第十二話 1912.6-1912.7 冶金技術者
今回は冶金技術者の話。
1912年6月、アサルトライフルの生産に少々問題が生じた。
2000年代以降では当たり前に作られているロータリーボルト式のボルト部分及び薬室に用いる素材の強度に問題がある点が一つ。
更には、この部分の工作精度はデチャグレフやうちの工場の熟練工がうちの設備を使って作る分には問題無いが、今回日本から連れて来た若手技師の話では、現状の日本での設備や日本人工員の腕では作製は無理だろうとの事だ。
つまりは、試作品でテスト射撃程度なら問題が無いが、量産して本格使用は難しいという事だ。
そういう用途に使う合金というのは第一次世界大戦で発達するのだが、確かその為のアプローチは既に始まっている。
ハリー・ブレアリーという冶金学者がその問題に取り組むはずだ。そして、その後彼は特許の問題などで色々不遇に見舞われたりしている。
幸い俺は、彼や彼の後の技術者が長い試行錯誤の上にたどり着いた様々な合金の配合が、記憶として頭の中に入っている。
と言っても全てを知っているわけではなく、よく使われる一般的な配合に限られるが。
しかし、逆に言えば記憶に残っていないという事は俺の仕事では使わないという事だから問題ない。
とはいえ、俺は素材関係の専門家じゃない。ある程度の知識はあるがそれで仕事をしていた訳では無いからな。
そこで、ハリー・ブレアリーを引き抜くという訳だ。
彼は特許を認めて貰えずに今の仕事先に不満を抱いている。
俺は既に様々な特許でそれなりに収入を得ているが、特許で飯を食うためにここに居るわけじゃない。それなりの金を持っている俺は、この先彼が作るだろう素材が一刻も早く欲しい。
そこで、俺が知っている組成で金属を作ってくれと彼に依頼する。勿論、どんなものが欲しいのかという話はする。
俺はあくまで冶金学の優秀な専門家である彼を引き抜き、俺が開示する組成で俺が望むものを、彼が作れるのか実験してもらうという訳だ。
彼がいい仕事をすれば、俺が開示した組成で作った金属の特許を共同権利にしても良い。
後の研究者が見つけた配合もあるが、これから作ってもらう配合は彼が近い将来自分で見つけるものだからな。
早速俺は伝手を探すと、幸いホーンズビーに彼を知っている職人が居た。
その職人の話だと、ブレアリーは高学歴という訳ではなく、鉄鋼労働者の息子が親父の勤める会社で働きだして、会社の化学実験室の実験アシスタントを始めた所からキャリアが始まっている。
鉄鋼関係の化学分析を実験室で働きながら学び、夜学でも学んで30歳を過ぎてから経験豊富な専門家として認められだしたというキャリアを持つらしい。
この時代は学校に行くのも金が要るからな。
ブレアリーは四年前から今勤めているブラウンファース研究所に居るが、俺の知る限りでは来年か再来年辺りに所謂ステンレス鋼を電気炉で作り出したはずだ。
そこで出来た金属に興味を持ったのが食器屋の社長で、その結果世界最初のステンレス食器が作られる。元々当時は錆びるのが常識だったナイフやフォークなどの食器で使うための錆びない金属を作っていたから、食器屋の社長がステンレス鋼を見る機会を得たんだろうな。
しかし間も無く始まる第一次世界大戦で研究は中断され、ステンレス鋼の特許も取らぬまま推移した結果、特許権で揉めて今勤めている研究所を去ったはず。
そう言えば、ブレアリーが今いるブラウンファース研究所で彼の後を継いでステンレス鋼の研究を更に進めたのが、今シェフィールド大学に在籍して居るハットフィールドだった筈。
彼は来年学位を取得するはずだから、ついでにブレアリーの下でインターンさせて青田刈りしてしまおう。
ちなみに、彼は後にホイットルが作るジェットエンジンのファンに使う合金の開発者でもある。
俺が彼を知っているのはそっちの方からだったりする。
二人が住んでいるのはシェフィールドだから、彼を知っている職人にブレアリーと会う約束を取り付けて貰うと、列車でシェフィールドに向かった。
約束の日、待ち合わせの公園に行ってみると、かつて写真で見た事があるブレアリーその人が待っていた。
彼に自己紹介すると、なんと彼は俺の事を知っていた。
金属関係の仕事をしている関係でエンフィールド工廠とも付き合いがあるらしく、最近採用した機関銃を作った会社の社長という事で俺の名前が話に出たそうだ。
金属関係という事で、いずれ付き合いが出来るかもしれないという意味合いで俺を紹介されたらしい。という事は、俺がわざわざ動かなくてもいずれ向こうから来た可能性もあったという事か…。
しかし、折角会いに来てこのまま帰るのも馬鹿らしいので、予定していた話をしてみる。
今開発している銃を作るために高圧、高温、強い衝撃に耐え、腐蝕しにくく熱膨張率が小さくて更には耐磨耗性が高く焼き付き難い特性を持った金属が必要である、と言う話をした。
実のところ、現時点で彼が研究している金属がその全てを満たしている訳では無いが、その入り口には確実に立って居るのは間違いないし、その先には間違い無くそれがある。
彼は俺の話を聞くと、目を丸くして驚いた。
俺はあくまで俺が欲しい金属を作ってくれそうな技術者を紹介してほしいって事でブレアリーを紹介してもらったことにしているから、彼が今そんな感じの金属の研究をしている事は勿論知らない前提で話をしている。だからこその反応とも言える。
俺は用意した守秘義務契約書を彼に見せると、これにサインしてくれたら具体的にどういう仕事をしてほしいのかを話す、と言うと彼は好奇心に抗えなかったのか少し躊躇った後、守秘義務契約書にサインをした。
俺はそれを受け取ると、電気炉を使って俺が渡す組成で金属を作りテストをしてほしい、と仕事の内容を話した。
勿論この金属を応用してブレアリーが主体的に研究を更に進めてくれてもいい、とも話した。
そういうと、いくつかある組成のうちの一つだと、一つの組成表を見せた。
ブレアリーはそれを見ると目が点になり、俺の顔と組成表を何度も見て、その後眼鏡を外すと眉間に皺を寄せて目頭を押さえる。
そのまま暫し沈黙すると眼鏡をかけなおし、俺と向き直る。
「何処でこれを?」
「日本の冶金技術者が発見した合金の組成の一つだ」
嘘は言ってない、ただ発見は今よりずっと後の時代だけどな。
「何故、その技術者に仕事を頼まないのです?」
「頼めないからだ。
それに、私は今英国に在住していて、本国とやり取りしていては時間が掛かりすぎる。
私は出来るだけ早く、新しい金属を必要としている」
「いくつかある組成のうちの一つ、と言いましたが、他にもあるので?」
「幾つもある。
専門家を雇い入れたくなるくらいある」
ふーむとブレアリーはため息をつく。
「条件は?」
「うちは知っての通り銃器を主に作っている鉄工所だ。
しかし、うちのガンスミスが冶金も多少わかる関係で、冶金の色んな設備もある。
もしうちに来てくれるなら、あなたの望む環境を用意しよう。
更にうちの会社は特許を積極的に取っている会社なのだが、もしうちで成果を出してくれれば特許料を報酬とは別に支払ってもいい。
但し私が開示した組成から出来た金属であれば、私と折半になる。
だが、あなたが発見した組成であれば特許料の大半を渡そう。
出来た金属は、うちでの主な用途は銃器など武器関連だが、当然うちで作った武器は評価が良ければ英国軍でも使われる。
だから間違い無く国に貢献する事になるが、武器だけに用途を限定するつもりもない。
ナイフやフォークなどの民生用の食器類にも使えれば良いと考えているし、他社にもライセンスを出す予定だ。
報酬は、今あなたが貰ってる報酬と同じ額を出そう。
勿論、成果を出せば報酬は上げる」
真剣な顔をして聞き入っているブレアリーに向け、つらつらと条件を語ったが。
「わかりました。
ですが、ここで即答は出来ません。
勿論、守秘義務契約書を交わしたことは忘れていませんよ」
「良いでしょう。
では、返事を待っています。
連絡先は先ほど渡した名刺に書いてあります」
そういって、一先ずブレアリーと別れた。
これだけの条件を出して、否は無いと思うが。
ブレアリーと別れた後、シェフィールド大学を訪ねる。
勿論、ハットフィールドと会うためだ。
彼の方は、まず名刺を渡して自己紹介をした。
私は、英国陸軍で採用された銃器を作っている会社をやっている。銃器に使うための冶金分野の研究を手伝ってくれる人を探している。
キミが非常に優秀だと聞いたのだが、大学を卒業したら是非うちに来てくれないか。
そんな感じで誘ってみると、流石に陸軍で採用されている銃器を作っている会社からわざわざ社長が来てくれたという話だけで舞い上がる感じで、二つ返事で来てくれることになった。
とはいえ、今は論文を書くのに忙しいので夏季休業に一度来てくれるそうだ。
うちの会社には既にある程度の冶金設備は整っているし、デグチャレフの他にも冶金に知識がある職人も居るから、仕事にならないという事は無いだろう。
しかし、うちの会社も最初に買った古びた工場から随分と広くなったものだ。
元々、拡張性も考えてこの工場を買ったのもあるが。
とはいえ、工場をあんまり大きくする気も無い。
ここはあくまで先行量産位で留めておいて、何でも作れる工房というのが望ましい。
後日ブレアリーから、妻と相談した結果うちに来ることにした、と返事があり、直ぐに家族で引っ越して来た。
ブレアリーには専用の研究施設を与え、欲しがった設備を一通りそろえてやった。
デグチャレフとも元々鉄工所の出身という事もあり、話が合う様で何よりだ。
夏休みには約束通りハットフィールドがやって来たのでブレアリーに紹介し、君の職場だと彼の研究施設を見せると目を輝かせ、早速アシスタントとして夏休みの間働き、そして論文を書くための実験をいろいろして帰っていった。
これでアサルトライフルは何とかなるんじゃないだろうか。
一応、試作品という事でデグチャレフにティルトボルト式のアサルトライフルも作って貰った。完成品はFALモドキで、何だかRomatとかいうイスラエルの小銃に似た外観の銃に仕上がった。
構造は単純だが流石に5kgってどうなんだ…。
こちらの方は量産も射撃も今のところ問題無さそうではある。
ステンレス関係の特許をかなり食いそうな主人公でした。