の飛行機というのは翼が随分と薄いな…。
そのせいか、複葉機の二枚の翼の間に何本も桁があるのは勿論の事、強度を出す為の張線が張り巡らされて居て、明らかに空力特性が悪そうだ。
デハビラントが作った機体は、デハビラントが以前所属していた王立航空機工場で最後に設計したBE2によく似た機体で、BE2には装備されて居なかった機首機銃が追加装備されたモデルだった。
つまり、二人乗りの偵察機で後部座席にも後部旋回機銃が搭載されて居て、偵察手が後部機銃手も兼ねるのだろう。
この時代の偵察機としてはかなりの重武装だな…。
勿論、モックアップなので現実にそれだけの武装を載せた本機がどの程度飛ぶのかはわからない。
フェアリーが作った機体は、三人乗りで120馬力のエンジンを二基装備した大型の機体で、4輪の主脚を備えていて、こういうのを3ベイ複葉機というのだろうか。
この機体も薄い翼の間に何本もの桁と張線を張り巡らせており、飛ぶのか不安になって来るぞ。
爆撃機として爆弾を胴体下部に吊るし、目標の上空で操作すれば爆弾を落とす事が出来る仕組みだ。
そして、ブロッホの機体。
パラソル型の単葉戦闘機で、四角い断面の細長い胴体を持ち、機首に機銃が装備されて居る。
どことなく前世でみたフォッカーアインデッカーに似ている気がするが、あれは中翼機だったか。
これも翼が薄くて、パラソル翼の上に突き出した支柱から張り巡らした張線で吊るすようにして主翼を支える構造になっている。
正直、俺は乗るのが怖いぞ…。
これら三機を突貫工事で完成させた風洞でテストすると、案の定三機共に張線がかなり気流を乱す事が分った。安定性は兎も角空力的には残念な出来としか言えないな。
勿論、飛ぶのだろうけど。
俺は三人に、以前デハビラントにも提示したが、モノコック構造の機体を考えてくれと頼んだ。
モノコック構造の飛行機は、完全な物では無いが、既に以前フランスで作られてエアレースで好成績を収めているし、第二次大戦レベルとは言わないが、後にユンカースが作ったモノコック構造の翼をもつ飛行機並みの物は作ってほしいと思った。
そこでランチェスターに翼の話をして、色々考えてもらう事にした。
腕の良い木工職人は会社にも居るし、風洞はうちの社内にあって使い放題だ。
主人公は大佐に昇進し航空機の開発は難航します。