第二十七話 1913.5-1913.5 航空技師
ロシアで最後の都市サンクトペテルブルクへとやってきました
1913年5月、モスクワからサンクトペテルブルクへ列車で移動した。
ロシアの旅はあと少しで終わるが、サンクトペテルブルクにも用事がある。
俺はサンクトペテルブルクで、後に米国へと亡命するエンジニアと会う約束を取り付けてある。
彼はサンクトペテルブルクにあるバルト鉄道車両製作会社に去年入ったばかりの二十代半ばの新進気鋭のエンジニアで、今チーフエンジニアとして活躍している。
彼が手掛けているのは飛行機だ。
工業国としては後進国と言われるロシアに在って既に複葉機の飛行に成功し、特に去年製作した幾つもの複葉機はこの時代の物としては先進的で、既に空力を強く意識した設計となっている。
ただ、現状非力なエンジンしか手に入らないため、そのポテンシャルをあまり発揮できていないのが残念ではある。
俺はサンクトペテルブルクの大使館に依頼して、彼が本来最も興味がある筈のヘリコプターのスケッチを送り、情報交換しないかと持ち掛けて貰ったところ話に乗ってきたので、サンクトペテルブルクのとある料理屋をセッティングしてもらい会う約束をした。
当日、待ち合わせの料理屋に行くと既に彼は来ており、前世で見た写真通りのハンサムな若者だった。
「シコルスキーさん?」
「ええ、そうです。
あなたは乃木さん?」
「はい。乃木です」
「大使館の方から聞きましたが、ポートアーサー要塞で戦った乃木大将のご子息だそうですね」
ポートアーサーというと旅順要塞のロシア側の呼び方だったな。
「ええそうです。
私もその戦いには従軍していたのですよ」
「そうなのですね。
あなたのお父上はロシアでも新聞に載る程の有名人ですよ」
そう言って笑う。
物静かな感じの知的な青年の様だな。
「ははは。
私はその戦いで航空機の重要性を感じ、特に滑走路無しで飛行出来て偵察任務に有用なヘリコプターに関心を持ったという訳です。
勿論、固定翼機にも関心があります」
「なるほど、それが乃木さんが送ってくれたスケッチに描かれていたヘリコプターなんですね。
私の方は、ヘリコプターは発動機の出力不足で実用化は難しいと考えて一先ず断念し、固定翼機の方の開発を手掛けています」
ちなみに、俺が送ったヘリコプターのスケッチはレ号直協観測機という日本が第二次世界大戦末期に開発していたヘリコプターだ。
なんでそんな知る人ぞ知る様なヘリコプターのスケッチを渡したかというと、模型を作った事があるというのもあるが、如何にも黎明期の実験機らしいヘリコプターを想像すると、頭に浮かんだのがこれだったのだ。
ちなみにシコルスキーも似たような形のヘリコプターを何年か前に作ったが、浮かび上がる事も無くその後断念している。
「そうでしたか。
やはり発動機の能力不足が大きい様ですね。
私もスケッチはしてみたものの、浮かび上がらせるには出力100馬力位で軽く信頼性の高い発動機が必要で、それにプロペラにもまだまだ工夫が必要ではないかと感じているので、実用にはまだ程遠いですね」
そう言うと笑って見せる。
「ははは、そうですね。問題は山積みですよね。
ところで、日本での航空機の導入はどんな感じなのか、教えて頂けないでしょうか?
勿論、差し支えない範囲で構いませんので」
今の時点で航空機分野で日本に隠すに値する様な秘密は無いのだがな…。
「我が国はまだ取り組みが始まったばかりですね。
航空機分野の先進国フランスから航空機を取り寄せて、試験的に飛ばしているところです。
でも、航空機を開発する会社を作る予定がありますよ」
既に米国でも作っているが、英国でも作る必要があると俺は思っている。
それぞれに独自の技術や人材があるし、それに最先端の物を手に入れるには当事者でなければならないというのが俺の考えだ。
そしてそれらで得た技術や人材を活用して、列強に伍せる先進的な航空機メーカーを日本に作るのが最終目的である。
「おお、航空機メーカーを作られるのですか。それは夢がありますね。
私は航空機を手掛けていますが、所属している会社は鉄道車両を製造する会社ですから、専業のメーカーという訳では無いのです。
幸いにも職場には恵まれていて、好きに飛行機を作らせてもらっているのですが」
「その様ですね。
私もロシアの新聞に掲載されていたシコルスキーさんの手掛けられた飛行機の写真を見た事がありますよ」
それを聞きシコルスキーの表情がパッと明るくなる。
「そうでしたか。
それで如何ですか? 私の作った飛行機は」
「素晴らしいの一言ですね。
貴方の設計した飛行機はどれも実に先進的で完成度が高いと思います。
あくまで写真で機体を拝見しただけではあるのですが」
「そう言って貰えると鼻が高いですね。
しかし発動機が非力なので、私が望んでいた機体性能が発揮出来ていないのです」
「そうなのですか。
実は私はイギリスで会社をやっているのですが、エンジンの開発もやっていますよ」
「おお、それは凄いですね。
ちなみに、どの位の馬力のエンジンを?」
「今作っているのは車両用のエンジンですから航空機に向くかどうかはわかりませんが、百馬力は達成していますよ」
「百馬力ですか。
すごいじゃないですか。それなら空冷エンジンは作っているのですか?」
「空冷エンジンはまだ作ってません。
ですが、航空機関係にも手を広げる予定なので、空冷エンジンの開発も始めると思います」
「それは凄いですね。
もし良いエンジンが出来たら、是非使ってみたいです」
「私が作る会社に来てくれたら、いつでも使えますよ」
わざとそう言って笑って見せる。
彼もつられて笑顔を浮かべるがすぐにその顔は苦笑いに変化した。
「それは、私を乃木さんの会社に誘っているのですか?」
「ははは。
そうとって貰っても構いませんよ。
シコルスキーさんの様に優れた航空機エンジニアは得難いと思っています。
私の会社にもし来てくれたら、今よりも良い条件で仕事をさせてあげられますよ」
「はは。悩ましい事を言いますね。
でも、私は去年今の会社に良いポジションで入社したばかり。
今手掛けている仕事もありますから、流石に今直ぐに他の会社に移るのはちょっと…。
それに、日本は少々遠い。
非常に魅力的なお誘いではあるのですけどね」
「はっはっは。
まあ、半分本気半分冗談だと受け取って貰えれば。
でももし興味があるなら、シコルスキーさんの椅子をいつでも用意しておきますよ。
それに、私が会社を作るのは英国です。私の会社は英国にありますから。
先ほどの話は、日本でも帝国政府が補助金を出して航空機会社を育成する、という話ですよ」
「ああ、そういう事でしたか。
英国ならば、そこまで遠くという事は無いですね。
私は一時期フランスに住んでいましたし」
「ええ、もし活動の場を移したいと考える日が来たら、是非声を掛けてください。
いつまでも待ってますよ」
「はは、そこまで言われると断れないじゃないですか。
わかりました、直ぐに移る気は無いですが記憶にとどめておきます。
もし連絡を取りたい場合は大使館に言えばわかりますか?」
「大使館に私と連絡を取りたいと言って貰えればいつでも連絡がとれるように話を付けておきますから、それで大丈夫ですよ」
「わかりました。
また乃木さんとはお会いしたいですね」
「ええ、是非」
その後、ウオッカがまわったところで他愛の無い雑談を交わしながらサンクトペテルブルクの高級料理屋でのコースを二人して堪能した。
別れ際にはしっかりと握手でわかれた。
シコルスキーと会食をした二日後、大使館に探して貰って連絡を取っていた若者が大使館を訪ねて来た。
彼はモスクワ帝国工科大学に通っていた学生で、学生運動に参加して違法なビラを配布した為、秘密警察に逮捕され実家のトヴェリに追放されていた青年だ。
実のところ、調べてみると彼はそこまで大事になると思っていなかったようで、学業の継続を強く望んでいる事が分っている。
俺の記憶が正しければ、彼は来年の夏ごろに一時的に復学を認められるが、その後第一次世界大戦が勃発し、1918年に航空機の重要性に対する認識の高まりによりかのTsAGI立ち上げの時に召喚されるまで学業は結局中断したままだった筈。
現時点では失意のどん底で、実家で燻っていたという訳だ。
そんな彼に、英国の俺の会社での雇用と英国の大学での学業再開を申し出た訳だ。
彼は既にロシアの航空サークルでは名のしれた人物だから、航空機に関心がある人間なら彼の事を知っていても不思議ではない。
そんな人物だ。
彼の名前はアンドレイ・N・ツポレフ、後にソ連の航空機分野で大きな足跡を残す天才の一人だ。
彼は既に俺の申し出を受け入れる、との返事をして来ており、今日は簡単な面接みたいなものだ。
社会主義の害毒についてはイギリスに来てから教える事にして、今日は俺の航空機に関する夢を語るとまだ二十代半ばの若者だけに身を乗り出して乗ってくる。
余程追放が堪えていた様だな。
そして最終的な条件などを確認し合い、ツポレフの準備が出来次第渡英してくることになった。
一月後、彼が船で英国にやって来たので会社のロシア人達に紹介した。
約束通り会社で仕事をしつつ英国の工科大学に通って勉強を再開し、後にうちの会社の航空機部門の主要メンバーの一人として活躍する事になる。
シコルスキーに唾を付け、ツポレフを拉致しました。
この時期はみんな若者です。