閑話二 大正元年9月(1912.9) 伊藤博文
伊藤博文視点の閑話です。
大正元年9月(1912.9) 伊藤博文
乃木君の息子である乃木保典少佐から、近く帰国するのでその折に是非話をしたい、との電報が届いていたので、彼の帰国後に久しぶりに会って話をした。
手紙や電信でのやり取りは頻繁に続いているので、彼の近況などは良く知っているのだが。
以前の事もあり、今回はさてどんな話だろうと内心楽しみに会ってみたのだが…。
さてもさても、今回も大きな爆弾を落としていきおった。
話の内容が、まさか憲法の大幅な改正などとは…。
これが実現すれば“大正の大改革”と歴史に残るかもしれぬな。
彼の言う通り、それを成すには確かに藩閥が薄れてきたが、元勲が未だ影響力を行使できる今でなければ難しいのかもしれぬ。
今より後になれば、藩閥に代わり大きく力を付け台頭してくるだろう官僚機構が強固になり、大きな改革は難しくなるだろう。
そして我々元勲とて、新政府樹立の頃若かった我らも明治の四十年を経て今や老齢の域に達し、既に鬼籍に入った者も多く居り、いつまでも影響力を行使できる訳でもない。
しかし、乃木少佐はどれ程先を見ておるのか。未来の記憶があるというのは、本当に冗談では無いのかもしれぬと思えてくるわ。
乃木少佐曰く、我が国の天皇は欧州の皇帝や国王とは全く異なる存在であり、万世一系の天皇は我が民族を支配するのではなく、見守りその安寧を願い祈り続けて来た。
そして日本の民草もまた天皇を心の拠り所、民族統合の象徴として崇敬してきた。
古には親政された天皇も居られたが、基本的にその時代その時代の有力者が実際の政治を担い、天皇は我が国における最高権威、象徴として存在し続け、絶対権力者として君臨した事は殆どなかった。
つまり、絶対君主制を元とする欧州の憲法や政治の考え方を、そのまま我が国に取り入れるのは大きな誤りである。天皇の在り方は、明治天皇も今上陛下も古来から続く天皇のお立場やお振舞と変わらないにも拘らず、欧州流の神聖不可侵な絶対権力者として憲法に謳っているのは、本来の天皇陛下の望む治世からは乖離したものである。
この乖離を無くし、天皇のお立場と権限を正しく明文化しなければ、今の憲法のままでは禍根を残す事になり、必ず後に天皇の威を借る輩が現れる。
彼はそういうのだ。
確かに、いわれてみればそうかもしれぬ…。
実際、明治天皇が新たな政府を作る時に自らの意思を述べられたことは多くない。
これら乃木少佐の言う改革をなす為には、やはり弱められた首相の権限をもう一度強めねばなるまい。
元々、内閣職権が作られた時、首相は強い力を持っていたのだ。
それが徐々に弱められ、今の内閣官制に至ったのだ。
これ迄は良くも悪くも藩閥があり我等元勲が居たから、首相の権限が小さい事による弊害が露呈化して来なかっただけであり、今後その弊害が出てくる可能性があるという事だ。
つまり彼は、今の内閣官制を以前の内閣職権に戻すべきなのではないか、そう言っているのだ。
乃木少佐が特に危険視していたのは憲法第十一条等、軍の統帥に関する条項だ。
現実に天皇が自ら軍を動かすなどという事はあり得ない。天皇が自ら軍を率いて親征されたのは遥か昔の話だ。
我が国は桓武天皇以来長らく国軍を有しておらず、漸く国軍が復活したのは明治新政府が出来てからであるが、やはりこの先も陛下が自ら軍を動かすという事は無いだろう。
欧州の憲法では皇帝や国王に統帥権があるのは当たり前の事であるが、軍を実際に統帥することの無い天皇の在り方を考えれば、統帥権が天皇にあると言うのは、確かに我が国の実態にそぐわぬな…。
にも関わらず、軍の総帥権が現実に我が国の政治を動かす政府に無く天皇大権となっている憲法の現状では、理屈では軍は軍当局の直接管轄となり、自ら好き放題出来る状況とも言える…。
もし軍が、政府による軍への管理指導を、天皇大権を犯す統帥権干犯である、と騒げば誰もものを言えないだろう。
これこそ天皇陛下の最も望まれぬ状況であるが、統帥権が悪用され、万が一にもこの様な事態が起きてしまった時の陛下のご心痛はいかばかりか…。
これは確実に改めねばならん。
また既にその兆候があるが、陸軍と海軍がそれぞれが独立した軍として存在している事で発生する縦割り組織の無駄や両軍による予算の取り合い争いや主導権争いなどが見受けられる。これ迄は藩閥や元勲による横のつながりもあり、膝突き合わせて腹を割って話し合って陸海軍の揉め事を収めていた、という所があった。
だが藩閥が薄れ元勲が老いて、そういった横のつながりも次第に無くなっていく今後を考えれば、この独立した二つの軍が自分たちの利益ばかりを考えて互いにいがみ合う可能性が大いに出てくる。敵と戦う前に、先ず陸軍と海軍が争うのだ。
そんな有様では勝てる戦も勝てぬだろう。
また、現役の軍人がそのまま首相と同格の陸軍大臣と海軍大臣になる、というのも言われてみれば良くない。
政略主導の両略一致でなくては戦争は勝てぬ。
そういう意味で、乃木少佐の提言する陸軍と海軍を統合させて“統合軍”とする、と言うのは理に適っている。
この統合軍の長たる統合参謀本部長は、首相によって現役の軍の将官から任命される。
天皇より統帥権を委任された首相が統合軍最高司令官となり、首相によって任命される国務大臣たる軍務大臣によって補佐され、統合参謀部本部長も軍事顧問として補佐する。統合軍は最高司令官たる首相によって指揮監督されるのだ。
つまり、軍部が勝手に独立した意思を持って動くことなど不可能にするのだ。
乃木少佐の言う、憲法は必要に応じて改正されるべきであり、硬直化させるべきではない、との意見には同感だ。
時代の流れに合わせて憲法もまた変化していくべきだ。
他には、空軍の創設という提言もあったな。
既に欧州では模索されているそうだが、我が国でも航空機の本格導入前に空軍という専門の軍を創設して逸早く人材育成を行い、将来的に我が国独自の飛行機を作れるよう産業振興もすべきだろう。
その為にも、乃木少佐の提言通り若手の技術者や軍人を欧州に派遣し、飛行機製造技術や飛行技術を学ばせるべきだろうし、同時に特許法など欧州の法に精通した専門家も育成すべきだ。
この先、ライセンス生産など欧州の技術を導入する機会はますます増える。
乃木少佐の会社は表からはわからぬ様にしているが、実質的に日本政府が大スポンサーの半官企業ゆえ、我が国はあの会社への特許料やライセンスに関しては実質支払っていないも同然であるが、本来はしっかりと交渉し、きっちりと契約を結び、そして正しく費用を支払わねば信用されぬからな。
政治軍事以外には、将来に備えて都市部では共同溝を設置すべし、という提言があった。
今、我が国でも電気が普及しつつあり、電柱により高架された電線から各方面に電力を供給しているが、電柱設置はコストが安い反面、台風など災害に弱く、倒れた場合に漏電で火事を起こす場合もある。
人口の少ない土地や村落部はそれでもいいが、都市部は帝都ですら殆どが狭い道で、そこに沢山の電柱がたっており、そんな狭い道の人口密集地で大地震が起きれば、電柱の倒壊で消防や救護に難儀するのは目に見えていて、悪くすれば大規模火災にも繋がる。
共同溝を設置するという事は、つまり都市計画による新しい街作りを行うという事であり、米国など既に共同溝を活用している国に技師や役人を派遣してそれらを学ばせ、再開発という名目で特に人口が密集し入り組んでいる地域から街作りをやり直す必要がある、と言うのが彼の提言だ。
いずれにせよもし都市で大地震が起きれば、その都市は否応無しにそれを実現させられる準備が整ってしまうが、兎に角まずは人材育成からか。
だが、乃木少佐はしきりと大地震を気にかけており、それはまるで帝都で大震災が起きると言っているように聞こえたぞ…。
これらの乃木少佐の提言をもとに儂は建白書を書き上げると、山縣君を訪ねた。
この度の大事を実現するには是が非でも彼の協力が必要だからだ。
それに、乃木少佐は山縣君の対外政策に関するバランス感覚を高く評価しており、今後の日本の外交を考えるうえでもその知見が活かされるべきだとも述べていた。
間違っても、失意の内にこの世を去る様な事があってはならないともな…。
これまた何とも見て来たような話し振りだったが、山縣君に対する評価は儂と近い様に感じた。
山縣君は儂が記した建白書を読み、幾つかの懸念を示したが、二十年後を考えればこの建白書に書かれた危惧はあり得るという結論に達した様だ。
山縣君の意見も盛り込み、伊藤山縣の連名による建白書として今首相を務めている桂君にも見せて了解を得た上で、陛下に上奏した。
陛下は建白書をじっくり読まれ、幾つかのご下問と奉答の後、直ちにこの様にせよとご聖断を下された。
後に「大正の大改革」と呼ばれる憲法改正を含む一連の大改革は、陸海軍部の反発を呼び、同時に、この改革は神聖不可侵たる天皇大権を犯すものだ、と主張する過激派の抗議活動が発生した。
しかし、反対運動はかえって過激思想の持ち主の炙り出しに役立ったという、思わぬ副次作用を齎したのだった。
特に日清日露の二度の戦争での勝利を盾に、軍部の大幅な組織改革には若手の軍官僚が強硬に抵抗したが、結局彼らは今も軍への影響力が大である山縣君の手によって予備役への編入、或いは離島の守備隊長など簡単には戻れぬ閑職へと追いやられたのだった。
今回の大改革の発案者に興味を持った山縣君に乃木少佐を紹介し、少佐を交えて将来の軍を如何すべきか、という会合を持った。
と言うのも、統合軍という物の意義はわかるが、具体的にどう云うものかというのが我等二人には今一つ良く解っていなかったというのもあるのだ。
何しろ、聞いた限りでは水兵と陸兵を一緒くたにする様な物だからな。
乃木少佐が我々に語ったのは、来るべき未来での戦争の見通しであった。
先ず、軍事行動とは硬直した物ではなく、また任務によって部隊が必要とされる能力は大きく異なる。
例えば、朝鮮半島など大陸方面で戦争が起きた場合、日本から軍隊を運ぶのは輸送船であり、それを護るのは巡洋艦を旗艦とする駆逐艦などの護衛艦隊である。しかし、彼らを阻止しようとやってくる敵の艦隊を叩くのは、戦艦を主力とする対艦戦闘を主任務とした艦隊である。
そして実際に上陸作戦を行うには、先ず上陸地点の敵防御陣地の制圧破壊を行う戦艦や巡洋艦の艦砲射撃が必要であり、その為の索敵や着弾観測を行うのは空から敵地を偵察する偵察機である。
敵陣地を艦砲射撃により制圧した後、陸兵を上陸地点迄運ぶのは輸送艦から発進する上陸用舟艇だ。
先ず上陸して戦うのは、長期間の継続戦闘能力を持つ部隊ではなく、継続戦闘能力は短いが高火力を発揮できる装備で編成された上陸戦に長けた部隊が戦う。
上陸戦部隊が上陸地点を確保し、工兵隊が橋頭堡を築いた後は、守備に優れた部隊が橋頭堡を守備する。一方内陸へと進み戦果を広げるのは、継続戦闘能力に優れバランスの取れた装備を持った陸戦専門の部隊だ。
しかし、内陸部で敵の強固な防御陣地に阻まれ戦線が膠着状態になった場合、敵の後方へ上陸作戦を再度敢行するなどして、敵の防御陣地を背後から攻撃したり、或いは手薄になっている敵の重要作戦目標を直接叩くという作戦も取ることが出来る。
これが可能なのが統合軍であり、陸軍と海軍が独立した別組織で更にいがみ合っている状態であれば、それぞれが勝手に手柄の取り合いをして足を引っ張りあう可能性があり、互いに協力しない可能性すらある。
挙句、海軍は海軍で陸軍並みの装備の陸戦隊を組織して独自に陸上迄作戦行動域を広げたり、陸軍は陸軍で海軍が協力してくれないため、陸軍で独自の輸送艦や砲艦や駆逐艦を建造して海軍の真似事をする、などという笑えない事態にもなりかねない。
この先兵器の性能が上がり、戦争が高度で複雑になればなるほど、迅速な軍事行動が出来る統合軍が必要になってくるのは確実で、今の様な旧態依然として並立し硬直した陸海軍の軍事組織のままではこの先危うい。
中には権限もないのに、独断専行で勝手に戦争を始めるような輩すら現れかねない。
故に統合軍が必要であり、兵士は最終的な配属先が陸上部隊であっても海上部隊であっても、様々な部隊がそれぞれ何が出来るのかを知っておくべきであり、また統合軍で参謀を務める者は、様々な部隊でキャリアを積んだ者の方が望ましい。
つまり軍への入口は一つだけで“統合軍兵士”として採用され、最初は陸上部隊兵士として教練を受け、後に本人の希望や適性を考慮して陸上部隊、海上部隊、航空部隊にそれぞれ配属し、さらに高度なカリキュラムに進む。
そうする事で、より適性に応じた配属が出来、幅広い知識を持った兵士が育成される。
そしてその過程で、兵士達はこれまでは無かった“横の繋がり”を持つ事が出来るのだ。
彼の語る軍隊、或いは軍事行動とは、正に未来の戦争のあり方であり、恐らく欧州で近い将来起こるであろう多くの国家を巻き込んだ大規模な戦争にはこういう考え方が必要なのだろう。蒙が啓かれるとはこの事だ。
この様に、既存の陸軍や海軍の枠組みを壊した全く新しい軍隊である「統合軍」について、儂と山縣君は乃木少佐から詳しい説明を受けたのだった。
そして乃木少佐が帰った後も、儂と山縣君は夜遅くまで話し合ったのだった。
後日、新設する空軍と航空部隊の立ち上げ将校として、陸軍から永田、海軍から高野という乃木少佐が推薦する若手将校を空軍に転属させて直ちにフランスに派遣し、最新の航空技術を学ばせることにした。
大正元年、日本は大きく変化の道を進み始めました。