第十八話 1912.11-1912.11 国家情報局
日露戦争から早くも七年です。
レオ自動車の日本工場の視察など、慌ただしい日々を送っていたら、あっという間に十月が過ぎていた。
お袋さんは俺に見合いを勧めてくるが、殆ど日本に居ない様な男に嫁ぐ嫁は気苦労しかしないと思うのだ。
年齢的には結婚し、孫を見せるのが親孝行であるとは思うのだがな。
いつまでも独り身でフラフラしてるつもりは無いが、今はまだ駄目だ。
レオ自動車の日本工場もそうだが、米国から進出してきた企業は新潟、富山、石川、福井といった北陸に工場を構えている事が多い。
その為、この地域一帯は北陸工業地域と呼ばれる様になり、国がインフラ整備に特に重点を置いてる。
また、米国への海路輸送のアクセス拠点としては、福島県の小名浜町とその周辺、そして茨城県の那珂郡とその周辺に、産業港として大型の倉庫やクレーンなどが整備され、大型の貨物船が何隻も停泊できる大規模な港が用意された。
それに伴い、鉄道では磐越線と水戸線が、そして自動車専用道として磐越自動車道と北関東自動車道が整備され、帝都より先に福島茨城と北陸を結ぶ自動車道が開通するという事になった。
しかし、自動車専用道とは云うものの、前世に日本中に張り巡らされていた高規格な高速道路の様な代物では無く、それ迄は徒歩の旅行者や牛馬人力車が通るのがやっとの江戸時代からの街道でしかなかった土地に自動車が走行可能なレベルの道が付いただけに過ぎず、元々何れ開通させる予定だった国道を前倒しして作っただけの代物だ。
当然、俺が前世で居た時代に開通していた位置を走っているわけでもない。
まだ後の世ほど日本の土木技術は進んでおらず、米国から土木工作機器が持ち込まれているものの、長いトンネルを掘って山を貫通させるなんて事もしていない。
あくまで開通可能な道路を開通可能な場所に開通させただけであり、元々あった街道に重なる部分も多い。
一応〝自動車専用道〟と銘打っているが、俺の生きていた前世の様に自動車が常に行きかっているわけでもなく、自動車が走って居なければ地元民が新しく出来た道として普通に歩いていたりする。
その程度の代物だ。
それでもここまで交通網整備を急いだのは、やはり北陸や常磐地方のインフラ整備が遅れていたのもあるが、進出して来る欧米資本と交した〝必要なインフラ整備をする〟という日本国家としての約束事を早期に果たし、実績を作りたいという政府の思惑がかなり大きい。
政府としては、今は大陸の安定した後背地として日本に莫大な欧米資本が投下され、工場が幾つも建つなどしているが、いずれ満州などの大陸情勢が安定化すればそちらに全ての工場が行ってしまうのではないか、と危機感を抱いているのだ。
この先の大陸の混迷度合いを知っている俺からすれば「それは全くの杞憂だ」と言い切れるが、殆どの日本人は大陸に幻想を抱いているからな。
とはいえ、日露戦争から僅か7年後の大正元年、1912年の段階でここ迄日本が発展しているのを見れば、日本の大陸進出が如何に日本の正常発展の足かせ、重荷になっていたのかが良く分かろうと言う物だ。
年内には憲法が改正され、統合軍が発足する見通しだ。
統合軍は従来の陸海軍から志願兵を募り、それを核として更に志願兵を一般から募り肉付けしていく予定の様だ。
従来の陸海軍から統合軍へ志願せず退役もしなかったものは、自動的に下位組織の国土防衛隊への編入となるが、やる事は陸海軍の頃と殆ど変わらない。
統合軍へはやはり海軍からの志願率が高く、陸軍は海軍程は高くない様だ。
というのも、今の日本はかなりの好景気であり、むしろ人手不足の状況なので、欧米から比べれば賃金水準はかなり低いが、それでもずっと上昇傾向にある。
統合軍へと志願すれば徴募兵から職業軍人になり、賃金も国土防衛隊よりも高くなり地方公務員レベルに上がるのであるが、それでも民間企業に就職すればさらに良い賃金が貰えるから、かなりの陸軍出身者が民間企業へ流れて行った様だ。
海軍の志願率が高かったのは、元々海軍は志願兵による軍、という意識が大きい様で、単に賃金の多少だけで左右するものではないのだろう。
今後、統合軍の志願兵は兵役が十年。下士官へと昇進していれば更に軍務を続けることが出来、そこからは二年毎の任期更新を重ねる事になるが、条件を満たさない場合は段階的に予備役編入となる。
無論、将校へと昇進を果たしていれば、通常の将校と同じ扱いとなる。
統合軍への志願は十六歳以上の志願者から選抜。全員が軍学校へと入学し、数か月の基礎教育を受けて適性を見極められる。
その後、適性と本人の希望を考慮したコースへと進み、更に専門性を高めていき、そして成績や本人の希望を更に考慮して段階的に卒業し、統合軍への正式配属となる。
統合軍の軍務に就いて最後まで残った者達は、最終的に全員が士官学校へと進み、将校としての道を歩む事になる。
統合軍ではこれ迄の方針と異なり、自分の頭で考え行動が出来る兵士を養成する。
その為に、兵卒であっても最低限の軍事的知識や常識を軍学校で叩き込まれる事になる。
また統合軍では国土防衛隊も含め、全員が自動車運転の講習を受けなければならず、必ず運転免許証を取得させる予定だ。
これにより、日本にモータリゼーションを強引に起こすという訳だ。
前世の第二次世界大戦時の米軍を見ての通り、自動車を運転できる人が普通に幾らでも居る、というのは確実な戦力の底上げになるからな。
11月も中旬の頃、山縣公、伊藤公と会合を持った。
これからの日本には、絶対に無くてはならない物を正式に発足させる為だな。
軍部が勝手に政府の知らないところで税金使ってやって良いものじゃない。
そもそも、そんな事をしていたら折角いいネタが仕入れられても政府に伝わらない可能性があるからな。
「両閣下、小官は我が国に正式な諜報機関を設置する事を提案します」
諜報と聞いて伊藤公の眉の間に皺が立つ。
山縣公は諜報機関の重要性をわかっておられるからか、頷かれるだけだった。
「聞こう」
「はっ。
英国には政府の為に様々な情報を扱う特務機関があります。
暗号の開発や解読、それにそれらを扱える人材の育成を行う部門。
海外の情報を集める部門。
戦争に使えるレベルの地図を収集、作成、管理する部門。
敵の間諜を防止する部門。
そして逆に諜報活動を行う部門。
これらの部門から成り立つ、情報を専門に扱う特務機関です」
「ほう」
「欧米列強には、形態は異なれども何処の国にもこの手の専任の機関があります。
我が国でも日露戦争の時、欧州の大使館を拠点にロシアに対して諜報活動を行っていたかと思いますが」
山縣公が黙って頷く。
「軍は勿論ですが、何と言っても首相が国家として持ち得る最大、最良の情報を持ってなくては国政を誤ります。
外交、戦争は勿論の事、国の行く末を決める場合には、必ず質の良い情報が無くては良い判断が出来ません。
我が国にも首相直属の諜報の専門機関、国家情報局を設立すべきだと提言致します」
「うむ。
誰か任せるに足る人物は居るか?」
「小官は、参謀次官の福島安正中将を初代局長に推薦します。
福島中将を大将に昇進させた後に、予備役編入とし局長に任命すべきかと思います。
現役の軍人を情報局局長にしては軍の影響が強くなりすぎ、将来的に活動に悪影響を及ぼすでしょう。
現時点での適任者が福島中将ではありますが、将来的には軍歴を問わず広い人材から適任者を選ぶべきかと思います」
「福島か、あの者ならば儂も知っておるが、確かに適任であろう」
「更には、明石大佐も推薦します」
「明石もよく知っておる。
両名とも、日露戦争にて諜報活動に従事させた人物だな」
「はっ。
情報局を作るにあたって、最も大事なのは情報分析に秀でた人材の育成です。
情報収集は、平時においては特にそうですが、現地の新聞や雑誌など些細な情報から集まる部分がかなりの割合を占めます。
それらをすべて収集し、そこから情勢を読み解くのが大事なのです。
例えば、日本にあっては欧州の事情などはどうしても、遥か遠くの世界の出来事、と感じます。
しかし今欧州では、フランスとロシアの同盟、ドイツとオーストリア=ハンガリーの接近、そしてオーストリア=ハンガリーのバルカン半島進出と、バルカン半島諸国のオーストリア=ハンガリーへの反発と地域紛争の勃発等、実に様々な政治的外交的軍事的事案が発生しています。
それらをその地その地の報道としてばらばらに得ても、それが大戦争につながるなどとは思わないでしょう。
しかし、バルカン半島は大スラブ主義でロシアとつながっており、オーストリア=ハンガリーがセルビア王国などと戦争を始めればロシアは黙って居ません。
ロシアがオーストリア=ハンガリーを牽制するために例えば総動員を掛けたら、ロシアの隣国でオーストリア=ハンガリーに接近しているドイツは黙って居られるでしょうか。
そして、ドイツも動き出し、ロシアも総動員を掛けている状況で、フランスが座視するなどあり得ないでしょう。
更にフランスが動き出したのに、果たしてイギリスが傍観した儘で居るでしょうか。
これらを繋げて分析し、今が全欧州を巻き込む戦争前夜であるという事を読み解く事が出来る人材を育成しなければ、我が国は永遠に打つ手が後手後手に回る国家になります」
伊藤公と、山縣公が大きく頷く。
「正に、その通りであるな。
伊藤からその話は聞いていたが、改めて少佐から話を聞き、正に今が大戦前夜であるという事がよく分かった。
そしてイギリスと同盟関係にある我が国も、座視した儘で居る事など出来ない。
そういう事であるな」
「はっ。
我が国が今後も列強の一角として欧米列強に伍して行くためにも、欧州大戦にイギリスの同盟国として参戦し兵を派遣するのは必須であると愚考いたします」
「うむ。
だから、指揮官は乃木大将、なのであろう?
乃木君であれば、欧州でも侮られる事は無い」
「その通りです。そして、私が作り上げた機甲部隊が活躍すれば、我が国の名は欧州全土に轟くでしょう」
「少佐には期待しておるぞ。
先日の演習で見せて貰った戦車、あれは今迄の戦争の様相を大きく変えるものだ。
使い方を誤らねば、大きな戦力として戦局を左右しよう」
「乃木大将はその日の為に今機甲部隊を使った戦術の研究に勤しんでおります。
必ずや良き結果を皇国にもたらせるかと」
「楽しみにして居る。
それに、我が国の工業生産力は欧米からの莫大な投資もあり、大きく伸張し続けている。
戦車の様な高度で高価な工業製品であっても、何れ国内生産できるようになるだろう。
来る欧州大戦に間に合うかはわからぬが、そう遠い未来ではあるまい」
「如何にも。
今の国内景気は活況を呈し、税収も好調。
工業力を下支えする道路や鉄道などの社会の基盤整備の充実も著しい。
東洋一の工業国として日本が世界に知られる日も、そう遠くあるまい」
「はっ。
それでは、情報局設置の件、よろしくお願いいたします」
「うむ。任せておけ」
史実では軍直轄で縦割りが酷く機能不全起こしていた情報局が内閣直下に設置されます。