第二話 1907.3-1908.11 陸軍大学、そして渡米
主人公は陸軍大学へ入ります。
1907年、俺は箔付けの為に陸軍大学へ入った。
日露戦争の英雄である乃木希典の嫡男であり華族という社会的地位はあるが、それはあくまで親の話。
日露戦争に参加はしたが目覚ましい戦功を上げたわけでもなく、負傷して内地で入院していて勝利に立ち会う事も出来なかったというのは陸軍では知られた話だ。
つまり、親の七光で出世を約束された実力の伴わない奴という評価がこの先ずっと付きまとう訳だ。
それで、正直学ぶことなど無いが、箔付けと人脈作りに陸軍大学に入ったという訳だ。
とはいえ、実際に陸軍大学に居たのは一年だけだった。
そこで俺はまあ色々とはっちゃけた。
後の世の二つの大きな大戦やその後の数々の戦争で編み出された様々な戦略、戦術を陸大の机上演習で盛大にぶち上げて披露した。
例えばランチェスターの法則など数理モデルによる法則などを日露戦争に当てはめて有用性を説いてみたり、或いは浸透戦術など。
更には経済的視点から見た安全保障体制の構築などという後の世の考え方を提示して議論を交わしたりした。
例えば今後、大陸にどう関わるかという話だ。何しろ朝鮮問題は目下の課題だからな。
勿論、俺は大陸不介入論者だ。どうしても絡めるなら入り込みたがってる米国を放り込んで隣国という地の利を生かして旨い汁だけ吸うべきだ。
あんな所に本来日本国民の為に使われるべき膨大な血税を大量投下したから俺が死ぬ羽目になったのだ。
クソ国家ヘの道の第一歩だ。
こうして日本の誇る若き俊英たちと日々激論を交わしていると、最初は馬鹿にしていた同輩もだんだんと俺の事を認めるようになってきたのは良い傾向だ。
だが、機械化部隊による機動戦術などはその必要性と先進性は認められたものの、肝心のそれに使う自動車は日本に1905年頃よりやっと入って来たばかり。
戦車に至っては影も形も無い。そんなものがあれば素晴らしい、という代物なのだ。
しかし、陸大ともなると自動車とその有用性を理解しない者は居らず、いずれ普及し未来の戦争の重要な要素となる、という認識は皆持っているのだ。
ちなみに、同期には若き日の杉山元とか畑俊六といった後に大臣を務めた様な錚々たるメンバーが居た。後で役に立つんだろうか?
こうして陸大での楽しい一年は終わり、俺は東京帝大へ派遣学生として送り込まれた。
だがこの時代の東京帝大で学ぶことなど何もないので、イギリスへ留学する事になった。
イギリスへ渡る前に米国での視察を希望したところ、日本にも米製の車が入ってきていたので、今後の為にも必要だろうと認められた。
1908年、船で米国へと渡った。
そして長い船旅を経てロサンゼルスへ到着。
ちなみに、俺はここで何をするか。
まあ、何をするにも先立つモノは必要。
お小遣いという名の資金をタンマリと貰って来た。
これで未来知識を使ったインサイダー取引まがいの株取引で儲けるのだ。
といっても米国に長居出来るわけでもないから、確実にもうかる事業に投資する。
先ず俺が投資するのはテキサス油田。銀行を経由しての投資だから面倒な事は銀行に任せ、後は配当を受け取るという寸法だ。
そして、大恐慌前には株を売り払い、それを資金に底値で将来復活成長する会社の株を買いあさるつもりだ。
もう一つは、レオ自動車。日本ではあまり馴染みのない会社だが、創業社長がイノベーターであり、初めて生産ラインによる工業生産手法を編み出した会社であり、フォードは彼の会社に倣ったのだ。
レオはこの時期車自体は進歩的であったにも関わらず、シェアを落としてきていて苦境に立たされている。
他のフォードやGMなどは巨大でしかも急成長中であり、食い込む余地が無い。
しかし俺がここでレオに食い込めば、将来的に日本支社を作らせこの会社の先進的な生産システムを導入することが出来る。
出資するカネが少なく済む事もあるが、それが一番の狙いだ。
俺は暇な米国までの船旅の間、レオに作らせるための車の設計をやっていた。
といっても、詳細な図面じゃない。どんなエンジンがあるかまでは知らないからな。
あくまで、コンセプト設計だ。シャシーやボディなど、この時代にはまだない先の時代のトレンドを先取した先進的な設計。
レオの社長が俺が見立てた通りの人間なら飛びつくはずだ。
この会社には、出資するほか俺が設計した車を作らせる。
そして、その車が売れたら販売利益から分け前を貰い、それでさらにこの会社の株を買う。
つまり、儲けをそのまま再投資する訳だ。
大恐慌の時迄には大恐慌など屁でもない位の会社に成長してもらわなければ投資したカネが無駄になるからな。
レオの取引銀行に投資する資金を預け、そしてレオの社長であるオールズを紹介してもらう。
投資する金額は巨額という訳では無いが、それなりの金額であるし銀行の紹介という事で普通に会うことが出来た。
写真で見た事のある通りの、経営者というよりは技術屋という実直そうな男性が出て来た。
ちなみに、俺は英語は前世の仕事柄問題が無いレベルに話せるので、オールズとも直接話することが出来た。
投資自体は良くある話であり、太平洋の向こうの国からわざわざうちの会社に投資してくれてありがとうといった社交辞令から始まり、本題に。
俺が車を作って欲しいと言う提案を話すと、まあ正直面食らっただろうな。
見も知らぬ東洋人がいきなりやって来て、俺の車を作れだからな。
しかも、その東洋人の国は車を作っているどころかまだ殆ど走っても居ない。
ちなみに、日本を出る前に親父殿の伝手で三井物産を紹介してもらい、いい会社が見つかれば車の輸入を始める事になっている。
やはり、日本国内で本格的に車を走らせないと、そもそもの自動車に馴染んだ人材が少なすぎる。
さて、話は戻るが、さすが技術屋というか話自体は面食らって何言ってるんだこの東洋人はって感じだが、一枚の図面を渡すと目が点になる。
そして、わなわなと震えだし、素晴らしいと。一言。
それはそうだろう、かの有名なポルシェ博士がデザインされた逸品を俺がアレンジした車だからな。俺のアレンジが悪かったとしても元のデザインが悪い訳が無い。
あんまり先進的なデザインだとそもそもこの時代ではまともに作れない可能性がある。
かといって、シカゴギャングが全盛期に乗り回していた様なレトロデザインは好かん。
そこであの国民自動車という訳だ。パクリだがまあ今は未だ存在しないから良いだろう。
きっとポルシェ博士ならもっとイカス車を考えるはずだ。
図面を見せてからの話は早かった、こういうのはアイディア勝負なところもあるからただデザインをパクられないように契約書を結び、残りの設計図を開示していく。
ちなみに、オールズの凄いところはディーゼルエンジンを製作し特許を取るほどの技術がある事だ。
オールズに自動車の安全性が如何に必要かを説明し、その為にはどういう構造を車に取り入れて行くかという事など、説明しながら図面を渡していく。
また、どういうエンジンが必要かなども説明していくが、そこは問題ないとの事。
結果として、オールズが直ぐにでも試作車を作りたい、今すぐ取り掛かりたいというので、後は任せて出来上がったら連絡してもらう事にした。
今回は乗用車であるが、他にもデザインプランがある事を仄めかし、期待に目を輝かせたオールズと固い握手を交わしてレオ自動車を後にした。
技術者相手だと話が楽でいい。
こうして、米国での俺の用事は済んだのでニューヨークで英国行きの船に乗り込んだ。
船の中で次なる商材を仕込まないとな。
チート全開で渡英しました。