第三十五話 1914.1-1914.1 開戦の年
とうとう開戦の年がやってきました。
1914年1月、とうとう欧州大戦開戦の年がやって来た。
去年の六月ごろに発生した第二次バルカン戦争、これが欧州大戦の切っ掛けとなった戦争だ。
第二次バルカン戦争の結果、ロシア帝国の影響力が強いセルビアが勢力を伸ばし、オーストリアハンガリー帝国の影響力が強いブルガリアが勢力を大きく減じた。
セルビアの勢力拡大は、日露戦争の痛手から回復しその力を再びバルカン半島に伸ばしつつあると見られているロシア帝国が、弱体化していると取られているハプスブルク家が支配するオーストリアハンガリー帝国、そしてオーストリアハンガリー帝国と関係の深いドイツ帝国の両方から警戒される要因となった筈だ。
現実にはロシア帝国は国内的に不満が高まり、必ずしも力を増しているという状況では無かったのだが。
そしてロシア帝国に対抗する為に軍備拡大していたドイツ帝国、そしてオーストリアハンガリー帝国に警戒心を強めたロシアは、1890年代半ばに主にドイツに対する同盟としてフランスとの間に締結した露仏同盟の発動条件を拡大し、それ迄同盟の発動条件外とされて居たバルカン半島での紛争を同盟発動の条件に加えた。
それはロシアにとってバルカン半島での紛争勃発は、ロシアの安全保障の観点から看過できないと、この第二次バルカン戦争の結果からフランスが認めたのだ。
これによって、欧州大戦が発生する条件は史実通り整っていた。
この辺りは、去年帰国した折に元勲や政府に既に報告してある。
一方我が皇国の同盟国たる英国は、この時期ドイツ帝国の軍備拡張に警戒を強めていたが、後の時代で英国とは融和が困難だと判断されたナチスドイツに比べると、まだ外交交渉が可能な国であると見られていて、タカ派である現首相は、ドイツとの開戦は何れやむなし、と考えていた様だが、外交官などは協約破りを日常とするロシアなどよりは遙かにマシな相手だと考えていた様だ。
つまりは、この時期の英独関係は表向きそれほど悪くはなく、貿易なども普通に行われて居る状況だ。
因みに日露関係に関しては、我が国は大陸から撤退した結果、既にロシアと大陸で権益を争う関係にはなく、だから日露協約も史実の様な内容ではない。
あくまで日露戦争後の両国の友好関係の確認や貿易に関する取り決めなどの内容になっていて、現状の日露関係は、俺がシベリア鉄道でロシアを通って欧州へと問題なく行けたように悪くはない。
六月下旬のサラエボ事件までは、英国に関していえば特に大きな問題は無い。
現在英国のタカ派首相が来るべき戦争に向けた準備を進めている事は、欧州大戦に参戦するつもりの俺と我が国にとっても都合がいい。
さて、年が明けて色々と動き出した。
まず俺に関してだが、昨年末に皇国へ送った量産試作戦車が到着したので早速陸軍で評価したところ、俺が以前より提言していた〝戦車〟が完成したと認められた。
整地ならば40km/hを出す機動力に不整地をモノともしない踏破性、小銃弾は勿論の事機銃弾であっても簡単に跳ね返す防御力を持ち、更には、残念ながら予定していた皇国製主砲は現時点では搭載されて居ないが、我が国の海軍でも使っている6ポンド砲を改造した主砲が搭載され、十分な火力を持つ事も確認された。
直ちに皇国でも〝三式戦車〟と命名されて採用が決まった。
国内での生産は陸軍工廠が担当。
ただ、先に採用された汎用車両と異なり、価格が高い為大量配備とはいかず、国内では取り敢えず十台を調達。
それとは別にコストダウンの為に英国の工場で五十台の一括発注を受け、それを分納するという形をとる事になった。
この調達方法は実は表向きで、実際には皇国には発送せず、欧州大戦参戦後に英国に派遣されて来た皇国軍にそのまま配備する為の戦車になる。
つまり、皇国で調達する戦車は訓練用という事だな。
一先ず、これで俺は皇国に対する約束を果たした。
これ迄は親父殿の名声と元勲を後ろ盾にかなり好き勝手をしてきたからな。
裏で俺がなんと言われて居るのか、想像したくもない。
英国陸軍での戦車の試験も進み、結果色々な変更要求があった。
例えば、機銃弾を更に多く搭載しろとか、車体にも機銃を付けてくれとか。
流石に車体機銃に関しては不採用の理由を説明して納得してもらったが、他はそれなりに対応することになった。
後は、無線機を収める予定のスペースに付いて、何故こんなスペースが空いているのか、との指摘が予想通りあった。
それに関しては、将来的に搭載する砲弾の種類や数を増やすとか、そういった場合に対応するための予備スペースだと説明しておいた。
一応納得した英国陸軍は、当面そこを救急道具などの物入れとして活用する様だ。
他には、履帯が取り付けにくいという意見があった。
汎用車両はゴム履帯だったし、重さも戦車の履帯とは比較にならない程軽い為、それ程面倒では無かった。
しかし、今回の戦車は鋳造製のブロックをピンで止めるというシングルピン、シングルブロックという耐久性重視の履帯を装備していた。
そこで後の戦車のスタンダードであるシングルブロック、ダブルピン方式の履帯を作って、それで試験をして貰った。
その結果、ダブルピン方式の方がコストは高いのだが、前線で外れたり切れた履帯の整備や修理を考えるとこちらの方が良いという判断になった。
既に試験で履帯が外れるという事態にも遭遇しているらしく、操縦方法や整備方法の研究も始めている様だ。
しかし、新しいおもちゃを与えられた英国陸軍では、戦車兵への兵科転換希望者が殺到しているらしい。
馬への愛着はどこに行ったんだとジョーク気味に聞くと、『それはそれ、これはこれ』だと。実にシンプルな返事が返って来た。
後日、英国陸軍から戦車の納期に付いての問合せが有ったので、戦車の製造にはそれなりの日数が掛かるので、五十台とはいえ全数納品には三ヶ月は最低掛かりそうだとの見積りを提出すると、英国の兵器調達を担当する部署から工場拡張の要請が来た。
そこで、同じグランサムに存在するラストンプラクター社と、うちの工場の隣にあったクレイトン&シャトルワース社を買収する事になった。
ちなみに、ラストン社もクレイトン社もホーンズビー社の同業他社の様な会社で、ラストンは蒸気機関を得意とする会社で機関車や蒸気トラクターを製造販売する会社。クレイトンも蒸気機関を得意とする会社でトラクターの他、脱穀機など農機具も製造販売する。イギリスで最初にコンバインを開発した会社でもある。
つまり、本来のホーンズビーも入れて三社とも農業向けの設備を販売する会社だ。
ラストンもクレイトンも大きな機械を作る会社だけに工場の敷地面積は広く、俺の記憶によるとクレイトンは欧州大戦でソッピースなどの航空機の生産を委託されて大量生産していた様に思う。
俺はクレイトンの農機具部門は丸々残して農機具の開発を続けてもらい、ここの農機具をうちの会社のトラクターと一緒に販売する事にした。
ラストンの開発部門はホーンズビーのディーゼルエンジンを開発している部門と合流させてディーゼルエンジンの開発を継続させ、更に本来この会社が将来作る筈だったディーゼル機関車などの開発をスタートさせた。
機関車の開発部門はラストンが持っているから、そちらの方も全く問題が無い。
良いのが出来たら皇国へ導入するのも良いだろう。
ラストンとクレイトンの業務を整理して、両社の工場敷地に新たに戦車の製造ラインを構築する。
これで、恐らく月産能力は倍増するはずだ。
工場と言えば、うちの会社でレオ自動車が開発した4WDの3tトラックと4WDのピックアップトラックをライセンス製造して英国国内で販売しているのだが、これが非常に売れている。
英国軍向けにも納入しているし、民間向けにも販売している。
勿論、本家のレオ自動車でもかなりのヒット商品になっていて、この世界のレオ自動車は米自動車産業では将来確実にビッグスリーに入るだろうな。
そのレオ自動車では俺の要望で4WD車を自社開発して生産していたが、その4WD車よりさらに性能の良いフルタイム4WD車を開発した会社が有り、その名を〝四輪駆動自動車会社〟という。
この会社は1908年に四輪駆動車の開発に成功し、最初に販売された〝バトルシップ〟と名付けられたトラックは、知る人ぞ知る良トラックとして高評価を得ていた。
ここが大成功するのは、欧州大戦勃発後に米軍でテストされた車両の大量発注を得てからだ。結局、この会社だけでは到底米軍のニーズを満たすことは出来ず、他の自動車メーカーに生産委託する事になってしまったのだが。
その会社を、俺がオールズに頼んで買収して貰っていたのだ。
ここの開発したフルタイム4WDの性能はやはり素晴らしく、これを取り入れたお陰で元々高性能なレオ自動車のトラックを更に高性能な代物に化けさせた。
道から少しでも外れれば不整地だらけの米国での大ヒット商品になり、試しに英国で売ってみたらここでも大ヒット。それで英国でライセンス生産という事になったのだ。
以前販売していた4WDの3トントラックは英軍の他、欧州のベルギーやデンマーク軍にも採用されて千台以上を販売してそれなりの評価を得ていたが、この新型4WDトラックはさらに評判が良かった。
しかし英国は自動車メーカーが多く、しかも新型4WDトラックは評価は高いが値段も高いこともあり、トラックのシェアを総取りという訳にはいかなかったが、新しい車種であるピックアップトラックは警察や消防署等の官公庁の他に一般業務用車両としてもかなり売れた。
お陰でレオ自動車に投資した俺の資産は更に増えたし、英国での自動車販売でもかなりの収益を上げることが出来た。
業績好調なこともあり、うちの会社の労働条件をかなり改善することが出来た。
やはり、労働条件のいい会社は求人しても反応が違うし、社員の士気を高く保つことが出来るからな。
デハビラントの製作した飛行機を年明けからテストした。
テストパイロットはフランク・ハルフォード。
ノッティンガム大学に通いながらブリストル飛行学校に通って飛行技術を習得したが、同校から飛行教官に誘われる程の実力の持ち主らしい。
そして大学卒業後、うちの会社の求人広告を見て応募してきた若者だ。
彼は大学では工学を学び、航空機関係の技術者志望でもあるそうな。
デハビラントが作り上げた偵察機は、王立航空工廠で最後に作ったF.E.2bと殆ど同じで、彼が本来行くはずだったAirco社で後に作るはずだったDH.1そのままの飛行機だった。
つまりは、彼は既にF.E.2bの改良プランを持っていて、それをここで実現したという所か。
この飛行機は、後の飛行機の発展の歴史を知る俺からすると実に黎明期的な飛行機で、エンジン配置は後のプロペラ推進機では主流である牽引式では無くて推進式だ。
機体前部に有る、まるでゴンドラの様な小型の開放式コックピットに前後に並んで搭乗員が座り、前席に観測員、一段高い後席に操縦士が搭乗する。
恐らく、前に座る観測員が前面機銃手を兼任するのだろう。
翼は布張りで2ベイ式の支柱を持ち、上下翼とも直線で幅も等しく、前後の位置のずれは無い。
そして、尾翼と方向舵は骨がむき出しとなった長い支柱の最後端に取り付けられている。
コクピットの真後ろにマウントされた百二十馬力のGHI-V8-11液冷エンジンは剥き出しで載せられていて、どうにも不安だぞ俺は…。
そんな俺の不安をよそに、デハビラントの機体は普通に飛び立ち、安定した飛行性能を見せてくれた。
ただ、この構造では運動性は悪そうだな…。
デハビラントが他の設計局に先駆けて当社一号機の試験飛行を行い、一先ず仕事の成果を見せて貰ったが、俺はデハビラントと試験飛行を見学していたブロッホ、フェアリーを銃器開発部門の一角にある射撃試験場へと連れて来た。
三人とも何を見せてくれるのかという感じだったが、デグチャレフに頼んでプロペラ同調装置付き機銃のデモンストレーションをやって貰った。
勿論三人には、これから見せる物は今の時点では英軍も含め社外秘である事を念押ししてある。
開戦前に何処からともなく漏れてしまうと、この世界でもフォッカーに懲罰されてしまう可能性があるからな。
デハビラントの作った安定性全振りの偵察機なんて、フォッカー製戦闘機のまぐさにされてしまうだろう。
デハビラントがエンジン搭載方法に推進式を選択したのは、牽引式だと今の時点での常識では武装はプロペラ回転範囲を外すように機銃を載せるか、或いは後部座席に後部機銃を載せるかのどちらかしかないからだ。
しかも、プロペラ回転範囲を外す程機体中心軸から外した位置に取り付けられた機銃の弾を敵機に命中させるのはなかなかに困難だ。
そういう意味では、デハビラントが選択するつもりだった前部座席に自由に動かせる機銃座を設けるのが、今の時点ではベターな選択の一つであるといえる。
とはいえ、後に同調装置が実用化するとそれが主流になったように、機体中心軸線の位置であるエンジンの直ぐ側に機銃を載せた方が、遥かに命中率の高い強力な火力になるのだ。
試験射撃が始まると三人は、二挺の8mm機銃から撃ち出される弾丸が、プロペラを撃ち抜くことなく正面に置かれた的に吸い込まれていくのを見て、目を丸くし唖然としていた。
まさかこんな物があるとは、と誰かの呟きが聞こえるほどの衝撃だった様だ。
同調機銃のデモンストレーションを見た後、デハビラントは直ぐに機体の再設計を言い出し、戦闘機担当のブロッホもそして爆撃機担当のフェアリーも、今開発している機体の再設計を言い出した。
これ迄の作業を捨てでもそれをしたいと思えるほどの新技術なのが、この同調機銃なのだ。
デハビラントの機体のテスト飛行に彼の元同僚が見学に来ていた。
彼の名前はエドワード・バスクという。
俺は聞いた事の無かった名前だが、デハビラントは凄い奴だと彼を紹介してくれた。
デハビラントを交えて彼と少し話をしてみると、彼は飛行力学の、特に安定性について研究しているそうだ。
初期の飛行機では安定性というのは確かに重要な要素だな。
デハビラントは元同僚である彼の能力を買っていて、うちの会社に誘っていたらしい。
バスクはうちの会社の環境や独特の設計局制などの体制をみて、デハビラントと同じく王立航空工廠を辞めてうちの会社に来たいと、そう言いだした。
俺としては優秀な人材が揃うなら来るもの拒まずなのだが、王立航空工廠から睨まれたりしないのだろうか。
その懸念を話すとデハビラントは杞憂だと。王立航空工廠は民間企業ではないから問題ないとの事だ。
俺は不安が拭えなかったが、デハビラントが推す人材でもあるし、結局本人の熱意もあって、デハビラントの設計局にバスクが加入する事になった。
開戦まであと半年。