第十七話 1912.10-1912.10 発明家の男
今回は立志伝中の人物登場。
1912年10月、俺は帝都のある男の処を訪れていた。
男の名は早川徳次。先月金属加工会社を創業したばかりの19才の若き発明家だ。
歳は若いが幼少より金物職人の下で丁稚奉公にて修行し、八年以上もの修行を終えようやっと一人前として独り立ちし自分の会社を作ったのだ。
この若者は後に実用性の高いシャープペンシルを発明し、更にはラジオ事業から早川電機、つまりは家電メーカーのシャープを創業した人物だ。
彼は関東大震災で工場を失うばかりか家族まで失い、それでも心が折れずに関西に場を移して後のシャープを作るわけだが、それ以外にも紆余曲折が多い人物だ。
どうせなら、先に見えている困難や障害を事前に除いてやれば、もっと活躍できると思うのだ。
何しろ、シャープと言う会社は“世界初”が兎に角多い会社で、創業は金属加工会社だったのに、電機分野に参入してトランジスタとダイオードで世界初の計算機まで作ってしまう程の柔軟性がある。
「初めまして、早川さん。陸軍少佐の乃木です」
「あなたですか、私に仕事を頼みたいというのは。
しかし、うちの会社は先月作ったばかりの会社で工員は二人だけ。
仕事をくれるのは有難いが、大したお手伝いは出来ないと思うのですが」
「徳尾錠、あれは素晴らしい商品だ。
私はイギリスで金属加工会社をやってるんだが、うちの会社で扱わせて欲しいと思った位でね」
「ありがとうございます。
でも、イギリス…でですか…」
「あれはイギリスでも売れる商品だと思うよ。
ところで、今日訪ねてきたのは徳尾錠の話だけじゃない」
「はい。
頂いた手紙には“頼みたい仕事がある”と書かれていましたね」
「ええ、そうです。
あなたの腕と才能を見込んで、難しい仕事を頼みたい」
「難しい仕事…ですか?
仕事を頂けるのは有難い話ですが…。
私に何をさせたいのです?
先に話したように、うちの会社は先月作ったばかりの会社で工員は二人。
見ての通り、この狭い自宅兼工場が全てなので…」
「早川さん、俺が千円出すから、愛知辺りに工場作らないか。
折角作ったばかりの自宅兼工場を引越しさせるのは悪いんだが、俺が頼みたい仕事で必要な工作機械がこの工場には入らないと思う」
「せ、千円…。
それに愛知ですか…」
早川さんは驚きの声を上げ目を丸くする。
なにしろ早川さんが先月立ち上げた会社は、資本金が五十円。
うち自己資金は十円しかなく残りは借財だから、千円出資の申し出に驚くのも無理はない。
「ええ、豊橋辺りが良いでしょう。
必要なのは比較的港に近く、工場用地に余裕があるところです。
下調べしたところでは、豊橋であれば条件がそろっています」
「…。
これ迄の付き合いもありますから、即答は出来ません。
ちなみに、工作機械というのはどういったものなのですか?」
「ええ、今日即答してほしいという話ではありません。
相談して、今週中にでも返事をくれればいい。
私も、来春にはまたイギリスへ戻るので、もし早川さんがダメなら別な人を探す必要があるからね。
工作機械というのは、私のイギリスの会社でも使っているんだが、米国製の工作機械でね。
高い精度で部品を量産するのに向いた性能を持っている」
「…!
米国製ですか…。
随分高いのではないですか?
そんな工作機械、うちでは入れる余裕が…」
「心配しなくても、仕事を受けてくれるならうちの会社から貸与しますよ」
気前のいい話に再度驚きの表情を浮かべる。
「ちなみに…、その難しい仕事というのはどんな仕事なんですか?」
俺はアタッシェケースから突撃銃を取り出すと、早川さんの目の前に置く。
「こ、これは…。
鉄砲…?ですか?見たことも無い形ですが…」
「これは、突撃銃という。
将来の戦争で使う事になる新しい銃器です。
この銃で、特に作るのが難しいのがこれです」
そういうと、アタッシェケースからロータリーボルトのサンプルを取り出す。
「これに使う金属はこちらで用意します。
このボルトと呼ばれる部品は高い精度で仕上がっていないと、銃が弾詰まりを起こします」
「戦っている最中に弾が出なくなったら、兵隊さんは生きた心地がしないでしょうに」
「もちろんそうです。
それに、この銃は従来の銃と異なり、弾を連続で撃つことが出来ます。
その分、このボルトもそうですが可動部分が多く、従来の銃とは比較にならない程激しく動作します。
だからこそ、何度でも正しく動くために高い精度が必要なのです」
早川さんはボルトを手に取ってしげしげと眺める。
ちなみに、このロータリーボルトはデグチャレフの手によるものだ。
「うーん、解りました。
相談して今週中には返事させてもらいます。
私個人はこんな夢みたいな話、騙されているんじゃないかと感じる気持ちと半々でして…」
「良い返事をお待ちしていますよ。
勿論、私が出資して愛知に工場を作っても、それはあくまで早川さんの会社の工場だ。
俺が頼んだ仕事以外の仕事をやるなとか、そんな事を言うつもりはさらさらありません。
俺は早川さんの発明家精神に惚れこんでるんだ。
寧ろ、心の赴くまま色々な物を作ってほしい。
俺はイギリスにもアメリカにも色々と付き合いがあるから、早川さんが望むなら早川さんの作った発明品を海外で売る事だってできます。
だから必ずいい関係を築けると信じていますよ」
「はい。
色のいい返事を出来る様に相談します」
「ええ、では返事を待ってます」
こうして後日、早川さんは俺の提案を受け入れ、東京で会社を立ち上げたばかりだったが、早川さんの家族は勿論、工員やその家族たちも連れて愛知県は豊橋へと移り住んだのだった。
豊橋では既にいい土地を見繕ってあったので、工作機械も入る工場を建てると、早速そこに米国より工作機械を運び込んだ。
早川さんは俺の期待を裏切ることなく、突撃銃のサンプルを作り上げる事に成功し、それを日本統合軍で採用する事が決まった。
恐らく最初は高火力が必要な部隊から配備が始まるが、最終的にはすべての兵士がこの種の銃器を装備する事になるだろう。
日本統合軍の兵力は、特に陸軍兵力は統合軍下において史実よりもかなり少なめとなっており、だからこそ少数でも高い質が求められるのだ。
1912年10月も下旬の頃、帝都の料亭で南部麒次郎大佐と会合を持った。
「キミがあの乃木大将のご子息の乃木少佐か」
「はっ、乃木であります」
「キミが英国から送って来た銃器の数々、儂も見させて貰ったよ」
「如何でしようか」
南部大佐は溜息をつく。
「儂が苦労してホチキス機銃の改良型を開発しておる時に、それよりもさらに性能が良く高威力な重機関銃を目の当たりにして、儂が開発中の機銃は果たして必要なのかと。
そう思ったぞ」
「イギリスでは軽機関銃と、重機関銃の間にビッカース機銃が使われています。
南部大佐が開発されている機銃はそのビッカース機銃にあたる機銃なのでは?」
「はは。
他が無ければ、まあそういう使い方もありだろう。
しかし、貴官が我が国に持ち込んだ英国で云うところのエンフィールド軽機関銃Mk1は、三脚を付け、大型の給弾箱を装備すれば銃身交換も簡単な重機関銃としても使えるじゃないか。
添付されていた光学照準器も装備すれば中々の命中率であったと試験した者が話していたぞ」
「そうですね。そういう使い方も出来ます…」
「儂が今開発している機銃の次に開発を考えておったのが、こういう軽機関銃だったのだ。
だが、既に軍がエンフィールド軽機関銃Mk1の日本仕様の採用を決定してしまったため、新たな、しかも性能の劣る軽機関銃など、必要としないだろう」
「…。
大佐はなにを仰られたいのですか?」
「貴様が送りつけて来た拳銃も、儂が開発した拳銃より性能も使い勝手もいいと、随分評価が良い。
結局、貴様が作った銃器のお陰で、儂は銃器の開発から手を引く事になりそうな塩梅な訳だ」
南部大佐、気が付かなかったがもうずいぶん飲んでいるじゃないか…。
「大佐、ならば大砲作りませんか。
車載用の五十八ミリ位の大砲を」
「大砲だと?!」
南部大佐は腕を組み、暫し考える。
「車載という事はあの装甲車にでも載せるのだろう。
ならば歩兵が使っている対陣地用の低初速の榴弾砲が良いのではないか?」
「ええ、敵の車両に対しては、今のところ12.7mm重機で十分でしょう。しかし、敵の陣地に対して、という意味では12.7mmは向きません。
土嚢で強固に組み上げられた機銃陣地や、塹壕に籠った歩兵には手を焼きます。
しかし、それなりの炸薬量を持つ榴弾砲であれば十分に対応が可能です。
それらを考慮した、軽くて取り扱いやすくしかも威力の有る、車載に適した砲が必要になると思うのですが」
「なるほどな。
ならば、ちょっと考えてみてやる。
そうと決まれば、儂はもう帰るぞ。
銃器の類は貴様に任すからしっかりやれよ」
そう言い残すと、南部大佐は慌ただしく帰って行ってしまった。
折角、三八歩兵銃の開発苦労話とかいろいろ聞こうと思っていたのだが。
南部大佐がどんな車載砲をつくるか楽しみではあるが、イギリスでも作らせないと駄目だろうな。
ならば、ぼちぼち設計しておくか。
こうして南部は銃器を諦め、火砲の方にシフトします。
元々、砲兵将校ですしね。