私の言ってることがやっと分かりました?
栄司が打席に入ると主審がプレイを申告する。
「誉!」
球はキャッチャーミットを叩いて内角低めに構える。
誉は強く頷くと大きく振りかぶって一球目を投げた。力みのない自然な所作、異常なまでの柔軟性を活かした投球フォームはブレなく、無駄なく完璧に指先へと力を伝える。
射出されたボールは約時速百三十キロで強烈な横回転をしながら栄司が振り始めたバットの軌道に乗ると、バットに当たる直前に刀のように鋭く横方向へ曲がって彼の懐を抉って球のミットに吸い込まれた。
バチン、と今日一のミットを弾く音が心地よく耳に入ってくる。
「ストライークッ!!」
審判のコールの後に球はテンポ良く誉に返球をした。
「おい……てめえ、何だこのボールは」
栄司が度肝を抜かれた様子で球を睨みつけた。
「あなたが何度も打ってたボールですよ」
「あ? 何を言ってんだ? こんなカットボール、今まで一度も投げてねえ……ああ、そういうことか」
「やっと気づいたんですね。大方、あなたは曲がりの悪い、キレのないスライダーだとでも思ってたんでしょうけど。あれはただの失投なんですよ。一度目のヒットも、今回のホームランも、あなたはただ失投を打てただけです」
「……だが打てねえボールじゃねえ」
「ははは、やっと高校球児らしい顔になってきましたね。でも理解してます? そのボールを使わずとも私たちはあなたを何度も抑えてきたんです。意味わかりますよね? もうあなたは詰んでるんですよ」
「だから何だってんだ。そんなの関係ねえ。まだ二球あんだ。二球ありゃあ俺なら打てる」
「そうですね。二球あれば、あなたならバットに当てることくらいなら出来ますね。でも問題はそこじゃないんですよ」
「……あ?」
「分からないのならまた教えてあげますよ。次、同じコースに同じボールを投げますね」
「またそれか。この期に及んで何のつもりだ」
「もう勝ちが確定してるって言ったじゃないですか。ただの遊びですよ」
球は宣言通り再び内角低めに構えた。
サインを確認した誉が先ほどと同様にソードカッターを放る。
「くっ!!」
栄司は苦しげな声を出しながらバットを振ると、それは辛うじてボールに掠った。ボールがバックネットにぶつかったことを確認した審判はファールを宣言した。
これでツーストライクノーボールだ。
「は! 言わなけりゃいいのによぉ。これで次は確実に捉えられる」
「そうですか。それじゃあ頑張ってください」
「馬鹿にしてんのか?」
「そんなことないです。もうあなたと薄っぺらい会話をしたくないんですよ。もう退部確定なんですから。早く構えてください」
「退部すんのはてめえの方だ。言ったろ次は確実に捉えられるって。てめえが配球を教えなけりゃ、もう何球かかかっただろうがな。てめえは俺に指摘した自分の慢心が原因で退部することになんだよ!」
「そうですか。じゃあどっちが正しいか答え合わせといきましょう」
栄司と球は同時に構えると誉が投球モーションに入る。
彼女の指先から放たれた白球はまたしても同じコース、同じ軌道だった。
それを確認した瞬間、栄司はニヤリと勝利を確信して口角を上げた。
「なめるなぁぁああっ!!」
栄司は球速に対して正確にタイミングを合わせてソードカッターの変化の軌道上でスイングを開始した。完璧だった。たった二球目でソードカッターの軌道を見極めて、三球目でアジャストした。彼の経験値と身体能力があるからこそ出来たことだった。
このままバットを振りぬけば間違いなくボールは確実にフェンスを越えるだろう。最終回、逆転サヨナラ満塁ホームランだ。
だが、それは球が要求したボールが、誉が投げたボールがソードカッターだった場合の話だ。
先ほどの二球、ソードカッターとは異なり、バットの手前でボールは異常に加速して綺麗な逆回転をしながら真っ直ぐに伸びていく。そう。バッテリーが選択した球種はストレートだった。
ソードカッターに一点張りしていた栄司は成す術なく空振りしてしまう。
「ストライークッ!! バッターアウトッ!!」
審判のコールが幻聴なのだろうかと思うほど、栄司にとってこの三振は信じられないことだった。
打席で呆然としている栄司の肩を球は軽く叩いて言った。
「誰もソードカッターを投げるとは言ってませんよ。私の言ってることがやっと分かりました? あなたはあの時すでに受け身に回ってしまったんですよ。私を相手にね。ソードカッターという手札を攻略すれば良い。あなたはそう思って視野を狭くし過ぎた。だから三球目に同じようなコースにボールが来た瞬間にそれがソードカッターだと思わず飛びついた。唯一、誉がちゃんと投げれるかが懸念点でしたが心配なかったみたいですね」
「それだけか。俺が三振した理由は」
「ええ、そうですよ。特別なことはやってません。あなたがもっと冷静に、真摯に私たちに向き合っていればもっと良い勝負が出来たんですけどね」
「そうか……だが、まだ負けてねえ。まだワンアウトだ」
栄司の言う通りだ。後二つアウトを取らなくては球たちの勝利ではない。
「敦也ぁああ! てめえ! ぜってえ返せよ! 死んでも打ちやがれ!!」
栄司はネクストバッターズサークルで待機していた敦也に向かって叫ぶ。
すると敦也はゆっくりと立ち上がって打席の手前まで近づくと、審判に向かってこう言った。
「俺らの負けです。降参します」