血溜まりに浮かぶ春
愛はとっても素敵ですが、時に残酷なものにもなると思います。
愛する者を切り捨てられたならどれだけ気持ちが楽でしょう。ですが、大切な人を失う自分を想像しては、恐ろしさのあまり行動できずに足が竦む。その繰り返しです。
大きな代償の上に成り立つ平和の中で、胸を痛めながらもただ時間が過ぎるばかり。
この作品のリリアも、きっとそうなのでしょう。
小鳥のさえずる、朗らかな春の中庭。そよ風に揺られるだけでうとうとしてしまうような、穏かな陽気の昼下がり。
やわらかく射し込む木漏れ日の下で、一人の女の子が鼻歌交じりに花を結う。
「はい、ルー。お花のヘッドドレスよ」
その子、リリちゃんはお日様よりも眩しい笑顔を浮かべる。
「わぁ、とってもすてき」
「じっとしてて。つけてあげるから」
「えへへ、ありがとぉ」
姿勢を前に倒して頭を下げれば、リリちゃんの細い指が髪にやさしく触れる。頭を撫でられる感覚がくすぐったくて、ついつい身じろぎしてしまう。
「もぉ、じっとしててってば……はい、できた。どうかな」
リリちゃんは手鏡を取り出してわたしに向ける。その中には、きれいに髪を結わえたわたしが映っていた。リリちゃんの唇みたいな仄かな赤、リリちゃんの瞳みたいな深い青、リリちゃんの滑らかな肌みたいな白。鮮やかに彩られたわたしが、鏡の中ではにかんでいた。
「……きれい。わたしじゃないみたい」
「うふふ、うれしい」
そう言って、リリちゃんも口元を隠して笑っていた。
***
リリアはこの国の王女様だった。王様の一人娘で、将来は王位を引き継ぐんだって。一方わたしは王様に仕える家臣の娘。わたしたちの身分の差は大きかった。
でも、周りの大人たちは優しかった。いつも一人ぼっちだったリリアと、いつも一人ぼっちだったわたし。そんな二人が仲良くするのを許してくれた。身分も違うし、年もリリアの方が一つ上だったけど、わたしたちはお互いに掛け替えのない友達になっていた。いや、友達と言うより姉妹かな。リリアは本当のお姉さんみたいに、どんくさいわたしの面倒を見てくれた。
リリアは王女様だから、沢山勉強することがあった。毎日家庭教師の先生が来て、夜遅くまで勉強して、ピアノやダンスも習って。そんな毎日だけど、時間が空いたらこうして二人で会って、他愛もない話に花を咲かせるの。
リリアはいつも笑顔が素敵だった。勉強で大変なはずなのに、わたしの前では辛そうな顔を隠してた。
そう、わたしには分かってた。いつからか、リリアがわたしに無理して笑いかけてたことを。
「リリちゃん、顔が暗いよ? 何か辛いことあった?」
ふとリリアの笑顔に陰が差したとき、その顔が頭から離れなくて、リリアにそう訊いてみた。初めはなんでもないってはぐらかしてばかりだったけど、あの日だけは話してくれた。
「うん、ちょっと。最近、パパたちの気が立ってて。権力争いっていうのかな。ちょっと問題があるみたいなの」
打ち明けてくれたリリアは、とても疲れた顔でため息をついた。
胸がチクチクと痛んだ。
いつだって気丈に振る舞っていたリリアが弱音を吐いている。気付けば、わたしは握った拳をわなわなとさせていた。
リリアはわたしにとってたった一人の友達。いつだって一緒にいてくれた大切な人。なのに、リリアにこんな顔をさせた人が許せなかった。大切な人を傷つけた人が許せなかった。
だから、わたしが守らなきゃって思った。これまで支えてもらった以上に、今度はわたしがリリアを支えなきゃって思った。
リリアの手を取って顔を寄せる。鼻先が触れ合うくらいに。
「ル、ルーシェ?」
目をぱちくりとさせるリリアに、高らかに宣言した。
「リリちゃんが辛い思いをしてるなら、わたしがリリちゃんを守るよ。わたし、リリちゃんを守る騎士になる!」
***
***
ここは、炎の海に呑まれた地獄だ。
鼻につく煙の臭いと剣同士がぶつかり合う金属音。体を焼かれ、裂かれ、苦痛に声を上げる者。愛する者を失い、慟哭する者。
夜、厚い雲に覆われた空の下は、まさに地獄だった。
「リリア様! こちらです! 早く!」
リリアの手を引き、地獄を掻き分けて進む。背後ではわたしたちを逃がすために仲間が命を散らしている。それでも、わたしは振り返らない。
「待って、ルーシェ! みんなを見捨てて逃げるなんてできない!」
それなのに、リリアは優しかった。小さい手を震わせながら、それでも必死に足を踏ん張ろうとする。
「助けなきゃ! 私だけ逃げるなんて――」
「リリア様! ご自分のお立場を忘れてはいけません!」
叫ぶ。リリアが怯えた目でわたしを見上げる。
胸が痛む。ピアノ線で締め上げられるように。
「リリア様、国王亡き今、この国を導くのはあなたです。あなた無くして、この国の未来はない。お辛いでしょうが、今は耐えるときです」
「でも――」
その瞬間、リリアの背後から火の矢が迫り来るのが見えた。反射的にリリアを背後へ押しやり、彼女を庇う。
「ぐッ!」
「ルーシェ!」
運の悪いことに、矢は左肩の鎧の隙間に突き刺さり、肉を焼いた。顔を歪めながら、それを引き抜く。
リリアの狼狽した顔。自分の体だって酷いのに、こんな時でも人の心配ばかりする。お召しのドレスはお気に入りのものなのに、今では火に炙られ木片に裂かれ無残な状態だ。リリア自身も、きれいな顔を煤だらけにしている。それなのに、リリアは自らドレスの裾を割いてわたしの手当てをしようとする。
「ルー、ごめんなさい。早く手当てしなくちゃ」
「いけません、リリア様。早く逃げないと」
「でも、傷が――」
「わたしは大丈夫です! それより、一刻も早く逃げることだけを考えてください。もしあなたが、この国を第一に考えるならば」
リリアの返答を待つことなく、彼女の手を引いて再び走り出す。
「いたぞぉ! 殺せぇ!」
途中、国を抜けるまでもう少しのところで賊に見つかってしまった。
相手は男四人。全員が剣を構え、一目散に向かってくる。
「リリア様、下がっていてください!」
リリアを背後に、わたしは剣を抜く。炎の中で、賊の目がギラギラと光っている。
「はぁ!!」
こいつらに構っていられる時間はない。相手が人間だろうと躊躇うものか。こいつらはリリア様の敵だ。容赦なく切り伏せる。
「がはっ!」
「あ”あ”あ”ぁッ!」
苦悶の表情を浮かべ崩れていく男たち。
所詮は賊。騎士の相手ではない。少し切り傷を負ったが、こんなもの大したことはない。
「さあ、いきましょう。もう少しの辛抱です」
リリアのもとへ戻り、再び走り出す。
国を抜けた先は森が広がっている。その奥、人目に付かないある場所で仲間が待っているはずだ。そこまでリリアを安全に送り届けなければ。
心が逸る。しかし、それがまずかったのかもしれない。
「きゃあッ!」
「リリア様!」
リリアと手が離れ、振り返れば足を押さえてうずくまっていた。
「足、挫いたみたい。でも、大丈夫。歩けるから」
リリアは無理に立ち上がろうとし、再び崩れ落ちる。
「いけません、無理をしては。わたしが仲間のところまで運びます。さあ、掴まって」
「だめよ。これ以上ルーシェに迷惑は掛けられない」
「いいから早く!」
リリアを負ぶれば敵に背を向けることになって危険だ。肩が痛むのを堪えながら、リリアを抱え上げて必死に走る。
背後を振り返れば、遠くに松明の火が揺れている。敵が追ってきているんだ。すぐ近くまで。
「大丈夫です。大丈夫です。リリア様はわたしが守りますから」
ふいに出た言葉は、まるで自分へ宛てたもののように思えた。リリアは必死にわたしの首に腕を回し、何かを耐えるようにきつく目を閉じていた。
森に入る。木の根に何度も躓きそうになりながらも懸命に走る。やがて、前方に小さな松明の明かりが見えた。ツルのカーテンから顔を出し、何度も手招きをしている影が一つ。仲間のクレアだ。
「こっちです、早く」
わたしたちはカーテンの向こうへ身を隠し、大きく息をついた。
「クレア、ここは安全?」
「えぇ、まだ見つかってないわ。そっちは……残ったのはあなただけね。でも、王女様が無事でよかった。さあ、早く行きましょう。やつらに見つかる前に」
「待って」
クレアを呼び止める。振り返る彼女を背に、カーテンの隙間から来た道を振り返る。賊の声が響き、松明の列がこっちへ向かっている。
振り返り、クレアに告げる。
「このままじゃ、いつやつらに見つかるか分からない。わたしが囮になるから、あなたはリリア様を連れて逃げて」
「ルーシェ! 何を言ってるの!」
リリアは離さないと言いたげに腕に力を込める。それを強引に引き剥がし、クレアへリリアの身を預ける。
彼女は一つ、大きく頷いた。
「……分かった。王女様の安全はわたしが保証する。気をつけて」
「ありがとう」
「だめよ! ルーシェ! あなたまで死んじゃイヤ!」
「リリア様、わたしは大丈夫です。これまでだってそうだったでしょう?」
「で、でも――」
「安心してください。きっと、きっと戻りますから」
決意を固め、クレアに頷きかける。彼女から松明を受け取り、わたしはカーテンの外へ。その背中にリリアが呼びかけてくる。
「ルーシェ! 絶対、絶対に助けに行くから! だから、死なないで!」
その言葉に返事を返すことなく、わたしは森の闇へと消える。
今見えるだけでも数え切れないほどの松明が森の中を彷徨っている。となれば、真っ向から向かっても賊には勝てないだろう。でも、それでいいんだ。わたしは囮。リリアが逃げる時間を稼げさえできれば。
だから、今更物怖じすることはない。わざと目に付くように松明の火を揺らす。
「あそこだァ!! ひっ捕らえろ!」
一斉に賊がこちらへ向かってくるのを確認し、わたしは走り出す。できるだけ速く、できるだけ遠くへ。リリアを安全に逃がせるように。
泥やツタに何度も足を取られながらもひたすら突き進む。背後を振り返れば松明の列がぞろぞろと後ろを付いてくる。
囮としての役目は十分果たしたか。ほっと胸を撫で下ろした、その時だった。
「むぐッ!?」
首が締め付けられ、足が宙に浮いた。唐突の出来事に自分の状況をすぐには理解できなかった。苦しみから逃れようと必死にもがく。首を掴んでいるのは大木のように太い腕。その先には、鋭い目つきの賊がニタニタと笑っていた。
後ろを気にするあまり、前に注意を向けていなかった。まさか回り込まれていたなんて。
「お前、王女さんと一緒にいたやつだな。この野郎、手こずらせやがって。お前らァ! 捕まえたぞォ!」
男の叫びに呼応するように背後から声が響いてくる。
意識が遠のき始める。朦朧とする中、なんとか逃れようと腰の剣へ腕を伸ばす。けれど、大男に掴まれている今、それは無駄な抵抗だった。掴んだ剣は男にいとも容易く奪い取られてしまう。
「おっと、そんな物騒なもんで何をしようってんだ? こりゃお仕置きが必要だなぁ」
首を鷲掴みにされたまま、男はわたしを木の幹へと叩きつけた。一瞬、視界に火花が散った。
「がはッ!」
「おいおい、王女さんを守る騎士様がこのザマか? 所詮は女だなぁ。張り合いがないってもんだ」
「う、るさい……黙れ」
「おう、その目だけはいっちょ前だな。だが、これでも同じことが言えるか!」
「うぐっ!」
大木に叩きつけられる。何度も、何度も、何度も。
やがて唐突に首を離され、その場に倒れ込む。逃げないといけないのに、まったく体に力が入らない。そんなわたしの背中を踏みつけ、男は蔑むように言う。
「この程度か。なんとも味気ないねぇ」
屈辱。でも、わたしにはそれを晴らす力はない。
だが、どんなに蔑まれようとも、わたしの役目は果たした。リリア様はきっと無事に逃げられたはずだから。
次第に意識が遠のく。遠くに足音が聞こえてくる。
「おぉ、捕まえたか。って、ただの騎士じゃねぇか。王女さんはどうしたよ」
「さぁ? 途中でどっかに逃がしたんだろうさ」
「んだよ。それじゃ意味ねぇだろ! こんな薄汚ねぇ女一人捕まえてどうすんだよ!」
「まあまあそう息巻くなって。こいつは王女の逃げ場所を知ってる。後でゆっくり訊けばいいさ。なぁ、騎士様よぉ」
***
しんとした冷たさに肌が震える。
ピリピリとした痛みが体を走る。
歪む視界の中、手足を動かそうとするも何かに縛られて自由が利かない。無理にもがけば、そのたびにジャラジャラと金属音が鳴るばかり。
何が起きているのか。はっきりとしない頭でも理解できるほど、それは明白だった。
わたしは、賊の捕虜となったのだ。
「ようやくお目覚めか」
声のする方へ目を遣れば、大男が立っていた。男は嫌な目つきでわたしを見下ろしている。どうやらわたしは、牢の床に縛り付けられているようだった。
「この下衆野郎! これを外しなさい!」
手足に繋がれた枷はびくともしない。男はニタニタと笑う。
「ははは、元気がいいねぇ。うん、元気があるってのはいいことだ。これからお前さんには、いろいろと教えてもらわないといけないからなぁ」
次の瞬間、男は壁のレバーを下ろした。すると、歯車の回転する音と共に枷に繋がれた腕が天井へ吊り上げられた。わたしは無防備なまま、強制的に立たされた形となった。
男は腰に下げた鉄の棒を抜き、手のひらをそれで叩きながら周りを歩き始める。
「率直に訊こう。王女はどこだ」
「あんたに教えることなんて何もない!」
その瞬間、脇腹に激痛が走った。男が容赦無く棒を振り下ろしたのだ。
痛みに顔を歪めるも、なんとか声を抑える。男は少し不機嫌そうに再び周りを歩き始める。
「質問に答えろ。王女をどこに逃がした」
「い、言っただろう。教えることは、ない……うぐッ!」
再び振り下ろされる。今度は右肩。
これまでに感じたことのない激痛。けれど、屈するわけにはいかない。リリアはわたしが守ると決めたから。
「質問に答えれば貴様を開放すると約束しよう。だが、答えない場合はどうなるか。賢明な騎士様ならどうするべきか、わかるだろう?」
「戯けが! その汚い口を閉じろ! わたしはリリア様を守る近衛騎士団長として、騎士の誇りを穢することは許さない!」
「許さない、ねぇ。そのザマでよく言えたもんだなァ!」
男は叫び、腕を振るう。腿へ、背中へ、腹へ。
「オラオラ! 許しを請うなら今だぞ? 言ってみろよ! 済みませんでしたって! 大人しく王女の居場所を教えますってよぉ!」
「……ッ!!」
耐えろ、耐えるんだ。リリアを守るって決めたんだ。例えこの命を散らすことになろうとも、わたしはこいつには屈しない。だから、絶対に口を割るものか。
唇をいっぱいに噛み締め、ひたすら痛みに耐える。
それから一体どれ程拷問を受けていただろう。体のあちこちに痣ができ、腕も脚も、もがくたびに激痛が走る。きっと、骨が折れているんだ。
「ちっ、中々強情な嬢ちゃんじゃねぇか。嫌いじゃねぇぜ」
男は棒をほかり、牢の入り口へ。わたしに背を向けたまま、檻の向こうへ何やら合図を送っている。隙だらけの後姿。しかし、今のわたしにはなす術はない。立っているだけで精一杯だった。
「まあ、嬢ちゃんが口を割るまでいくらでも俺は付き合ってやるぜ。なんせ、ここにはたっくさんおもちゃがあるからなぁ」
鍵が開かれ、軋ませながら檻が開かれる。そこから現れたのは十何人もの男達と、一台の金属製のワゴン。その上には、おぞましい器具が乱雑に盛られていた。
男はニタニタ笑いながら振り返る。
「へっへっへ、時間はたっぷりあるんだ。ゆっくり聞き出せばいい。とりあえず、まだ綺麗なうちにこいつらと遊んでもらおうか」
下卑た笑いを浮かべながら、男達がじりじりとにじり寄ってくる。
わたしは奥歯を噛み締め、瞳を閉じた。
***
どれほど時間が経っただろう。
寒い、寒い。
石床にうつ伏せになるまま体を震わせる。でも、体は全く温かくならない。剥ぎ取られた服を取ろうと腕を伸ばすも、全く手が届かない。こんなに近くにあるのに。
霞む視界が、真っ赤に染まる。
「ちっ、だめだ。こいつ、全然口を割りゃしない」
「それどころか、もうしゃべることもできないんじゃないか? ちとやり過ぎたか」
「もういい。こいつは適当な所に捨てておけ。王女は自力で探すしかねぇ」
男たちはぶつくさ言いながら、血に塗れた包丁や鋸をほかる。きんと響く金属音が何度も反響する。
わたしは、守ったんだ。大切なリリアを。
痛みが引いていく。呼吸は深く、さっきまでが嘘のように穏やかだ。
わたし、死ぬんだ。その事実は、当然のことのように受け入れることができた。
リリアの為に死ぬ。それなら怖いことはない。後悔もない。むしろ本望だ。ただ、一つだけ欲を言えるなら、最期だけはリリアと一緒にいたかった。
でもそれは、ちょっと欲張り過ぎかな。
次第に瞼が重くなる
「た、大変だ! ヤツらが攻めてきた! 奇襲だ!」
「何!? 向こうから攻めてきただと!? お前ら武器を取れ! 返り討ちにしてやる!」
ようやく眠気を感じていたのに、男たちが何やら騒がしい。瞬きをして目を凝らすと、男たちが断末魔の叫びを上げながら倒れてく。
「なんだこいつら。この、やめろ! ぐあッ! がはァ!」
「賊は一人残らず制圧しなさい! 無抵抗の者は捕虜に! 抵抗する者は容赦なく斬りなさい!」
その中で、一際耳に付く声がする。女の子の声。わたしの大好きな人の声によく似ている。
やがて、一つの影がわたしのもとへ駆け寄ってくる。
「ッ!? ルーシェ! ルーシェ、しっかりして! ひ、酷い。こんなこと……誰か! この子に応急手当を! あと、アジトに帰ったらすぐに手術ができるように伝えて!」
その子はリリアにとっても似ていた。でも、ここにいるはずがない。だって、リリアは逃げた、わたしが逃がしたもの。安全な所まで。それなのに、こんな敵地の真ん中に戻ってくるはずがない。
わたし、夢を見ているんだ。わたしはこれで死ぬから、きっと神様が最後に夢を見せてくれているんだ。
夢の中のリリアが頬に手を添える。
「リリ、ア……」
「そうよ、わたしよ。助けに来たの。さぁ、一緒に帰りましょう。だから、しっかり」
きっと、リリアは迎えに来てくれたんだ。わたしはここで死んで、天国へ行くんだ。
自然と、口端に笑みが浮かぶ。
どうしてだろう。また急に眠たくなっちゃった。最後の願いも叶ったからかな。
「ルー? ルーシェ!? だめよ! 目を瞑っちゃ! イヤ! 死なないで!」
こうしてリリアに最期を看取ってもらえるなんて。
わたしは、幸せ者だよ。
***
***
滑らかなシーツの感触。穏かな小鳥のさえずり。窓からそよぐ風の温もり。そして、やさしく射し込む白い木漏れ日。
大きなあくびと共に、わたしは目を覚ます。体を起こし、半目のまま辺りをぐるりと見回す。風に膨らむ白いカーテン、広い床に敷かれた鮮やかな絨毯、ベッドの隣の空いた椅子。
わたしは、一人だった。
いつもは隣にいてくれるのに。
「リリちゃん……?」
名前を呼びながらベッドを抜け出す。足をついて立とうとするけれど、どうしてだろう、上手に立てない。バランスを崩して、そのまま毛足の長い絨毯の上に倒れてしまう。
「リリちゃん?」
大切な人を探して、絨毯の上を這う。でも、なかなか前に進めない。これじゃ、カタツムリより遅いかもしれない。前までは立つのも歩くのも得意だったのに。お庭の茂みの下を這って進むのだってよくしてたのに。
いつの間に、こんなに下手になっちゃったんだろう。これじゃあ、リリちゃんを探しに行けない。
涙が出そうになるのを必死に堪える。すると、丁度部屋のドアが開かれた。陰からひょっこり現れたのは、わたしの探してたリリちゃんだった。
「リリちゃん」
「ルー!?」
リリちゃんは目を見開いてこっちに駆け寄ってくる。
「ルー、だめじゃない。勝手にベッドから抜け出しちゃ。転んでケガとかしてない?」
「大丈夫だよ? それより、よかった。起きたとき、リリちゃんいなかったから、探しに行こうと思ってたの」
「ルー……心配しなくても大丈夫。わたしはどこにも行かないから。ね? ほら、おいで」
リリちゃんは微笑んで、わたしに膝枕をしてくれる。やわらかい。あたたかい。空っぽの胸が、どんどん安心で満たされていく。
「そいえばね?」
「ん? なぁに?」
「今日、とっても怖い夢を見たの。怖い人がたくさんいて、リリちゃんやわたしをいじめるの。それでね、わたし、その人たちにつかまっちゃって――」
リリちゃんが、そっと頭をなでてくれる。まだお話の途中なのに、ちょっとずつ眠たくなる。
「そう、それは怖かったね。でも、もう大丈夫。夢は終わったから、怖い人なんていない。だから、心配しないで」
「うん、ありがと、リリちゃん」
大きなあくびを一つ。でも、折角リリちゃんが来てくれたのにまた寝ちゃうのはもったいなくて、リリちゃんの顔を見上げる。すると、リリちゃんは少し悲しそうな目をしてた。
リリちゃんはすぐに笑顔になった。
「どうしたの? ルー」
「リリちゃん」
胸がチクチクする。
「今、悲しい顔してた。何かイヤなこと、あった?」
きくと、リリちゃんは笑顔のまま首を横に振った。
「ううん、私なら大丈夫。ルーは何も心配しなくていいの。ほら、まだ眠いでしょ? ゆっくりお休み」
「うん。ふあぁ~」
気付けば、胸のチクチクは消えていた。
リリちゃんに頭をなでられて、また眠くなってきた。まぶたが重く、意識が途切れ途切れになる。
「安心して。もう怖い思いをすることはないから。わたしがずっと、ずっと傍にいるからね。だから、何も怖がらないで。お休みなさい、ルーシェ」
その言葉を最後に、わたしの意識は眠りへと落ちていった。
ありがとうございました。






