第十九話 1912.11-1913.8 天才来る
天才がくる話です
1912年12月
米国から到着した客船から、長身でハンサムな一人の男が日本へと降り立った。
男の名はニコラ・テスラ。百年先を見通す天才だが、その人生はその業績程には評価されなかった。
彼を恐れた多くの敵が彼を攻撃し、投資家を遠ざけるのに躍起となった。
彼が巨大なワーデンクリフタワーに失敗したころから、彼と当時の技術水準が明らかに乖離しだしていた。
その後発明したテスラタービンもまた、当時の技術水準では実用化が難しかったのか、結局まともに使われ出したのは数十年経った後であったのだ。
彼は俺の知る限り日本に来た事は無かったはずだが、俺が招待したところ、この度の来日に応じたという訳だ。
彼の名はエジソンの様に日本で大々的に知られている訳では無いが、既に海軍の木村俊吉がテスラの研究室を訪ねて行ったりと、無線の専門家として一部では有名だ。
しかし、日本で使われている米国ウエスチングハウス製50Khzオルタネーターを作ったのがテスラだと知っている人は殆どいないだろう。実はテスラは、日本に縁の深い人物なのだ。
さて、伊藤公や山縣公にテスラの必要性を説き、桂総理を動かして船着き場に大勢の歓迎の為の民衆を動員した。勿論、彼がどういう人物かというのは事前にエキストラには説明してある。
電灯の電気を発明した偉大な発明家でとても偉い先生だ、とエキストラに説明していたのだが、この時代の純朴な人たちはそんなすごい人が日本に来てくれるなんて、と皆余所行きの服装で集まり、港は歓迎の横断幕で溢れた。
船のタラップから迎えの朱塗りの公用車迄にレッドカーペットが敷かれ、沿道には警察官が立ち並ぶと言う殆ど国賓待遇の扱いだ。そして桂総理自らがテスラを出迎え、宿泊先の帝国ホテル迄のエスコートを買って出たのだった。
何故桂総理がエスコートかというと、実のところ総理自身がそんなすごい先生がくるなら是非会って話をしてみたい、と大いに乗り気だったのも大きい。
帝国ホテルまでの道中は通訳を交えて、この国の電気や無線について色々と相談をした様だ。
今回のテスラ訪日は、畏れ多くも大正天皇が会食を希望される程の予想外の衝撃を日本中にもたらしてしまった様で、後でゆっくりテスラと話をするつもりが予定が大きく狂ってしまった。
テスラはこの頃色々と落ち込むことが多かったようで、日本で大歓迎を受けて自分を熱烈に必要としてくれている事にすっかり感動し、涙を零したそうな。
テスラは最後は鳩だけが唯一の友達の、貧しく寂しい老人として孤独死する人だからな…。
最初は東京帝大で、大勢の日本の若き俊才たちや学者たちを前に講演を行ってくれた。
そして、京都と奈良を観光し、日本の古い文化に触れ、京都帝大にて講演。
更には、専用列車に乗り込み石川で観光し、東北へ向かった。
東北でも大歓迎を受けて、出来たばかりの東北帝大で日本の新進気鋭の学者たちや若者達を前に講演を行った。
各帝大での講演内容は大きくは電気の未来について語っていたそうだ。結局は俺の前世の時代ですら未だ実用化はしていないのだが、無線送電の可能性についても語っていたそうだ。
米国での実験は失敗したが、まだそれの実用化を諦めて居ない様だ。
そして、再び東京へと戻って来た。
やっと都内の料亭でテスラと会見出来る事になった。
「乃木さん、この度は日本へ招待して頂き有難うございます。
これ程の歓迎を受けるとは、想像もしていませんでした」
「貴方ほどの偉大な発明家に、我が国へお越し頂けたのです。
実の所、私もこれ程の大歓迎になるとは想像していませんでしたが、外国から偉い先生が来てくれるというだけで、我が国の国民は喜び歓迎します。
そういう国民性なのですよ」
「ははは。国民性ですか。
そうですね。行く先々で心温まるもてなしを受け、少しささくれ立っていた私の心は随分癒されました。
独特の美しい自然に調和した日本建築の佇まいにも、感銘を受けましたよ。
そう、温泉も素晴らしかった」
「我が国を気に入って貰えて、嬉しく思います。
温泉は我が国の国民にとっては文化そのものですからね。
入れるものなら毎日でも入りたい、そういう文化です」
「毎日ですか。
それは良いですね。
身体も清潔に保つことが出来るし、きっと健康にも良いのでしょう」
「ええ、それは勿論。
日本には湯治という言葉がありますからね。
つまり、湯につかって身体の代謝を高め、体調を整え治すという意味です」
「湯治ですか。
ヨーロッパにも日本とは異なりますが、温泉に入って身体を癒すという施設がありますね。
ですが、私は日本の温泉が気に入りました。
ぜひ、また入りたいです」
「ええ、それはぜひ。
日本は火山列島ですから、多くの温泉地があり、その地その地で色んな特色や効能があり、全部回りつくすには相当な時間が掛かるでしょう」
「それ程ですか。
流石に全部を回りつくすのは難しいでしょうが、でも色んな温泉を楽しんでみたいですね。
勿論そこまでの長生きは不可能でしょうが、実は私は健康に百五十歳まで生きたいと願っているのです」
「百五十歳ですか。それは長生きですね。
そんなに長く健康に生きられたなら素晴らしい事ですが、それはまたどうしてですか?」
「私には発明したいことがそれはそれはもう沢山あるのです。
全てを発明するには恐らく百五十歳まで健康に生きなければ到底無理だろうと。
そういう事なのです」
「なるほど、ならば足踏みしている時間は勿体ないですね」
その俺の言葉に、テスラは視線を落とし表情を少し曇らせる。
研究には金が掛かり、しかも彼は敵が多くスポンサーがなかなか付かない。
更には妨害までされる始末だからな。
テスラタービンの実験すら満足に出来ない有様なのだ。
「そうなのです…。
中々にままならない物です」
「どうでしょう。
テスラ先生、活動拠点を日本に移しませんか?
我が国であれば、国を挙げて博士を支援しますよ。
テスラ先生の下で学べると知れば、国中から最も優れた若者たちが集まるでしょう。
先生の研究所を作り、我が国の最も優れた若者達を助手として使えば、きっと先生の発明ははかどると思いますよ」
「乃木さん。なぜ、私にそこまで?」
「日本にも、先生と同じ年に生まれた志田林三郎という天才と呼べる人物が居ました。
若くして才能を示し、優れた学業成績で学問を修め、イギリスのグラスゴーへと留学し、ケルビン卿の下で学びました。
そのケルビン卿をして、我が教え子の中で最も優れた人物は志田だ、と評した程の人物だったのです。
彼は帰国後電気工学分野で多大な貢献をしたのですが、残念ながら三十六歳の若さで亡くなってしまいました」
「それはお気の毒に…」
「彼が電気の未来について、1888年6月に演説で語ったのがこれです」
そういって、演説内容を英訳したメモを手渡す。
それを読み進めていると、テスラの表情が段々と驚きに満ちていく。
ちなみに、こういう感じの内容だ。
・高速度での音声多重通信
・遠隔地との通信通話
・海外で演じられる歌や音楽を同時受信して楽しめる(海外からの音声実況放送)
・山間部の水力発電で得たエネルギーを長距離送電して、大都市で活用する
・黒煙白煙を吐かない電気列車や電気船舶が普及する
・電気飛行船に乗って空中を散策できること
・光を電気磁気信号に変えることによって、映像情報を遠隔地に伝送し、遠くにいる人と自在に互いの顔を見ることができる
・音声を電気信号に変えることによって機械に録音し、後で自由に再生できる。
・太陽黒点、オーロラ、気象などの観測を通じて、地電気、地磁気、空間電気の関係が明らかになり、地震予知、気象予報、豊作凶作の予測などが可能となる
俺の前世の時代では、ほとんど全てが実際に実用化されている。
俺が初めてこの演説録を読んだ時、志田は転生者なのかと思ったほどだ。
「これは…。素晴らしい。
確かに、乃木さんが天才だと言われるのがわかります。
既に実用化が近いだろうと思われる項目もありますが、私が思いつかなかった様な事もありますね。
実に興味深いです。
…もしかして、私に彼のこの発想の実現を依頼したいのですか?」
「ええ、そうです。
同じ年にこの国に生まれた天才が見た未来図ですが、貴方が発明してきた事や研究している事、
論文など読めば、彼との共通点もあるのです。
私は、彼が予見した未来は実現すると思っています。
私は軍人ではありますが、こう見えて技官で技術にはそれなりに明るいので、これらは実現可能だと見ています。
先生の仰る通り、実用化間近であろう技術もあるでしょう。
更に我が国では今後、高速で計算できる電子計算機の開発も行う予定です。
それについても、博士の知恵をお借りしたいと考えています。
それに、そう。これなどは先生は大いに興味をお持ちになるかと思いますが」
そういうと、一枚の金属板をアタッシェケースから取り出し、テスラに手渡す。
「これは?」
「これは、通常の鋼より固く、錆びにくい合金です。
先生が研究中のタービンですが、この金属で作ればもう少し先生の望む結果に近づく可能性があると、私は思っているのですが」
「それは…、それは興味深い」
テスラはそう口ずさむように答えながら、俺が渡した金属の板を弾いてみたり表面や断面を撫で回してじっくり見たりと、興味津々な様子を隠せない。
「先生、これはあくまで一例です。
我が国が先生に依頼したい研究は、電気分野だけに限らず多岐に渡ります。
そして、先生が自ら研究したい事についても、我が国はその支援を惜しみません。
勿論、なんでもどんなものでも自由にというのは難しいかもしれませんが、少なくとも先生がこれ迄研究されてきた事柄で、支援を考えないという事はほぼありません。
先生のどの研究も、どの特許も、実に素晴らしい」
テスラがそれを聞き気を良くしてほほ笑む。
テスラが全面肯定されたことなんて、彼の人生でほとんどないんじゃないか。
「そう、評価して貰えると、素直に嬉しいよ」
「どうでしょう、先生。
先生の為に研究所を用意しますから、日本においでいただけませんか?」
テスラはそう言われると目を閉じ、じっと考えこむ。
そして、目を開いて答える。
「即答は出来ません。
一度米国に帰り、落ち着いて考えてみます。
ですが、恐らく悪くない返事が出来るでしょう」
テスラはこの時期、ニューヨークのメトロポリタンライフタワーにオフィスを構えている。しかし、彼の特許収入は減る一方で有力スポンサーの獲得にも苦労し、蓄えを切り崩しながら苦労している筈だ。
後一年と少しで、今のオフィスも家賃を支払えなくなって引き払い、更に安いオフィスへ移る事になる。それを繰り返して1925年に破産状態に陥るのだ。
だから、彼の特許出願はここ迄は溢れる泉の如く質、量共に途方も無いが、これ以降はぐっと少なくなっている。
そして、まるで妄想の様な事も口走り出すのだ。
彼ほどの天才は惨めになるべきじゃない。最後まで伝説に包まれて生きるべきだ。
その環境を今の日本なら提供できるはずだ。
なにしろ、現世の日本は今未曾有の好景気に沸いているが、後の経済大国と呼ばれた時代を考えればその伸びしろはまだ計り知れない。
また前世と違い、無駄に費やされる国家予算も少なく、全力投入がまだまだ許されるのだ。
そして、テスラは大勢に見送られながら米国へと帰っていった。
翌年、テスラから日本へ移住する旨の返事が返って来た。
テスラの為に国立研究所が作られ、希望者を募ったところ予想通り全国から俊英がこぞって応募し、選定に困る程だったそうだ。
夏ごろに再び来日したテスラは日本で精力的に研究を始め、後に志田林三郎の語った未来の一部を実現して見せる事になる。
勿論、それだけじゃない、日本ではテスラタービンの研究を精力的に進め、これも後に水力発電所や火力発電所の発電用タービンとして使われ、その真価を発揮するようになる。
テスラの下には日本ばかりでなく、海外からもその名声を慕って優秀な若者が集まり、さらに日本の科学技術の底上げに役立ったのだ。
そして、結婚はしない主義のテスラには大和撫子が合っていたのか、日本人女性と結婚するなんて話も聞こえて来たのだった。どうやら晩年は鳩に囲まれて孤独死するというテスラの未来を、完全に書き換えられた様だ。
夏くらいにテスラが来るので話の締めを8月にしています。
一足先に、後日談を書いただけなので、次回また時間は戻ります。