第三十六話 1914.2-1914.2 南部大佐来る
南部大佐がやってきました。
1914年2月、皇国から南部大佐が、頼んでいた戦車用の57mm砲を自ら持参して英国にやって来た。
これから更に作る車両に南部大佐の力を借りたいと考えてはいたのだが、まさか本人が乗り込んでくるとは思わなかったぞ。
史実では今頃三式機関銃の開発に勤しんでいた筈なのだが、この世では俺が送りつけた機関銃を見て三式機関銃の開発を中止して、今は、本人が直接手掛けているかどうかまでは分からないが、我が軍初となる戦車砲の開発を進めていたという訳だ。
成形炸薬弾は残念ながら間に合わずとの事で、現時点でこの砲が撃てる砲弾はHE弾とAP-HE弾の二種類となる。
ツポレフと共に風洞の方を見て貰っていたフォノを呼んで現時点での風洞開発の進捗状況を聞くと、風洞用のファンの設計は終わったとの事。
設計図を見せて貰うと、俺が前世で見た事がある風洞のファンを描いたスケッチが、この時代で作れる物としてきっちり設計されていた。
その八枚羽根のファンは、いかにも強力な風をおこしそうに見える。しかも、ファンを追加で増やす事が出来るようになっている仕様だ。
作っている風洞は所謂エッフェル型の風洞で、俺が前世で実物を見た事がある風洞がエッフェル型だったからだ。
これから作る風洞は、英国の国立物理研究所の全長6mの実験装置より何倍も大きなものになる予定だ。
ちなみに、現在エッフェル型の風洞実験室があるのが、パリのオートゥイユにあるエッフェル研究所で、うちで空冷エンジンを手掛けて貰っているローレンスが居た研究所でもある。
それは兎も角、フォノには風洞の仕事は一先ず置いておいてもらって、先に成形炸薬弾の方を頼みたい。恐らく、そちらの方がよりフォノの専門分野だろうからな。
実際、以前南部大佐に渡した論文などの資料をフォノに見てもらった所、作れるだろうとの事。しかも、これは低初速砲の砲弾の様だけど、更に射程距離を延ばすアイディアがある、と話す。
多分、例の後に空中魚雷と呼ばれているもののアイディアだろう。
南部大佐とも相談の上、成形炸薬弾の開発はフォノに頼むことになった。
一先ず会社では、皇国製57mm砲を搭載した皇国向けモデルの戦車生産に取り掛かった。
さて、改めて南部大佐に頼みたい仕事は、陸軍工廠で作った二式81mm迫撃砲、これを汎用車両に搭載してほしいのだ。
更に余裕があるなら、自動迫撃砲なんてのも作ってほしいな。
この二式81mm迫撃砲は、演習場を借りて英国陸軍にもデモンストレーションを行ったのだが、戦車並みに飛びついて来た。
この兵器の意味が直ぐに理解できるなんて、流石同業者だ。
汎用車両への車載版も、完成次第即評価したいとの申し出があり、またそれとは別に迫撃砲単体もライセンス生産したいとの事で、その辺りの交渉事は大使館に押し付けておいた。
何故ならこの二式81mm迫撃砲は、俺の入れ知恵で作らせた兵器だが、日本の陸軍工廠が独自に開発したことになっているからな。
一応、日本にも迫撃砲の語源にもなった日露戦争時に急造された玩具みたいな兵器があったから、それが発展してこの迫撃砲になった、という事になっている。
南部大佐の作業部分は、恐らく車載の為の改造方法やどのように弾薬と共に積むかの検討作業だと思う。その辺りは砲兵出身の南部大佐にお任せしたい部分だ。
実際の作業はうちの会社の熟練工員が行うから、特に問題も無いだろう。
また汎用車両のバリエーションとして開発した物に、ドーザーブレードを付けた工兵隊向けモデル。
機関銃弾にも耐えられる装甲を施し、バンガロール爆薬筒を差し込んで有刺鉄線を破壊する装置を付けたモデル。
同じく装甲を強化し、前面に火炎放射器を搭載して、後部の牽引装置で燃料を積んだローリーを牽引する様にしたモデル。
といった工兵用汎用車両を英軍に案内したところ、王立工兵隊から偉い人が視察にやって来て更に詳しい説明を聞いていたが、工兵向けの装甲車がやっと出来たと喜んで帰っていった。
何日かして歩兵部隊の偉い人もやって来て再度視察し、それから一週間ほどして仮採用が決まった。
台数的にはドーザー付きが五台、他のモデルは一台ずつお買い上げだった。
一先ず暫く使ってみる様だな。
さて、風洞に関してだが。
勿論作るという話をデハビラントなど航空部門の社員にはしているから、作るなら早く使いたいという要望がやはり上がって来た。
しかも、国立物理研究所もこの風洞に興味を持っているという話だ。つまり、物を見てから考えるが、場合によっては一枚噛ませろって話だな。
そんな訳で、未だ大学にも通っているツポレフに学業と会社の二足の草鞋で任せっぱなしでは風洞の完成が見えてこない上に無責任なので、本格的に風洞建設を推し進める事にした。
勿論、ツポレフを外すという訳では無くて、ツポレフの指導教官では無いがやはり物事を前に進める事が可能な人材が必要だ。
で、俺はロシアから更に一人呼ぶことにした。
本当は前回ロシアに行ったときに直接会いたかったのだが、その時は見つからなかったのだ。
彼の名前はコンスタンチン・ツィオルコフスキーという少々夢見がちな天才だ。
ツィオルコフスキーは宇宙航空学で様々な先進過ぎたアイディアを出したが、彼のアイディアを源泉として活用した人物は何人も居たが、当の本人はあまり報われない人生を歩んだ人だ。
それは彼が小学校も出ておらず、ほぼ独学で学問を修めた事が多少なりとも影響しているだろう。しかもその発想は、本当に先進的過ぎてロシアの物理化学学会はまるでその価値を理解できず、彼が再評価されたのは彼が死ぬ少し前の1930年代になってからだ。
今の時期は、貧困のあまり飢えを凌ぐために学問とは無関係な仕事を転々としていて、その足跡は歴史にも残っていない。
そんな人物だから、俺が日本を発つ前から駐露大使館に探してもらっていたが見つからなかったのだ。
その後も探してもらっていたのだが、彼の友人から少しづつ手繰る事でやっと見つかった、という訳だ。
彼に空気力学に関する部門での仕事に招聘したい旨連絡すると、やはり余程色んな意味で飢えていたのか、二つ返事で英国行きの切符を受け取った。
既に57歳だから若くは無いが、英国に到着したツィオルコフスキーを見て、ああやっぱりこの手の人物っていうのは少年みたいな目をしてるんだ、と改めて思ったね。
会って色々と話したが、一番のネックは現時点ではロシア語しか喋れない事だ。
しかし、読み書きに関しては問題無さそうではある。
ツポレフはツィオルコフスキーの事を彼の本を読んで知って居たらしく、まさか英国で会えるなんてと喜び、彼が落ち着くまで当面面倒を見る事を請け合ってくれた。
更にもう一人、仕事を頼みたい人物が居る。
その人物は英国航空諮問委員会のメンバーでもあり、現在はフリーのコンサルタントをやっている。
彼の名前はフレデリック・ランチェスター。
技術者として先進的だが、更には時勢の先読みに関しても卓越した洞察力がある。
何しろ、欧州大戦の発生とその姿をかなり正確に予測して見せたのだ。
当時は与太話程度にしかとられなかったようだが。
日本だと〝ランチェスターの法則〟の方が有名かもしれないが、彼は天才的な技術者であり発明家であって、エンジン、車、航空機とその才能の幅は広い。
なにしろ、1894年には既に現代の飛行機の翼の基礎理論を考え、動力で飛ぶ飛行機にはどの程度の出力のエンジンが必要なのかを正確に計算していたのだ。
残念ながら、彼もツィオルコフスキーと同じであまりにも先進的過ぎて、彼が評価されたのは彼の没後だ。
それに多くの技術者から天才だと認められていながら、才能をビジネスに繋げるセンスが皆無で、また自分の技術の先進性を訴える能力も低かった。
後に様々な賞を受けるほどに多くの分野で貢献していながら、彼はその功績の大きさに見合う程には経済的に報われて居ない。
唯一の財産だったデイムラーに売却した自分の自動車会社の株も、大恐慌で全て消し飛び失われてしまっている有様だ。
それはまあ俺の前世での話であり、しかもまだまだ先の未来の話だが、俺は彼の未来を知って居る。何しろ日本でも有名人だからな。
そこで俺は、彼がやりたそうな面白そうな仕事を頼む事にした。
何と言っても、彼のエンジンに関する技術力はこの時代ではトップクラスで、埋もれてしまったのが本当に勿体ないほどだ。
うちの会社は色々と手広くやっているから、彼が首を突っ込みたくなる仕事は幾らでもあるからな。
俺としては彼に乗っかっているだけで、その成果を得られるという訳だ。
まずは、彼が作りたがっていた風洞を作る仕事を頼むところから始めるとするか。
ランチェスターはフリーのコンサルタントだから、コンタクトをとって会うのは実に簡単だった。
彼のオフィスで、彼が開発したこれ迄の自動車やエンジン、更には彼が書いた論文の先進性を褒め、このまま埋もれてしまうのは余りに勿体ないと話すと、割とそういうタイプの人だったのか身を乗り出して語り出す。
風洞が作れたら、自分の翼に関する研究をそこで進めても良いのかとか、二重反転プロペラの実証実験をさせてくれるのかとか。
何しろ二重反転プロペラがまともに実用化されるのは、第二次世界大戦の後半になってからだからな。どれだけ先進的なのかと。
そこで後日会社に来てもらう事になり、やって来たランチェスターに社内を色々と見せたら結構はしゃいでいた。
何しろうちの会社には車や色々なエンジンもあれば装甲車なんかもあるし、出来たばかりだが飛行機部門なんてのもある。
更には大型風洞まで作るのだから。
結局、風洞を作る間はコンサルタント契約で、それ以降に関しては改めて話をしたい、という事になった。
ランチェスターにロシアから来たばかりのツィオルコフスキーを紹介すると、似たタイプで気が合うのか、宇宙ロケットの話で盛り上がっていたぞ。
ちなみに、通訳は俺が買って出た。
ツィオルコフスキーは既に英語の勉強を始めているそうで、小学校も出ていないのに独学で学位を取る位の人物だから、遠からず訛りながらでも英語が喋れるようになるだろう。
色々と人材が増えていきます。




