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第十話 1911.9-1912.2 卒業

留学も終わり一時帰国です。





1911年9月、三年在籍したケンブリッジ大学を卒業し留学を終えた。

大使館にその旨報告し、一度帰国する事になった。


三年ほど帰っていないのもあるが、籍だけ置いている状況になっている陸軍大学もそろそろ卒業しないとな。


それに、来年には親父殿と母が明治天皇崩御で殉死する筈だ。俺がやりたい事をやるためにもこれを阻止する必要がある。


帰国準備をしながら、会社に不在中の指示を残していく。


デグチャレフには次の仕事としてアサルトライフルの製作を頼んだ。

使用する弾丸は6.5mmx50リムレス有坂弾こと三八式実包を使用し、お手本は勿論AK-47だ。

一般歩兵が広く装備する標準小銃にしたいので、高い生産性と信頼性、耐久性を持つ銃にしてほしいと頼んだ。


今回のアサルトライフルは銃身や銃床、マガジンを変える事で異なる用途に使える様にしたい。

例えば、車載する場合は折り畳み銃床が欲しいだろうし、単発射撃でマークスマンライフルとして使える様にもしたい。

場合によっては、50発、100発のドラムマガジンを使って分隊支援火器としても使える様にもしたい。


この話をデグチャレフにすると、実は本人もこういう新しい銃を構想していた様で、俺が持ち込まなければ、近々提案しようと考えていた様だ。



来年に予定している軽戦車での演習に使うため、汎用車両の先行量産品を何台か俺の工場に持ち込んだ。


これを改造して砲塔を付けて軽戦車を仕立てるわけだ。


俺はM113APCに付いていた様な12.7mm機銃を納めた一人用の小型砲塔を設計し、この砲塔の取り付けを頼んだ。



帰国準備を終えると、例によって船で帰国だ。

今回は汎用車両のサンプルを一台運んでおり、これを見せれば戦車が絵にかいた餅では無いことがわかるだろう。


汎用車両はBrenGunキャリアの様に、前面にエンフィールド軽機関銃Mk1を搭載する事も出来るし、座席を外して専用の器具を付ければ12.7mm機銃を搭載する事も出来る。


この時代の戦闘車両としてはそれなりの火力を持つと言えるだろう。


更には、不整地を30キロ以上の速度で走る事も出来るのだ。




日本への長旅の間、実際に制作する予定の戦車の設計図を作成して過ごした。

この手の車両の設計図を全て書くのは前世以来で、なかなか楽しい船旅となった。


そして二ヶ月後、久しぶりに皇国の土を踏んだ。


久しぶりに自宅に帰ると、管理はされて居る様だが誰も居らず、父母が住んでいる筈の学習院の寮へ向かった。


三年ぶりの父母はあまり変わりが無いように見えるが、この頃父は色々と悩んでいたという事が後世に伝わっている。


帰国の報告をすると、祝いの言葉を掛けてくれた。

正直、いまだ実の親という感覚が無いのだが、それでも祝ってもらうのは嬉しいものだ。


その日両親と一緒に久しぶりに自宅に戻り、家族で楽しく夕食を食べた。


聞けば月に数回母親が戻り自宅の掃除などをして維持しているそうだ。


来年の二月にはまた英国に戻る予定である事を伝えた。




とはいえ、自決を阻止するために八月下旬には再び舞い戻ってくる予定だ。

いずれにせよ、英国での演習の結果も報告する必要があるしな。


翌日、陸軍大学に留学の結果を報告し、陸軍大学も卒業となった。


それに伴い、階級は陸軍大尉に昇進し、陸軍第一師団第一連隊の中隊長として配属された。

ちなみに、この第一連隊は父の乃木希典が連隊長を務めたこともある連隊になる。


今回の中隊長就任は正式配属という訳では無く、正式な中隊長は別にいる。


この中隊を使って、英国でやった演習を再現せよ、という話だ。


既に軽機関銃などは日本に送っていたし、日露戦争でも機関銃と戦っている筈で、まだなんの演習もしていないというのはおかしく思い上層部に質問してみると、やはり既に演習は行っているらしい。


しかし、それはあくまで届いた軽機関銃や短機関銃を活用して戦術を研究し試しに演習してみただけで、俺が英国でやったという演習の報告は聞いて居るが、実際に見て参考にしたい。

それが主旨との事だ。


そこで英国でやった演習内容を説明し、小隊をそれぞれ白組と赤組に分けて守備側、攻撃側を担当。


それぞれ、何日かの訓練期間を設けて、軍の上層部も見学する演習と相成った。


陸軍は以前図面など資料を送った擲弾筒を既に開発しており、擲弾筒で使用出来る発煙弾も作られていた。


演習日当日、防御側は重機関銃を備え付けた陣地を構築、塹壕を近くまで掘り進んだ状態から演習開始となった。


擲弾筒で発煙弾を打ち込み重機関銃陣地や敵の塹壕の視線を塞ぐと、軽機関銃を装備した火力支援班が敵の重機関銃陣地を制圧射撃。


短機関銃を装備した突撃部隊が敵陣地に手榴弾を放り込んだ後、煙に紛れて突入。

敵塹壕内に突入すると短機関銃で制圧。敵の陣地に入り込んでしまえば銃剣と短機関銃では勝負は決まったも同然で、最後は英国の時と同じく守備側の指揮所を制圧した。


後で話を聞くと、日本で独自に行った日露戦争を元にした演習は、丘陵地に作られた陣地を攻略するという本格的な物で、随伴する軽機関銃で敵の機銃陣地を制圧しつつ、迫撃砲や擲弾筒で敵の陣地を潰していき、最後に短機関銃を装備した歩兵が突撃して制圧するというものであったそうだ。


これらの銃器や新戦術があれば、先の日露戦争も違った戦いになっただろうという評価だったとの事。



その後、汎用車両を上層部にお披露目し、実際の機動力と火力を見せ付けた。


不整地を軽快に駆け抜け、搭載した12.7mm機銃がブロックを木っ端みじんにするのを見せると、その機動力と火力に満足したのか、皇国軍でも採用することになった。


しかし、汎用車両はすぐにでも欲しいが今の皇国軍ではこの手の車両を活用するには体制を整えるところから始めないと駄目だとの事だ。つまり整備部隊や整備工場など、大本の人材育成や基礎設備の構築から始める必要があると言う事だ。


その後いくつか演習などをこなし、中隊長としての予定を終えると就任一月程でお役御免。


本来の任地である陸軍の技研本部に配属された。


更に、これ迄開発した銃器開発の功績を評価され、年が明けると少佐に昇進した。


技研では持ち込んだ汎用車両についての資料を作成し、評価の立ち合いなども行った。

本来の使い方の一つである重砲の牽引など様々な任務での使い勝手を評価され、陸軍での評価も良好であった。


陸軍上層部ではそれらを踏まえ、やはり今から体制を整えつつ、将来的にはこの手の車両を陸軍全体に配備しよう、と言う事になった。


二月に予定通り英国へと戻る事になったが、その際技研本部から若手の技官を数名出向の形で同行させる事になった。

他にも、うちの工場で生産技術などを学ぶとの事で、陸軍工廠からも工員が来ることになった。


帰国の時は一人だったが、英国に戻る時は総勢十名を超える人数となったのだ。


イギリスに戻れば、頼んでいた仕事が終わっているだろうし、装甲車両を使った演習も控えている。

忙しくなるな。


俺の新たな身分は日本陸軍技術本部所属の少佐で、駐英日本大使館の武官補となる。












階級が一気に佐官になりました。

英軍でも既に知られた存在になって来た主人公です。

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