私の身体、鍛えてくれない?
翌日、寝不足と試合の疲れから珍しく昼過ぎに目を覚ました球はジャージに着替えるとすぐに室内練習場に向かった。そこにいる気がした。散々振り回され振り回した、すれ違い続けた幼馴染が。
お昼時だったからかそこにいたのは敦也一人だけで、静かにウェイトトレーニングをしている。
「ねえ」
「おう、球か」
そう言ってダンベルを地面に置いて一息ついてからベンチに座る。
「負けたよ。また負けた」
敦也は嬉しそうに言った。
「あなたも私を利用したの?」
「利用……したつもりはなかった。知ってると思うが星村監督に栄司さんを退部に追い込めって頼まれはしたが、ほとんど球がそうなるように動いてくれたからな。俺は事が上手くいくことを見守ってただけだ」
「それじゃああの試合は手を抜いていたって言うの?」
「いや、な訳ないだろ。もちろんお前を倒すつもりで全力だった。お前があのまま一人で何とかしようとしてたら俺らが勝ってただろうな。最後に降参したのも、もうひっくり返らない確信があったからだ――正直悔しかったよ。今なら勝てるんじゃないかって思ってたんだ。言ってしまえばお前の身体能力はそこまで高くない。野球の巧さでは勝てないから、そこで圧倒的な差をつければもしかしたら……ってな。でも……」
栄司は不器用な笑いを浮かべながら涙を溢す。
「勝てなかった。けど悔しいのと同時に嬉しかった。やっぱり球に憧れてキャッチャーを選んで良かった。野球が、キャッチャーがこんなにも楽しいなんて知らなかった。心底思うよ、あの時、野球を辞めなくて良かったってね」
「何言ってんのよ。負けて良かったなんて信じられない。このままずっと二番手で良いって言うの?」
「いや、そんな訳ないだろ。シニアの時、お前がいなくなって、その空席に正捕手として座っても何も嬉しくなかったし、楽しくもなかった。俺はお前を越えて正捕手になるよ。まあ、その前に俺はトップ三十に入らないとな。まずはお前と同じ舞台に立たないと」
「そうね。それに二、三年生のキャッチャーもいるから、正捕手になるにはその人たちからポジションを奪わないといけないんだけど」
「ああ、長いし険しいな。甲子園までは」
「うん。そのくらいが丁度良いよ」
お互いに目を合わせて少しの間だけ軽く笑う。
球は言いづらそうな思いを跳ね除けて話を切り出した。
「そのさ……」
「何だ?」
球は丁寧に深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
ゆっくり、そしてはっきりと言い、頭を上げてから続けた。
「私、ずっと勘違いしてた。あなたに邪魔ばかりされてる、あなたに居場所を奪われたって思ってた。あなたの話を落ち着いて少しだけ聞けばよかったのに。勝手に意固地になって、暴走して、結局自分の首を自分で締めて、ずっと大切にしてた夢まで失うところだった。だからごめんなさい。そして、ありがとう」
「いや謝られても、お礼を言われても困る。そもそも俺の伝え方が下手だったし、俺がもっと気を配っていれば、あんなに拗れることはなかったんだ。だから俺の方こそごめん。それで厚かましいかもしれないが良かったらまた教えてくれよ、球の野球を」
「良いの? 知ってるかもだけど私、遠慮しないよ」
「もちろん。望むところだ」
「そう。じゃあ私からも一つ良い?」
「ああ、何だ?」
球は敦也に右手を差し出して、屈託のない笑顔を咲かせて言った。
「私の身体、鍛えてくれない?」