第二十九話 1913.6-1913.7 オーストリアにて
同行者と別行動の主人公はオーストリアへとやってきました。
1913年7月、俺は同行者たちと別れると一人フランスから再びドイツを経てオーストリアハンガリー帝国へと移動した。
俺が必要と考える種類の兵器を開発するのに最適な人物が、この国のブダペストに居るのだ。
彼は1903年に工科大学を卒業した後、国外に出てドイツやフランス等のメーカーで働いて経験を積み、1909年に帰国している。
彼はその生涯で多くの核心的な特許をとったエネルギー分野の専門家で、その中には核心的な蒸気ボイラーや空気圧縮機、ジェットエンジンの特許も含まれる。
勿論、それらの特許の多くは将来の話で、今はまだ出稼ぎから戻って来た若手の一技術者に過ぎない。
いつもの様に大使館から彼にコンタクトを取って貰い、逢う約束を取り付けてある。
大使館に彼を探し出して貰う事自体は、出身大学と名前を伝えればそれ程難しくは無かったようだ。
待ち合わせの場所にそれらしい人物を見つけたので声を掛けた。
「アルバート・フォノさん?」
「ええ、フォノです。
あなたは乃木さん?」
「そうです。
わざわざ時間をとって頂いて有難うございます」
ちなみに、俺達が話している言葉はドイツ語だ。
彼は母国語の他、ドイツ語とフランス語が話せるのだ。
「いえいえ。でも日本大使館の方から、突然連絡を頂いた時は驚きましたよ」
「ええ、実は私はあなたが書いた論文を拝見した事があり、それで仕事を頼めればと思いましてね」
「そうでしたか。
それで、どの様な仕事でしょうか?」
「幾つか頼みたい仕事があるのですが、一つはカタパルトの開発。
もう一つは、反動の無い大砲の開発です」
俺が挙げた仕事に興味を示した表情を浮かべるが、ハッと気が付く。
「乃木さんはそう言えば軍の方でしたね。
イギリスで会社を経営されている、という話もお聞きしています。
その仕事は軍事関係の仕事でしょうか?」
「そうですね。
私は兵器メーカーを経営していますから、反動の無い大砲などは兵器その物です。
カタパルトは必ずしも軍用とは限りませんが、軍事目的が主になるでしょう」
「やはりそうですか。
私が仕事を請けるならば、恐らく乃木さんの会社で働くという事でしょうから、イギリスに行く必要があると思うのですが」
「ええ、イギリスに来て頂いて働いて貰う、という事になると思います。
来て頂けるなら、私の会社にあなたの為の研究室を用意しますよ」
それを聞き、目が一瞬期待に輝くのが見えた。
しかし、直ぐに俯き加減になる。
「…ご存知とは思いますが、ボスニア併合以来我が国の要人がセルビアの過激派に襲撃されるという事件が何度も起きているのです。
だから万が一セルビアと戦争という事になった時に、私が国に居なくて良いのか、という気がするのです」
他国ならいざ知らず、自国が戦争になっているのに自分は安全な所で他人事、という訳にも行かないだろうな。
だが…。
「そうですか。
ある程度話は聞いていましたが、そんな情勢だったとは。
しかし、まだ戦争が起きると決まった訳ではありませんし、もし戦争になれば帰国しても良い、という約束でも構わないですよ」
フォノは思案顔になり、暫く考えこむ。
「うーん、正直私みたいなまだ実績も何も無い若手を招いて、しかも研究室迄用意して頂けるなんて、そんなチャンスはそう訪れる物ではありませんから、本音を言えばお受けしたい。
しかし…」
「私は暫くの間オーストリアに居ますから、返事は後日でも構いませんよ。
とりあえず、条件を書面で用意させて頂きましたので、こちらの方を見て頂いて検討して頂けませんか」
俺はアタッシェケースから書面を取り出すと、彼に手渡す。
内容的にはかなり破格の条件で、給与は恐らく彼が今大学で貰ってる額の倍以上。しかも特許を取得した場合のロイヤリティ条項まで盛り込んである。
彼は書面を受け取ると早速と目を通したが、大きく目を見開くと俺の方をマジマジとみる。
そして、もう一度書面を見て溜息をつく。
「先ほども言いましたが、まださしたる実績も無い私にこんな破格の条件を出して大丈夫なのでしょうか?」
「ええ、私が貴方をそれだけ高く評価している、と思って頂ければ幸いです」
実際彼はそれだけの人材だからな。
「はぁ、わかりました。
ここ迄の評価をして頂いて、お断りするのは難しい。
乃木さんの会社で仕事をさせてもらいます」
「おお、良くぞ決断してくれました。
あなたには先ほどの二つ以外にも、頼みたい仕事が幾つもある。
我が社での活躍を期待していますよ」
「はは、そこまで期待されると、正直がっかりさせないか不安になります」
「ははは、大丈夫ですよ。
それでは、渡英の準備が出来たら日本大使館の方に来て頂けますか。
大使館の方に、チケットも含めて全て手配して用意しておきますので」
「はい、わかりました。
それでは準備が出来れば大使館に伺います」
「ありがとうございます。
では、イギリスでお会いするのを楽しみにしていますよ」
そんな訳で、アルバート・フォノの雇用に成功。
実のところ、無反動砲は直ぐに完成する筈だ。
何しろ彼は、低圧砲を1915年に提案している。しかしそれの重要性に気が付かなかったオーストリアハンガリー軍は、全く関心を示さなかったが。
そして彼は、1920年代には空気圧縮機やその技術を発展させた空気ブレーキ等も発明しているので、テーマさえあればカタパルトの開発も早期に可能だろう。
問題は1914年の開戦の際にどう引き留めるかだが、仕事を途中で投げ出す事はしない気もする。
こうして俺はオーストリアでフォノのスカウトに成功した事で用事を全て終え、イギリスへと向かった。
来年の開戦に向けてやる事は山積みだ。
かのフォノを青田買いし、いよいよ開戦準備です。