驚嘆と落胆 その3
「ちょっとあなた、力みすぎよ。そんなんだから全然球走ってないじゃない」
ウォーミングアップを済ませ投球練習を開始して数分。龍一のボールを受けた球は少しがっかりしていた。先ほど少し期待した自分が馬鹿らしく思えたほどである。
「あ? どこが走ってないって? 絶好調なんだよ!」
「はぁ、これでよくも絶好調とか言えたものね」
ーー右の本格派って感じかしら、球は重いし、球速も140そこそこ。あの馬鹿力でフォークの落差も申し分ないけど……キレが圧倒的になさすぎる。まったく、ここまで単純で馬鹿なやつだったとは。
「もう少し力を抜いて、周りに声かけなさいって」
「んなこと分かってんだよ!」
龍一はそう返すも全身力みまくり、周りには声もかけようともせずバッターボックスに近づいてくる紬を力で抑えることしか頭になかった。
ゼロに抑える。どうやらその言葉を実現しようと空回りしているようだった。
ーー参ったわね。ろくに周りも見えていないわ。
球は龍一にボールを放り返すとマスクを外し、片手に持ちホームベースの前へと一歩踏み出す。
「サード、セーフティ警戒でショート、セカンドはポテンの声かけお願いします!!」
・セーフティーーセーフティバントの略、通常のランナーを進塁させるバントとは異なり打者が出塁するためのバント。足に自信がある打者が狙うことが多い。
・ポテンーーポテンヒットの略、あたりは良くないが内野手と外野手の間に落ちる、守備側からしたら不運なヒット。互いに声をかけなければ衝突事故にも繋がることもある。
「おう! 頼むぜジョーちゃん!」
「任せろや!!」
「しっかりしろよ龍一!!」
球の声掛けに警備部のゴリラどもが元気にレスポンスする。
ーーさて、お手並み拝見。
不敵な笑みを浮かべ、キャッチャーの定位置へ腰を据える。内心は楽しみでしかたなかった球だがなるべくポーカーフェイスを決め込む。そんな彼女と同じ気持ちだったのだろう。バッターボックスの手前には満面の笑みを張り付けた小学生がいた。
「よろしくお願いしますね。球ちゃん」
「ええ、こちらこそお手柔らかにお願いします」
ペコリと一礼。それから、球から見て右側のバッターボックスに入る。バットを構え龍一へ向き合う紬の雰囲気はいつものフワフワしたものではなかった。静かに、息を潜め、確実に自分の任務を遂行すべく集中力を上げる。まるで練習ではなく公式戦のような、そんな緊張感が漂う。
ーー左打ちの神足。絶対に塁には出したくない。できれば力で押してフライを上げたい、それか右方向への内野ゴロが理想か。ならインコース低めのストレートね。
球からのサインを受け取った龍一は首を縦に振り、ボールを握った右手を胸の前に、それをグラブで覆うと、堂々たるワインドアップからキャッチャーミットめがけてボールを放る。
ーーまずい! 逆玉!!
・逆玉ーーキャッチャーの構えたコースとは正反対の方へボールが来てしまうこと。
「ふっ!!」
外角低め、ボール半個分ほどストライクゾーンから外れていたコースだったが紬は迷わずバットを振り抜く。あらかじめ右足を若干内側に踏み込み、インコースを捨てアウトコース一本に絞っていたのだ。左側へと転がせば自分の足なら出塁出来ると踏んでのことだ。
そんな紬の狙い通り、打球は三遊間の深いところへコロコロと転がっていく。そこまで強い打球ではなかったが、セーフティを警戒して前に出ていたサードの足元を抜くには十分だった。
「キープ!!」
ショートが捕球したと同時に球は指示を飛ばす。ショートの肩はボール回しの際に確認済み、投げてもほぼセーフ。それどころかエラーする確率が高いが故の判断だった。
「なんでキープなんだよ! 間に合うかもしれないだろ!!」
そんな球の指示が気に食わなかった龍一がいちゃもんをつける。実のところは自分のコントロールミスでヒットを打たれたことを認めたくなかっただけだ。
「うるさい。人に文句付けるのならせめて構えたところくらいには投げてほしいものね」
普段の球はピッチャーの扱いに関しては割れ物以上に気を遣うのだが今日は違う。練習だからというのもあるのだが、龍一の行動、言動がやはり癇に障るのだ。
ーー最悪なスタートね。しょうがないわ、切り替えていきましょう。次は清彦先輩か、データはなし。右打ちでやたらベースよりインコースに強いタイプかしら。
「お、これはいきなり見ものだな桜花!」
「そうね。『偉才』対『神速』ーーどちらに軍配が上がるかしら」
ーーリードが異常に大きい。これは戻ることに特化しているはず、盗塁ではなく揺さぶり。塁上から徹底的にプレッシャーをかけるつもりね。
そんな特大のリードを見て龍一は思わず三回ほど牽制を放る。明らかにランナーである紬を気にしすぎてバッターに集中できていない。
球のサイン通りに一球目は高めに外れるボール球。龍一が投げた瞬間、清彦はバントの構え、それからボールがベースに到達する前にバットを引く。塁上から、そしてバッターからの二重の揺さぶり。ピッチャーからしたら相当投げずらい。
「やってくれますね。普段から二番なんですか?」
「……違う。代理」
ーーこのレベルを即席で、やはりかなり偏差値が高い。フルメンバーとやってみたいけど、今は集中しないと。
「あんた、ランナー気にしすぎよ。まだ点とられたわけじゃないんだから」
「けどよ」
「とりあえず一つアウトもらってリズム作りましょ」
「わ、分かったよ」
球がそう声をかけ、サインを確認、セットポジションを取ると、紬のリードが小さく少しだけ小さくなる。それを見た龍一は盗塁への警戒心が緩まる。相変わらず大きなリードだが先ほどと比べると小さく感じる。ピッチャーの心理的には思わず盗塁はないと錯覚してしまうのだ。
しかしそれこそが紬の狙いだったのだ。龍一はサイン通りアウトコースの高めにボールを放ろうとモーションへ入ると、
「シッター!!」
・シッター!! --走ったと言っている。ランナーが盗塁したということ。
「まじかよっ!」
嘆く龍一。対してまたも思わず不敵な笑みを浮かべる球。まさに狙い通りといった表情だ。
しかしそう思えたのも一瞬だった。完全に虚を突かれた龍一がまたもコントロールミス。球が構えていた高めではなくボールは低めへ。
ーーくっ! ショーバンする!! この態勢じゃっ!!
・ショーバンーーショートバウンドのこと。捕球者の手前で小さく強くバウンドすること。非常に取りづらい。さらにこの場面では送球までに時間を無駄に要するため最悪なケース。
ーーボールは美少女、ボールは美少女、ボールは美少女、ボールは美少女、ボールは美少女。
「よけろやぁ!!」
球はショーバンの捕球に成功すると、流れるような動きかつ最短距離でボールをセカンドベースのギリギリ右側めがけて撃つ。
「うぉおっ!!」
ボールは龍一が先ほどまで立っていたマウンドの足元を通過、地を這い目的地まで一直線。
ーーちっ! 微妙なタイミング。
紬のスライディングとタッチ、ほとんど同時でかなりきわどいタイミング。審判の判断待ち、少々の静寂のなか可愛らしい声を発した人物がいた。
「いや~まさかあれで刺されるとは参りましたぁ。アウトですよね審判さん?」
「へ、へい。その通りですたい」
ーーあの審判迷ったわね。少し納得いかないけど結果オーライだわ。
「おいこら球ッ!!」
龍一は球のいるホームベース手前までドカドカと詰め寄る。
「何ようるさいわね」
「うるさいじゃねぇよ! 殺す気か! 横に飛んでなきゃ直撃だったぞ!!」
「避けれたからいいじゃない。それより……」
「あ?」
「私って以外と頼れるでしょ?」
「は?」
「は、じゃないわよ。頼れるでしょって」
「ま、まあな」
「そんじゃ頼むわよ相棒」
ーーさて、これで目覚ましてくれるといいのだけど。
「おい、見たか桜花」
「ええ、ショーバンすると判断したと同時に普通の態勢で捕球しても間に合わないから、半身になってミットだけでボールを処理。異常に低い態勢のまま最短で矢のようなドンピシャ送球。ボールの処理能力、送球技術もすごいけど、これをあの一瞬でやりのけた判断力が尋常ではないわよ」
「これでもブランクあるんだろ。期待以上だな」
「えぇ、そうね。本当に」