第二十八話 1913.5-1913.6 ドイツ、そしてフランスへ
ロシアからドイツへとやってきました。
1913年6月、俺達はポーランドを経てドイツに到着。
戦争前夜ではあるが、ドイツ国内は平静で特に気になるところも無かった。
俺達は大使館に入ると、予め手配しておいたスケジュールの確認を行い、後はスケジュールが終わるまでドイツ滞在となった。
日野少佐と安辺少尉の両名は、ドイツ滞在歴のある日野少佐の案内でドイツの航空学校や黎明期の航空機メーカーなどへ見学に行った。
俺と藤本は、以前藤本に約束した通りドイツの造船所を見学。日本はドイツ製の軍艦を購入していた為、ドイツ海軍も造船所も見学には快く応じてくれ、建造中の戦艦も見ることが出来きた。
藤本は大いに感激し案内の技術者に色んな質問を投げかけていたが、俺としては現在英国で建造中の我が海軍の金剛と比較すると見劣りする戦艦ばかりに感じたな。
ドイツの造船所の見学を終えた後、藤本はドイツ海軍へ見学に行き、俺は今回は顔つなぎ程度ではあるが別行動でドイツの兵器メーカーの見学へと向かう予定だった。
だが大使館が勝手にスケジュールに入れていたため、まずは陸軍が鉄道連隊向けの機関車を輸入しているクラウス社と鉄道院が機関車を購入したマッファイ社等へ挨拶がてら訪問する事になった。
この時期両社は普通に鉄道車両を作ってる会社で、それに流石イギリスに並ぶ技術力を誇る国の会社だけに職場環境や工作機械、職員の質などは非常に良好で感心した。
うちの会社も、今となっては色んな国や会社から引き抜いた社員が多数在籍する寄り合い所帯ではあるが、俺が前世で学んだ3S『整理整頓清掃』は徹底させている。
その後は予定通り、先ずは大使館経由でアポイントを取って貰っていたクルップ社に行って各種大砲を見せて貰ったが、そのスケールには圧倒されるばかりだった。
流石、ビッグバーサを作る会社は違うな。
更にラインメタル社を見学する。
ラインメタル社は既に海外からも多数注文を受ける大兵器製造会社であり、デュッセルドルフの広大な工場では8千人もの従業員が仕事に従事しているらしい。
ラインメタル社では大小の大砲の他弾薬まで作っていて、弾薬はスウェーデンの弾薬製造会社に頼っている俺の会社とは大違いだな。
俺の会社の工場も、最初の小さな町工場だった頃から考えれば今は随分と大きくなったが、それでもラインメタル社の工場の規模の五分の一位だろうか。
但し、来る欧州大戦の為に企業買収を進めており更には大きな工場を現在建設中で、ラインメタル社程では無いが、英国と我が帝国の需要を満たす程度の生産力は確保できる予定だ。
そして、ドイツと来るとやはりDWM社(ドイツ武器弾薬製造社)は外せないだろう。
DWM社は9mmパラベラムを採用する時に資料請求をし、弾薬を採用した実績があるから一応付き合いがある。
ゲオルグ・ルガー御大には会えなかったが、所謂ルガー拳銃をサンプルに購入した。
この銃の美しさは一種の芸術品であり、特にガンメタルに美しく仕上げられた平時モデルは俺のオフィスを飾る置物に正にぴったりの品だな。
俺が作らせた9mm拳銃ときたら実用性は抜群だがロシアンテイスト溢れる武骨な代物だからな。
その後、ドイツの工作機器メーカーなども回り、およそ一週間ほどのドイツ滞在を終えた。
いずれにせよドイツは次の大戦では敵国であり、今の段階で人材を引き抜いたところで開戦後面倒な事になるだけなので、今回は顔つなぎ程度だ。
ドイツを後にすると俺たちはフランスへと移動した。
ここでも日野、安辺の両名はフランスの航空学校や航空機会社などを回る予定だ。
空軍の立ち上げ要員に推薦した山本、永田の両名も近々このフランスへ留学に来るはずだ。
この時期多くの共産主義者を生み出したフランスへの留学には不安があるが、今この時代はフランスが一番航空機に関して先進的で強い時期だから致し方ないか。
いずれにせよ、年内には一度山本と永田を英国に呼ぶ必要があるだろう。
安辺も空軍配属の予定だが、彼には英国で広い意味での航空機技術の習得をやって貰う予定だ。
フランスでも俺はまた藤本と二人で、ロリアン造船所へ見学に行った。
フランスからも日本は色んな艦船を購入しており、そのお陰かフランスでも最新鋭のクールベ級弩級戦艦ジャン・バールなど色んな船の見学をすることが出来た。
フランス海軍は正直戦績は地味ではあるのだが、その性能は決して劣る物では無く特に艦砲に関しては優れた性能を持つ。
フランス製の大砲はその高性能から日本は勿論、英国やロシア、米国などでもライセンス生産がされて居る位だ。
造船所見学後、藤本はドイツの時と同じくフランス海軍へ見学に行き、俺はフランス軍のプトー兵器廠やシュナイダー社を訪問した。
まだこの時期プトー兵器廠にはかの有名な37mm砲は無かったが、シュナイダー社では同じく有名な105mm砲が既に試作されており、日本にも購入の打診があって俺が現物を見てレポートを書くことになっている。
この大砲は完成度が高くいろんな国で使われ、第二次世界大戦でも広く使われた。
日本でも後に九一式十糎榴弾砲として導入される事になるのだが、導入されたのは第一次世界大戦で榴弾砲の必要性が痛感された後であり、実際に導入されたのは1930年頃だった筈だ。
必要なのは確実だから、早めに導入するのが良いのではないか、と俺は思うのだ。
そんな訳でレポートは、導入を強く勧める内容にしておいた。
そして、このフランスでもまた若者と会う約束をしている。
一人目は米国人チャールズ・ローランス。
彼は知る人ぞ知る技術者で、かのワールウインドエンジンの原型を作った人物だ。
彼無くしてワールウィンドエンジンは完成せず、ワールウィンドエンジン無くして後の米国航空機業界を支えたライトとP&Wのエンジンは産まれなかった。
そんな彼が丁度今フランスにいる事を、旅の途中で思い出したのだ。
彼が居るのはエッフェル研究所で、現在航空機を研究している筈。そして来年米国に帰国し、三年後にワールウィンドエンジンの原型であるJ-1エンジンを開発するのだ。
うちの会社は車両用水冷エンジンを開発しているが、航空機用星形空冷エンジンにはまだ手を付けていない。
まあ、俺は戦車が作れればそれで良いのだが戦車だけでは戦えないのが戦争。来る戦争に飛行機は必要だが、性能の良い飛行機が未だ無い。
しかし、我が帝国が戦場で存分に戦える飛行機が来年には必要なのだ。無いなら作るしかないわけだ。
ローランスは幸い大使館のあるパリに居り、アポイントを取ったところ案外と簡単に会ってくれた。
彼は既に航空機用エンジンの構想を持っていて、来年帰国したら資金を集めて自分の会社を作るか、或いは良さそうな会社に就職するつもりだったとの事。
俺が新しく作る航空機製造会社で作る飛行機に搭載するエンジンの開発を打診したところ、自由に作らせてもらえるなら是非に、という返事だった。
エンジンの開発だけならばうちの会社のローレッジのところで仕事をしてもらえればいいからな。
直ぐにでも来てもらえるかと聞いたところ、二ヶ月後位なら移れるとの事だ。
これでエンジンは何とかなりそうだな。
そして二人目はマルセル・ブロッホ、国立航空宇宙大学院大学に在学する所謂エリートだ。
会って開口一番、「新しい航空機製造会社を英国に作る予定で、立ち上げの技術者を募集しているのだが、私が作る会社で飛行機を作ってみないか」とストレートに彼を誘ってみる。
一応手紙で「俺は英国で会社をやっていて、資本力もそれなりにあり水冷エンジンを内製していて、冶金分野でも技術力のある会社だ」と彼に知らせている。
米国に作った航空機会社の社長はオールズであり、あくまで俺は主要出資者だから別けて考えている。
新会社の技術者としてツポレフを雇っているが彼はまだ学校に通うし、既に自分で飛行機を作っているシコルスキーと違ってツポレフ一人で航空機製造会社の技術部門を立ち上げるというのは無理があるからな。優秀な技術者がもっと必要だ。
ブロッホに俺が作りたい飛行機など色々と話をすると若者だけに好奇心がそそられる様で、それに俺の会社がエンジンを内製しているというのがかなり魅力的なようだ。
更には若者だけに、しがらみがまだ無い新しい会社の立ち上げスタッフというのは何よりも魅力的。
その辺りを考えた上で、ブロッホには既に国立研究所から声が掛かっていたそうだが、俺が新しく作る会社に参加するという事で話がまとまった。
握手の後でブロッホに同級生にロシア人が居ないか聞いてみた。
するとやっぱり居るらしく、そのロシア人とも会いたいという話をすると、後で連れて来てくれるという事になった。
なんでも彼とは親しいらしく、家を訪ね合う間柄らしい。
後日、ブロッホが約束通りロシア人の若者を連れて来てくれた。
今年で卒業するブロッホとは異なり、彼はまだ大学に通う予定で元々ハリコフの大学で数学を学んでいたらしいのだが、モンペリ工大を経てブロッホが通う国立航空宇宙大学院大学に入学したそうだ。
つまり、彼はすぐには雇うことは出来ないのだが、「卒業したらうちに来ないか」と声を掛けておくことにした。
就職先が先に決まって居るのは気持ちが楽だしな。
三人目である彼の名前はミハイル・グレービッチといい、後に数々の栄誉に輝くソ連邦英雄だ。
雇用の話を持ち掛けると、彼は卒業後は帰国して航空関係の仕事を探すつもりだった様だが、友人のブロッホが働く会社で雇って貰えるなら自分もそこで働きたいと言ってくれた。
彼は本来であれば、来年の開戦で学業を断念して帰国する事になる。そこで俺はグレービッチに、万が一学業を中断する事があっても英国の学校で勉強を続けられるように俺が手配するから安心して英国まで来て欲しい、と話をすると、わかりましたと了承してくれた。
実際は家族の心配などあるのだろうが、魔女の大釜の蓋が閉るまでに出国できれば何とかなるだろう。
しかしこれで、この世界でかの〝ミグ〟が誕生する可能性は格段に低くなったな。
後日、ローレンスは約束通りうちの会社に来てくれて、ローレッジの所で航空機用エンジンの開発に取り掛かった。彼はうちの会社の冶金技術力の高さをみてかなりやる気が出た様だ。
更にはブロッホが大学院卒業後に英国へとやってきた。
彼は、航空機製造会社の立ち上げメンバーの一人として辣腕を振るう事になる。
翌年グレービッチもまた開戦により学業が中断したので、約束通り英国にやって来てブロッホの手伝いをしながら英国の工大で学業を続ける事になる。
そして、後に俺の航空機製造会社の主力技術者の一人になってくれるのだが、それはまだ先の話だ。
フランスでの用事が終わったが、俺はまだ行くところがある為、日野、藤本、安辺は先に渡英する。
日野少佐は当面は工科大に通って貰いながら俺の会社でエンジンを作っているローレッジの手伝いをして貰う。
彼と道中色々と話をした結果、彼が優れた人物なのは間違いないのだが正規の工学の教育を受けて無い為、その優れたセンスが生み出す発想ばかりが空回りしている気がしたのだ。
日野自身も内心それは感じていた様で、大学に行けるなら是非に、という事で工科大に通いつつローレッジの手伝いをする、という事になった。
彼の凄いところは、ざっくりと話せばそれがどう云うものかを直ぐに理解してある程度の形にしてしまうところなのだ。
飛行機にせよヘリコプターにせよ、俺の落書きや与太話を直ぐに理解してスケッチを起こせるだけの飲み込みの良さと発想力がある。
その能力を活かせないのは勿体なさ過ぎるだろう。
藤本は当面バローのビッカース造船所に出向。これは藤本に声を掛けた時から予定していたことだが、本人は世界の最先端の造船所で技術が学べると大喜びだった。
一隻目の強襲揚陸艦は、恐らくこの造船所で作る事になるだろう。
安辺は当面英国の航空学校に通いつつ、航空機製造会社が立ち上がればそこのテストパイロットを頼むかもしれないし、強襲揚陸艦に乗せる飛行機開発にも携わって貰う予定だ。
フランスで更に青田買いをし、主人公は同行者と別れ更に旅を続けます。




