第十五話 1912.9-1912.9 帰国
史実での乃木希典自決直前に何とか帰国しました。
1912年9月5日、予定通り英国から日本へと帰国した。
俺の有力な後ろ盾である親父殿は俺の記憶が正しければ今月の13日、明治天皇の大喪の礼が行われたその日の夜、お袋と共に自刃した筈だ。
前世では、二人の間の子供である俺と兄が共に日露戦争で戦死したのも殉死の原因の一つではないかとも言われているが、俺が生き残った事で史実が変わる保障などない。
正直、親父殿やお袋に未だに自分の親だという感覚が持てないが、俺の渡英や海外での活動に対して有形無形の支援をしてきてくれたのも事実であり、また俺がやりたい事を俺が海外に居ながら日本の軍内部で押し通せたのも、親父殿の影響力が大きいのだ。
勿論、伊藤公ら元勲の力添えも少なくない。だが、今後も俺がやりたい事を実現する為にも、親父殿には長生きして頂かねばならない。
なにしろまだ62歳なのだ、俺の前世の感覚ならまだまだ若い。せめて後二十年は生きて貰わないとな。
俺が帰国する事は、事前に電報で知らせてある。
それもあってか、普段は月に一、二度しか居ないらしいが、自宅に戻ると両親が家に居た。
帰国の報告をすると、お袋が夕食の準備をはじめ、その間親父殿と話をする事にした。
「欧州で、近いうちに欧州全体を巻き込むような大きな戦争が起きる可能性が高いと思います」
俺の唐突な発言に親父殿がやや驚きの表情を見せる。
「…そうか」
「欧州では、ドイツ帝国がオーストリアハンガリー帝国と、それに対してフランスとロシア帝国、そしてイギリスがそれぞれ同盟関係を結んでいます。
その何処かの国が戦争を始めれば、それぞれの同盟国が参戦して大規模な戦争に発展する可能性が高いでしょう」
親父殿は黙って頷く。
「我が国はその中のイギリスと同盟関係を結んでおり、イギリスが欧州での戦争に参戦すればいかな遠隔地とはいえ、当然我が国に同盟国の責務を果たすよう要望がある筈」
親父殿は顎髭をいじりながら暫し考えると問いかける。
「なる程のう。
日露戦争では英国に随分援けられた故、日本も無関係では居られんだろう」
「ドイツは太平洋側にも植民地を持っており、青島基地には東洋艦隊も居て、ドイツがイギリスと戦争になった場合、イギリス本国と植民地との間で通商破壊戦を行う可能性が高く、まず要請されるのは青島攻略と東洋艦隊の制圧でしょう」
「そんなところであろうな」
「それだけではなく、欧州での戦争への派兵も求められるでしょう」
親父殿はまさかと言うような表情になる。
「地球の裏側へか?」
「日本人の感覚では欧州は遥か遠い国々ですが、中世の頃から極東まで船で往来してアジア・アフリカ各地に植民地を持ち、米大陸まで植民地化した欧州人にとっては当たり前の感覚です。
イギリスやフランスなどアジア・アフリカに植民地を持つ国は欧州で戦争が起きれば、植民地軍を増員して欧州の戦争へと送り込むでしょう。
勿論、日露戦争で実力が認められている我が国も、欧州への派兵を求められます」
「ふーむ…」
親父殿は思案顔になる。
「我が国が今後も欧米列強に伍する国としての立場を得るには、また英国と真の同盟関係を結ぶためには青島攻略と東洋艦隊の制圧だけでは弱いと思います。
イギリスの要請通り欧州の戦争へ、我が皇国軍を派遣すべきです。
そして、その欧州派遣軍の司令官が務まるのは親父殿、貴方しかいない」
親父殿が、これまで見せたことの無い程の狼狽ぶりを俺に見せる。
「な、何故儂なのだ」
「親父殿は、日露戦争を日本の勝利に導いた司令官であり、機関銃や重砲を大量に装備した難攻不落の近代要塞である旅順要塞を見事な手並みで攻略した。
欧州での親父殿の評価は極めて高く、親父殿以外が欧州派遣軍の司令官では確実に欧州列強の将軍達に舐められ、我が皇国軍は欧州で不本意な戦いしか出来ない可能性があります」
「むぅ…。
しかし、儂は未だに旅順戦の遺族から、家に石を投げこまれている有様なのだぞ。
日露戦争以降、殆ど家に居らぬお前は知らぬだろうが…。
欧州で儂の評価が高いだなどと、本当なのか?」
「確かに旅順要塞攻略戦では多くが戦死しました。
しかし、欧米ではだれも落とせないだろうと思っていた旅順要塞を、親父殿が陥落させたのは事実なのです。
現実に旅順戦を観戦した観戦将校らは、帰国後親父殿のとった戦術を故国で報告し、有能な将軍と高い評価をしていますよ。
故に、欧州派遣軍の司令官は親父殿でなければ務まりません」
とうとう腕を組んでしまい悩み出します。
「オーストリアハンガリー帝国は1908年にボスニアを併合しましたが、元々同地を実効統治していたセルビア王国との関係が悪化し、一触即発の状態が続いています。
もしオーストリアハンガリー帝国とセルビア王国が戦争状態になれば、連鎖的にドイツ、ロシア、フランス、イギリスが戦争状態に陥り欧州を広く巻き込む大戦争に発展するでしょう。
現在セルビア王国には大セルビア主義を信奉するテロ組織が暗躍しており、ボスニアで頻繁にテロ活動を行い社会に混乱を巻き起こしています。
こんな状態が続けば一、二年もしないうちに、オーストリアハンガリー帝国の我慢は限度を超えてしまうでしょう」
「なるほどのう…。
故に、戦争は近いのか」
「私は、親父殿に欧州で存分な戦いをしてもらう為に、新兵器の戦車や装甲車両と、それらを組み合わせた機甲部隊を考えたのです。
日露戦争を戦った親父殿だからこそ、これらを上手く使いこなせるでしょう。
明日には伊藤公に欧州事情を報告する約束をして居ります。
そこで欧州での戦争には、親父殿を司令官として派遣して貰う様に推して来るつもりです」
「そ、そんな事を。お前…」
「理由は先ほど話した通りです。それと、これを読んで下さい」
アタッシェケースから小冊子を取り出すと親父殿に手渡す。受け取った親父殿が、小冊子の表題を呟く。
「機甲戦…」
「先ほど言った、今開発を進めている新兵器の戦車や装甲車両の概要、扱い方、戦術などを記した教本です」
親父殿はぺらぺらとページをめくり、中に目を通す。
そして、ざっと目を通すとため息をつく。
「これが日露戦争の時に有ればのう…」
「ええ、大勢の戦死者を出すことなく旅順要塞を攻略出来たかもしれません。
しかし、その日露戦争の戦訓を元に考え出したのが、この戦車や装甲車両で組織された機甲部隊です。
機甲部隊があれば、次の戦争では確実にもっと良い戦いが出来るでしょう」
「うーむ…」
その後、直ぐに母親が夕食が出来たと呼びに来た。
久しぶりに家族団らんで日本の家庭料理を堪能した。
親父殿は「機甲戦」を、一先ずじっくり熟読すると言っていた。
これで、自決を忘れてくれると良いが…。
或いは、そもそもそんな気はなかったか…。
日露戦後の親父殿は意気消沈気味ではあったが、史実で言われて居る様に抜け殻の様になっていた訳では無い。
学習院長の職を意欲的に勤めていたように思う。
兎も角、明日は伊藤公と会って話をしなければ。
一先ず色々押し付けて考えさせない作戦です。