足手纏いなんですよ
「おい!! 敦也、てめえどういうことだ!! 意味わかんねえこと言ってんじゃねえぞ!!」
栄司は敦也に詰め寄って胸倉を掴み上げる。意味が分からない。もちろん言葉の意味は分かる。ただ、何故この状況で自ら負けを申し出た。栄司が三振をしてワンアウト満塁だ。同点はおろかワンヒットで逆転サヨナラの状況であるし、バッターは二打席ともに長打を放っている敦也だ。
「意味わからないも何ももう勝負はついてるじゃないですか」
「何だと? まだ終わってねえよ! てめえが打ちゃあいい話だろうが!!」
「いいやもう終わってます。白黒付いたじゃないですか」
「何を言って」
「あなたは以前の勝負から二度も球に出し抜かれてますよね? これで俺が次の打席で打って先輩が勝ったとしても、それはあなたの実力ではないです。もう格付けは終わってるんです。あなたは球よりも確実に格下だ」
「そんなの関係ねえ! 勝ちゃあいいんだよ!! てめえこのまま俺に退部しろって言うのか?」
「ええ、そういうことです」
敦也が冷たくそう言い放つと栄司は更に胸倉を締め上げる。敦也の身体が宙に浮くほどだった。
「てめえ、ふざけるのも良い加減にしろよ。いいから黙って打席に立てや。そんで打て。打てなかったらてめえの右肩ぶっ壊して、二度と野球出来ねえ身体にしてやるからな」
「さすがに退部が目前となるとそんなに焦るんですね。今までの余裕がどこへ行ったのやら。別に打席に立つのは構いませんが、私は三回適当にバットを振るだけです。もちろんバットに当てはしないですから」
「おい、てめえ……それ、本気で言ってんのか? 本気で俺に逆らうってえのか?」
「もちろん。もとよりあなたに従ったつもりもありませんし」
「ああ、そうかよ」
栄司は敦也から手を離して足元に落ちていた金属バットを拾い上げると、思い切り振りかぶり敦也の右肩めがけてフルスイングをしようとした。
「じゃあ死ねやっ!!!」
やばい。グラウンドにいた誰もがそう思った。
しかしそのバットが敦也に直撃することはなかった。振りかぶった瞬間、金属音とともにバットが栄司の手から弾き飛ばされたからだ。
球が手に持っていた、栄司を三振に斬ったボールを投げてそれに当てたのだった。
「当たって良かった……」
球は思わずそう呟いた。彼女が外していたら敦也はただではすまなかっただろう。
グラウンドにいた全員がほっと胸を撫で下ろした瞬間だった。呑気な声音のグラウンドには場違いなスーツ姿の女性が現れた。
「うーん。今のは良くないですね」
球は自分の隣に寄ってくるその女性の声に聞き覚えがあった。
「もしかして星村監督ですか?」
「ええ、如何にも。私が星村です」
星村は屈託のない笑顔でそう答えた。
「助かりましたよ二木さん。危うく有望な一年生が潰されるところでした」
「え、ええ、それはそうなんですけど。今は大会中なんじゃ? 何でこんなところに」
今は春のセンバツの真っ最中で甲子園に、つまり兵庫県にいるはずだ。清流高校のある埼玉とは簡単に行き来は出来ない。
「今朝、新幹線で戻ってきたんですよ。厄介者を排除できる絶好の機会だったのでね」
そう言って星村は栄司を見た。
「試合、全部見てました。あれだけ横柄な態度で大きな口をたたいておきながら、しょぼい試合をしてましたね。無様と言うか、君が上位三十にいたことが不思議でならないですよ。鰐淵くん、心底あなたをセンバツのメンバーから外してよかった」
「おいおい、監督まで何言ってんだよ。俺を退部にしたら困るのはあんただぜ。今年はマシかもしれねえが来年はどうすんだよ。俺がいなかったら甲子園すら危ういだろ?」
「ははは、君は自分の立場を分かっていないのですね。入りたての一年生に、それも二度も負けてるんです。そんな君が何を言っているのですか? 俺がいないと甲子園が危うい? 寝ぼけたこと言ってないでさっさと荷物をまとめてここを去りなさい。もうここにあなたの居場所はない。人に害のみをもたらす君に野球をやる資格なんてない。自己中で利己的な考え方しかできない君は野球に向いていないですよ」
「は? だったらそいつはどうなんだよ⁉ その女だって似たようなものだろうが!!」
「似たようなもの? 私は君と二木さんは似ても似つかないと思いますがね。だって根本が全然違うじゃないですか。君の行動原理はひたすら自分のため、少し俗な言い方をすれば自分が気持ちよくなるためです。ひたすら自己満足の檻の中でオナニーしてるだけ。対して二木さんはどうでしょうね。チームの勝利のために動いているように見えましたが、自己満足の為だけに動く君と果たして同じでしょうか?」
「同じだろうが! そんなこと言って、結局はそいつも自分の実力を証明したかっただけだろうが! 俺は実力を誇示したい。そいつは証明したい。それだけの差だろうが!」
「はあ……あなたは入部してからこの一年間で何も成長しなかったですね。先輩たちから何を学んだのですか? 良いですか? たとえ始まりが自分のためだったとしても、結果的にそれが組織のためになれば、それは人のために動いたことと同義なんです。これは逸脱してはいけない社会のルールでもあるんです。誰だって自分のために、お金のために働いていうわけでしょう。私だってそうです。そして仕事をするということは人のためになることをすること。それを為さない者は組織から、そして社会から排除されるんですよ」
「だったら俺は排除されるいわれはねえじゃんか。さっさと退部を取り消せ」
「いやいや! まあたしかに少なからずうちの部に貢献したことは認めますよ」
「だったら!」
「でも、それ以上にあなたはうちの部に損害をもたらしました。チームメイトに怪我を負わせたこともそうですし、あなたの試合における身勝手なプレーに皆が振り回されました。それにあなたは知らないかもしれませんがうちの学校の理事会でもあなたの噂を聞いて、少し問題として取り上げられたりもしたんですよ。まあ私が無理言ってなかったことにしてもらったんですが。だからね、言いたいことは分かりますよね?」
「あ? 分かる訳ねえだろ」
「じゃあハッキリと言ってあげますね……足手纏いなんですよ。今までは君のポテンシャルを信じて多少目を瞑ってきたんですけど、もう君には何の期待もないです。それどころか周りの成長を阻害するだけなので、さっさと退部してください。これは決定事項です。あなたが何をしようが覆ることはありません」
星村の言葉を聞くと栄司は何を言うわけでもなく、先ほど球に弾き飛ばされた自らのバットを拾い上げた。
「ああ、そうかよ」
「ええ、そのまま荷物をまとめて出て行ってください」
「それならもう俺が何をしようと関係ねえよなっ!」
栄司はそう言うと手に持ったバットを今度は球めがけて投げた。
放られたそれは宙で激しく回転しながら球の顔面に向かって直進してくる。
球は咄嗟に両手で防御姿勢を取ろうとするも、それは明らかに間に合わなかった。
球の頭部にバットが直撃する寸前、それは軌道を約九十度変えて天高く舞い上がってから、彼女の傍の地面に乾いた音を立てて転がった。星村が蹴り上げたのだ。
彼女は頭の高さまで上げた右足をゆっくりと下すと、軽蔑した表情を栄司に向ける。
「君、そこまでしますか」
「ああ、だってもうかんけーねえからな! クソが、あんたが邪魔しなければ」
「黙りなさいクズが。さっさと荷物をまとめて出ていけ。従わないのならあなたの身体を一生野球の出来ないものにしても良いんですよ」
「は、出来ねえくせにそんなこと言ってんじゃねえ。さっさと出てくわこんなとこ」
栄司は大きな舌打ちをしてホームベースに唾を吐いてからグラウンドを去った。
星村は屈んでからポケットティッシュでそれを拭くと、後悔の表情を浮かべながら彼の後姿を見送った。