第三十三話 1913.8-1913.10 無線機
開戦に向けて開発は進みます
1913年9月、早いもので今年ももう秋が来た。来年には開戦しているだろうな。
8月に、昨年末に米国に設立した航空機会社から、早くも製作した飛行機の飛行に成功した、と電信で連絡があった。電信なので詳しい内容迄は判らない第一報なのだが、恐らくマーティン辺りが以前から持っていた構想を新会社で実現させた、という所ではないかと思われる。
それから一月ほど後の9月に入って、写真など同封の手紙が届いた。
写真に写っていたのは、航空機開発のごく初期に見られたフレームだけで構成された機体で、今の時期であってもまだ欧州でも見られる、所謂ハンドメイドな航空機だ。
一先ず飛ばして見せたという所なのだろうか。
手紙にはスケッチが同封されて居て、一つは新たに開発を始めたという二人乗りの複葉機のスケッチで、前世の欧州大戦初期に見られたような液冷式のエンジンを搭載したスリムで洗練された胴体を持つ機体だった。
もう一つはルーグヘッドから改名したロッキード兄弟が描いたスケッチで、同封されていたオールズからの手紙には、まだまだ飛行場の数は少なく、河川や湖沼、海などで離着水可能な飛空艇の方が売れるのではないか、との意見が書かれていた。
その手紙に対する返事に、俺もオールズの見立てに同意する旨を書きつつも、今後航空機同士の戦闘の発生の可能性が有る事を示唆し、早期の陸上機開発の必要性についても書いておいた。
マーティンもロッキードも初期には飛空艇の開発をしていたのだが、社内で飛行艇の開発ラインを二系統も持つのはあまり得策ではないので、今の流れだとマーティンが陸上機を開発する事になるのかもしれないな。
1913年10月、俺がカナダから招聘していた、ある技術者が英国に到着した。
彼は1911年にそれ迄仕事をしていたNESCO社と揉めて解雇された後、フリーの立場で色んな仕事を手掛けていたのだが、俺が手紙を送った時に偶々仕事のケリがついた時だった様だ。英国に来る事を承諾してくれた。
彼の名前はレジナルド・フェッセンデン。電気技術者であり、電信など電波送信の専門家でもある。
彼は生涯を通して偉大な発明家で、彼が発明で有名な物としてはソナーがある。他にも曳光弾なんてのもあったか。
俺は彼に研究所を提供し資金援助を行う。
基本的には俺が頼むものを優先的に開発してもらうが、自由裁量もある程度認める。
それが彼に出した雇用条件だ。
この条件で、彼と一先ず最低三年間は俺の下で仕事をする雇用契約を結ぼうとしたのだが、その際一つ条件を追加された。
それは、彼がかつて所属していたNESCOの買い取り。
確か前世でNESCOは、1920年以降にかのGE傘下のRCAが買い取ったと思ったが、そんな事は勿論今の彼が知る訳もないな。
兎に角、現在のNESCOは資金不足で身売りするしかない状況で、しかもNESCOで生み出した彼の特許もそこに帰属するらしい。私にラジオ関係の仕事をさせたいならNESCOを買い取って特許絡みを綺麗にしてほしい、と。
つまりはそういう事だ。
確かに特許で色々揉めるのはこの大戦まで時間の無い時期に不味いので、安くはなかったがいずれGEに売り飛ばす事も考慮に入れて俺はNESCOを買収したが、その際米海軍との特許紛争に掛かる費用まで支払う羽目となった。
特許紛争で米海軍と和解すれば海軍から和解金が入るから、そこから訴訟費用は返済してくれるそうだが…。
俺はその辺りの面倒でカネの絡む問題の処理を、アメリカで色々仕事を頼んでる銀行家や弁護士に頼んだ。
フェッセデンの話では、NESCOはもっとラジオが普及すれば真価を発揮する会社だから、持っておいて損はないとの事だが…。
俺は余り事業を手広くやる気は無いのだが、さてどうしたものか。
そもそも俺は米国籍を持っていないから、ラジオとかあの手の物を所有すると後々面倒な事にならないか、不安でならないぞ。
そんな面倒な問題の解決を約束して契約したフェッセデンに俺が最初に開発を頼んだのは、有効距離は一先ず1キロ位で構わないから、車載可能な音声無線機。それと車両の内外で通話可能な有線電話。
既にラジオを開発している人物なので、俺が頼む仕事はそれ程難しい物では無い。
だが彼が過去に作っていたのは、もっと遠くまで電波を飛ばす大がかりな物で、車載可能な小型の物はまた勝手が違うようだ。
兎も角、フェッセデンは一年以内に車載無線機を開発すると請け合ってくれた。
だが彼が言うには、真空管は衝撃に弱いから、車載するのは良いが戦闘で強い衝撃が加わると壊れてしまう可能性が大きい、と。
その辺りの耐衝撃構造も考える必要があるのか。
耐衝撃性というならトランジスタか。
トランジスタにはゲルマニウムやシリコンを使っていた筈だが、確か高純度のゲルマニウムやシリコンを取り出す方法があったな…。
そう、チョクラルスキー法だったか。ポーランド人のチョクラルスキーがその方法を偶然見つけるのはもう少し後だったと思うが、別に先取りしても問題無いだろう。
俺は、うろ覚えの記憶を元にチョクラルスキー法をイラストに描くと帝大のリリエンフェルトの研究所に手紙を送り、この方法でゲルマニウムとシリコンの高純度の結晶を取り出して電界効果トランジスタの研究をする様に依頼した。
彼が電界効果トランジスタの論文を発表するのは1920年代中ばだったと思うが、既に電界電子放出に関する研究を進めていた筈だ。
そういえば、シリコンで思い出したがシリコーンを世界で最初に開発したのは丁度この時代のイギリス人じゃなかったか。
確か、俺の記憶が正しければノッティンガム大学の人だったような気が。
俺は早速ノッティンガム大学に問い合わせてみたが、知名度のある人物だったようで直ぐにわかった。
シリコーンを開発した人物はフレデリック・キッピングという化学部門の教授らしい。
直ぐにノッティンガム大学に訪ねていくと、案外と簡単に会うことが出来た。
俺は彼に、研究費を出すからシリコーンを使って作ってほしいものがある、と持ち掛けると、自分の開発したシリコーンに関心を持つばかりか資金を出してくれるという話に大いに喜んだ。
一つは高い絶縁性を活かしてエンジンのスパークプラグワイヤーを絶縁する為のシリコーン。一つは潤滑剤として使用できるシリコーングリース。
更には、車両や飛行機などで防水の為に使えるシール材としてのシリコーン。
他にも、シリコーンを使った防火壁なども有用だ。
これらがあれば諸々の信頼性がかなり上がるだろう。
戦車開発は準備を入念に進めていただけに順調で、10月に戦車のモックアップが完成した。
実際に形にしてみると如何にも戦車であり、明らかに一度目の欧州大戦には似つかわしくない、高いレベルの代物だ。
とはいえ、そんな事は勿論この時代の人達は知らないから、実際に形が出来ればそれが当たり前になってしまうのだ。
現在量産中の装甲車に使っている装甲板は、この時代の普通の鋼板だ。コスト的には良いのだが、このままだと普通の機銃弾は防げるだろうが大砲の榴弾の破片まで防げるかどうかは微妙だ。
実際に、前世での世界初の戦車であるイギリス軍のMark-Iは、ボイラー用の鋼板を流用したとも言われているが、防げたのは機銃弾位までであったそうだ。
装甲車ならまだしも、戦車でそれはもちろんまずい。
この時代、イギリスで軍用の高性能防弾鋼板といえば軍用艦等に使われている有名なヴィッカース鋼があるが、これは高いのが難点。
結局は均質圧延が一先ずは行きつくところなのだろうか。
兎も角、試作車両を年内には完成させたいところだ。
ニセコ鋼なんてのもあったそうですが、あれって性能どうだったんでしょうね。